<過去のお話はこちらから>
第1話/一人旅ってありかも?
第2話/人生への挑戦、してる?
第3話/幸せを共有したい人
台湾2日目。AM11:00
「こんにちはー」と元気よくドアを開けてここが日本ではなかったことに気づき少し恥ずかしくなったが、そこには誰もいなかったので千晴は少しほっとした。声が聞こえたのか、奥から少し太った背の低い40代後半ほどに見えるおばさんが出てきた。
「ニホンジン? マッサージ? プランは?」と質問を投げかけられ、たじろいでいると「エランデネ」とメニュー表を渡された。ここも真由のおすすめのお店の1つ。真由に頼りっぱなしなようで気が引けるけれど、「地元の人が愛するお店で日本語もわかるおばちゃんがいるから」と勧められたら断る理由はなかった。
迷った末に「1時間750元、足マッサージ」を選ぶと、そのまま更衣室に案内され短パンに履き替えさせられた。フロントのある部屋に戻ると、壁に沿って並んだ大きな椅子の1つに案内され、座ると同時に足元に、暖かい足湯が用意されていた。どうやらマッサージの前に足湯をしてもらえるらしい。
初めての一人旅に緊張しているせいもあり、昨夜は九份の世界に包まれたまま本当によく眠った。思ったよりも早く眼が覚めたので、「台湾の朝ごはんは美味しくて格安! ぜひ一度試してみて」とガイドブックで読んでいたのを思い出し、”鹹豆漿(シェントウジャン)”という豆乳にパンが入ったような見た目の朝ごはんを一度試しておきたくなった。まだ眠れそうだったけれど、せっかくなのでホテルのスタッフに朝ごはんにおすすめの、最寄りのお店を聞いて食べに出かけた後、このマッサージ店にやってきた。
真由が言っていた「日本語がわかるおばちゃん」は正しくは「一方的なすごく限られた日本語が話せるおばちゃん」だったけれど、「アシ、ココ」と促されてお湯に足を浸けるとお湯がとても気持ち良くて、なんだかイイ香がするし、起きてごはんを食べたばかりなのにまた眠ってしまいそうになった。
10分ほど経ったあたりで足湯から出すように言われ、いよいよマッサージが始まった。日本にいてもマッサージに行くのは年に数えるほどで、場所によっては痛いながらもこんなに気持ちいいなら日本でも行きたい・・・と、うとうとしている間にお店に一人の女性が入ってきた。
年は60を過ぎている頃だろうか。白髪に少し黒が混ざった髪はきちんと整えられていて気品のある女性だった。どうやら彼女と、限られた日本語が話せるおばちゃんとは知り合いらしく、台湾語でいくつか会話をした後、メニュー表を見る間もなく今度は奥からおじさんが顔を出した。千晴はぼんやりとその様子を見ながら「常連さんなのかな? 台湾の方かな?」と考えていた時、その女性と目が合ってしまい思わず軽く頭を下げた。
女性はにこっと微笑み、おじさんに連れられて千晴の隣を1つ空けて座り、千晴と同じように同じように足湯を始めた。さぁまた夢に戻るか・・・と思っていた千晴だったが「・・・ですか?」との声が隣から聞こえて我に返った。
台湾2日目。AM11:20
思わず女性の方を見ると「日本人の方ですか?」とゆっくりと聞かれて、その女性が日本人だとわかった。異国の地で日本人に話しかけられるとは思っていなかったので、「はい、そうです。初めての台湾なんです」と聞かれてもないことまで口にしてしまった。
「そう。ここはステキな街よ。楽しんで行ってね」と言われ、初の一人旅に選んだ街に満足していた千晴は嬉しくなった。「そうですよね、本当にステキな街だと思います」と答えながら、初対面の相手に根掘り葉掘り聞くのは失礼な気がしたけれど興味が湧いた。
「ここに住んでいらっしゃるんですか?」
「そうね。もう40年近くになるかしら」
「そんなに?! どうして台湾へ?」
退職後のシニア世代の海外移住はよく聞くけれど、40年も前となるとそういう事情ではなさそうだ。少し間があった。
「好きな人を追ってきたの」
上品さを保ちながらも女性は顔をしわくちゃにさせて子供のような笑顔を見せた。
「えっ・・・」
驚いた表情を隠せない千晴を見ながらも女性は続けた。
「そうよね、いつも驚かれるわ。日本で出会った台湾人の男性をすごくすごく好きになって彼が台湾に帰国する時に、家族も友達も全部捨てて付いてきたの。20歳そこそこだったから、もう40年以上にもなるのね」
昔を懐かしがりながらいたずらっぽく笑う女性の話に付いていけない千晴であったが、マッサージをしているおじさんは既にこの話を知っていたのか日本語が通じているのかわからないけれど、うんうんと何度も首を縦に振っているので、驚きながらも信じることにした。
「それで、あなたはどうして台湾へ?」
今度は千晴が答える番だった。
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「えっ・・・えっと・・・私、これが初めての一人旅なんですけど自分で何も決められなくて。仕事も好きだし辞めたくはないんだけど、年齢的にもそろそろ結婚や子供のことも考えなきゃいけないと思っていて。でも、誰と結婚したら幸せになれるのかもわからなくなってきて。会社の先輩に、今の自分で決められないなら新しい価値観を学んで来なさいって送り込まれた感じです」
初対面の相手に何を話してるんだろうと自分でも思いながら、今の自分よりももっともっと若い時に好きな人と生きていくことを決めた女性を前に、この話をするのは恥ずかしかった。それを隠すため困ったように笑いながら千晴は伝えた。
「そう、じゃ、あなたは幸せ行きの切符を探しに来たのね。それで、その切符は見つかった?」
「幸せ行きの切符・・・」
おばあさんの口から出たその言葉を自分の言葉として繰り返しながら千晴は今までのことを順番に思い返した。台湾に行こうと決めた日のこと、台湾に来るまでに1人でお店を探したこと、台湾に来てから過ごした時間のこと、昨夜、九份の街を大地と一緒に見たいと思ったこと。
「んー。難しいですね。見つけた切符が幸せ行きなのかはわかりません。でも、どこに向かう切符が欲しいかは答えが出た気がします」
それまでよりも、少し背筋を伸ばして、胸を張って千晴は答えた。
女性はじっと千晴を見た後、優しく微笑んで言った。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。幸せ行きの切符なんて、本当はどこにもないと思うわ。みんな、好きな人が振り向いてくれたら幸せになれるとか、欲しいものが手に入れば幸せになるとか、仕事がうまく行ったら幸せになれるとか言うけれど、幸せって多分、そういうものじゃないのよね」
女性の言葉の意味がわかるようでわからないといった顔をしている千晴を見ながら彼女は続けた。
「好きな人がいて、その人が同じように好きだと言ってくれたらそれはもちろん嬉しいけれど、例え一緒にいられなくてもそれは悲しいことじゃないと思うわ。好きな人が好きな仕事で輝いていて、好きな人と幸せそうにしていることを願うことができたなら、それで十分幸せだと思うの」
いよいよ女性の言葉の意味がわからなくなってきて千晴は尋ねた。
「でも普通、そんな風に思えないですよね? 私、好きな人が振り向いてくれなかったら辛いな」
彼女は一瞬、少し寂しそうな顔を見せた後、また笑顔に戻って続けた。
「そうよね。実は私もね、彼を追って台湾に来たけれど、数ヶ月後、彼は家の事情で別の女の人と結婚しちゃったの」
「えっ?!」
驚きが隠せなくて思わず大きな声が出てしまい、あわてて手で口を塞いだ。
「びっくりよね! わざわざ日本から来たのに! その時はすごくすごく泣いたけれど、泣くだけ泣いて泣き終わったら、彼に幸せでいて欲しいと思ったわ。そう想うようになったら、そんな相手に出会えたことが何よりの幸せなのかもしれないと思ったの。
確かに周りから見れば、私は可哀想な子だったかもしれないけれど、私は彼に幸せにして欲しかったわけじゃなくて幸せになって欲しい、できれば幸せにしてあげたいんだって気づいたの」
「そんな片想い、辛くないですか?」
「そう? そうねぇ。例えば、母親は子供がお母さんのことを好きだから愛するわけではないでしょ? それでも、子供が幸せそうだったらそれだけで幸せな気持ちになれる母親って多いと思うの。大切なのは、誰が、何が自分を幸せにしてくれるかじゃなくて、自分が誰を幸せにしてあげたいかだと思うわ。
それに、そう思わないとやってこれなかったのかもね」
と今度は少し寂しそうに、でもすごく優しそうに笑った。
その女性が教えてくれることは、千晴が考えたこともなかった言葉の連続で、今の千晴にとってとても大切な言葉のようでもあって、一言一言を漏らさないように忘れないように大切に心にしまった。
(次のページへ続く)
台湾2日目。AM12:10
千晴よりも短いコースを選んでいたのか、女性の方が先にマッサージが終わり「では、残りの旅も楽しんでね」と挨拶をくれた。
初めて会った、ほんのひと時を一緒に過ごしただけの女性から教わった言葉を反芻しながら、心と頭がついていけないでいた千晴だけれど、ふと我に返って声をかけた。
「ありがとうございました。お話できて良かったです!」
彼女はゆっくりと振り返った。
「周りに幸せにしてもらおうと思っている間は、幸せが他人の手の中にあるの。でも、幸せにしてあげたい、と思う気持ちを大事にできる強さがあればきっとあなたは幸せになれるわ。
自分の幸せは自分で責任を持ちなさい。迷ったらまたその時々で幸せにしてあげたいもの、大切にしたいものをまた選べばいいの。誰かを想えるっていうのは、そのくらいステキなことだから」
その言葉はストンと千晴の中に入ってきた。
「はい!」
とその日一番の笑顔と声で答えた。
その女性が誰かと結婚したのかしなかったのか、彼女は母親になったのか、今幸せなのか。わからないことばかりだったけれど、どの質問の答えを聞いても、どんな答えが返ってきても、きっと幸せでいられる人なんだろうと思った。
マッサージが終わり、お金を払ってお店を出るとまだ初春だというのに日差しが眩しくて目の前が白くなった。「さて、お土産買って日本に帰ろう!」踏み出した足取りが軽いのはマッサージのおかげだけではないと思う。千晴がやるべきことはもう決まっていた。
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第1話/一人旅ってありかも?
第2話/人生への挑戦、してる?
第3話/幸せを共有したい人
※この物語はフィクションです。過去および現在の実在人物・団体など実在するものとは関係ありません。
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