> > 【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴

, | インタビュー,ピックアップ

【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴

ライター: 米田ロコ
更新日: Jul 30th, 2015

【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴

「天ぷら油で旅をしよう」なんて考えたこと、ありますか?それでなくとも旅に負担はかけたくない。天ぷら油で車を走らせるような面倒なこと・・・
でも、そんな面倒とも思える旅を少年のように楽しんでしまうのが、“ウミガメ写真家”の久米満晴さん。今回はそんな、ちょっと変わった、でもとても素敵な旅人、久米満晴さんにインタビュー


旅はいつも予想外、天ぷら油で日本一周


日本一周をしようと思ったキッカケは何ですか?

子供が生まれて、子供達が小学校に入る前に、家族みんなで犬も連れて日本一周をしようと思っていました。旅をすることは子供たちにとって必ず良い経験になるし、僕はカメラマンとして、今まで撮ってきた種子島の波の写真を多くの人に見てもらいたかった。そんな旅をしてみようと。


―なぜ、「天ぷら油」で旅をしようと考えたのですか?

エコとお金なかったから(笑)
パタゴニアのカタログを開いたときに、記事の中で、車が天ぷら油を漉したものをそのまま入れて走っていたのを見かけたんですよね。それが頭に残っていて、天ぷら油で旅をしようというキッカケになりました。
天ぷら油なら安いし、普通のガソリン車よりも環境にもいいなって。簡単にできるものだと思っていたんですよね。


それから、テレビの中継車で廃車になった車を格安で手に入れキャンピングカーに仕上げ、スライドショーをするための映写機とスクリーンも持って、旅に出ました。


ー旅の目的地や日程など、目標はあったのでしょうか?

当時、この旅にパタゴニアさんが賛同してくれて、パタゴニア直営店全店で、僕の写真スライドショーを上映するというプログラムを組んで旅をしました。日程的には、それを目指して移動するようにしていました。


―写真スライドショーはどういうものなのでしょうか?

種子島に波やサーフィンの写真を撮ろうと移り住み8年が経っていて、それをスライドショーにまとめ多くの人に見てもらいたかった。種子島を見せたいというよりは、自分の切り取った波の風景を見て欲しいと思って旅に出ました。


—天ぷら油で旅をしたことで苦労をしたことは?

もちろん、苦労だらけでした(笑)
とにかく天ぷら油をバイオ燃料にするために、知識もなにもないところからのスタートだったので、試行錯誤の日々。


出発前準備期間(一年間)で、普通の天ぷら油を車の燃料にするために、何度も色々な方法を試しました。まずは、コーヒーフィルターから天ぷら油を漉せるかっていうところから(笑)
それに加えて、旅で上映する写真のスライドショーも完成させなくてはならないし、普段の仕事もあるし。とにかく、めちゃくちゃな準備期間でしたね。


それから旅が始まって、結局、最初のうちは車が止ってしまい、全然動かなかったんですね。走りながら試しがながら、という感じでやっていました。車が急に止ってしまい、後ろから追突されるのが怖いから、高速なんか乗れないし。

一度、長いトンネルの真ん中で止った時には、ビーとか警告音が鳴って、「もう、どうすんだよ〜」という状態に陥りました。子どもも2人車に乗っているし、犬も2匹いるわ、さらに旅で子どもを一人授かったので、妻はお腹が大きくて(笑)
ひたすらセルを回して少しずつ進んで、とりあえず危険エリアは脱出したんですけど、その後、2日間はエンジンが動かなくて一人で悪戦苦闘。僕はあんまりメカが詳しいわけじゃないから、まあ大変でしたね。

予定通りに車が走らないものだから、本当に目的地に辿り着くのだろうか・・・という感じで毎日を過ごしていました。


—最終的には天ぷら油で旅ができたのでしょうか?

旅をしました、なんとか(笑)

計画では、一週間、講演やスライドショーをする間に天ぷら油をいろいろな施設から集めてバイオ燃料にして、走って、また無くなったら作って、と考えていたんですが、失敗の燃料が出来てしまうので、予定量のバイオ燃料はできず・・・さすがに失敗の廃油を捨てるわけにはいかないので、結局それも車に積んで、作りながら溜め込みながら走っていたんですよね。

自分で作ったバイオ燃料は車が走ったり、走らなかったり、その時使う油の質よって変わるんですよね。僕はバイオ燃料作りに関しては素人だから、どんな天ぷら油もバイオ燃料にできるわけではなかったんです。

でも、そこで手を差し伸べてくれたのが、周りの人たち。

僕はサーフィンをするんですけど、旅でサーフィンしながら、出会う人にそれを「困っている、困っている」って言っていたら、たまたま出会ったサーファーが「廃油の仕事をしている知人がいるから」と人を紹介くれて、僕の失敗作を回収してくれたり。

あとは、バイオ燃料を作る会社に困った事があるとすぐ電話して、やり方を聞いていました(笑)最初は、「天ぷら油でバイオ燃料を作りながら旅したい」と伝えたら、「お前、バカか」と言われて。とはいえ、分からなくなると何回でも電話して聞いてみたり。すると、呆れながらもその都度色々と丁寧に教えてくれて。本当に感謝です。
そういった人たちとの出会いや助けがなければ、僕は旅を続けられなかったかもしれません。今思うと、本当に人に助けられた旅でした。


—天ぷら油の旅を振り返って、思い出すことは?

行く場所で出会う人に、「種子島で写真撮っているから、よかったらスライドショー見ませんか?」というと、仲間を集めて場所をとってくれてスライドショーを真剣に見てくれて、そのまま夜は初対面だけどみんなで飲みながら語らうようなことがよくありましたね。

こども達もすごく良い経験をしたんじゃないかと思っています。
スライドショーを上映すると、こども達は参加してくれたファミリーのこども達とすぐ仲良くなって、でも、またすぐに別れがくることをわかっているから、「◯◯ちゃんバイバ〜イ」って言ったら、「次は誰と友達になるかな〜」って。
スライドショーは3日に1回くらい、一家族だけの前でもやりましたから、出会いと別れが当たり前な毎日で半年間。

あと、誰よりも公園に寄りましたね(笑)
こどもが5才と2才だったし、ともかく寝るのはどこかの大きな公園。朝起きたら、公園を一周して、次の公園はどこどこみたいな感じで、いつも地図で公園を探しながらの旅でした。


—天ぷら油の旅を通して、教えられたことなどありましたか?

どんな人でも会って直接話せば優しいんだなって、すごく感じましたね。損得勘定なしで出会った方々は旅人には優しくしてくれるんだなーと感じました。
だから、島に帰ったら旅人には優しくしよう、と改めて思うようになりました。

くねくね道の人生、波の写真家から“ウミガメ写真家”へ


【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴
©Mitsuharu Kume


—種子島に移住する以前はどこでどんな仕事をされていたのでしょうか?

小笠原の父島でマグロ船に乗っていたり、沖縄の久米島で潜り漁をしたり、漁師を目指していました。その前は2年間だけ東京で満員電車に揺られサラリーマンもしていたのですが。
ともかく海で仕事をしたくて、漁師を目指していたのですが、久米島にいたある時、サーフィンカメラマンという道があることに雑誌を見ていて気づいたのです。中学生の時からカメラ小僧で、一眼レフのカメラで写真を撮るのが好きだったので。
それで海のカメラマンになろうと種子島に移り住んだのです。


―“ウミガメ写真家”になった経緯を教えてください

種子島に移り住んでからも生計のために漁師を選びました。定置網漁という海に罠を仕掛けてそこに入る魚を捕る漁法なのですが、そこによくウミガメが入るのです。今まで南の島で漁をしてきたので珍しいとは思わなかったのですが、ある日出会ったウミガメの足に電話番号の書いたたダグがついていてそこに電話したのがきっかけです。
その番号に電話をすると日本ウミガメ協議会につながり、話しを聞いてみると、
「そのカメ(アカウミガメという種)は日本で生まれ、大海原を渡り、メキシコから日本に帰ってきているんです。生まれたのは種子島のあたりなんですよ〜」って言われて。それで、カメについて色々掘り下げて聞いてみると、種子島は日本で二番目にウミガメの産卵が多くて、年間1000〜2000頭ものウミガメが生まれる。一番は多いのは隣の屋久島で年間一万頭とか生まれるんです。

親カメは生まれた場所の近くに産卵のために戻り、生まれたカメはその地から旅立つ。そう考えると、自分はウミガメの島に来てるんだなってすごい実感して。

そして、尊敬するカメラマンに「写真はテーマが大切」と聞いていて、それまで僕はサーフィンとか波とかをテーマにしてきたのですが、「うわ〜きたっ!ウミガメだ、俺は!」と思って。
それからウミガメ写真家と名乗るようにして、ウミガメばっかり撮っています。


—ウミガメ写真家として、撮影した写真などは、どんなところにアウトプットしているのでしょうか?

いろんな媒体で写真と一緒にコラムを書かせてもらったり、あとはNPO法人を立ち上げ、その団体を通して、「カメ芝居」を小学校などでやったりしています。オファーがあれば出来る限りは色々なところに出向くようにしています。

漁師を守るか、ウミガメを守るか・・・消えゆく自然に対する感謝の心


【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴
©Mitsuharu Kume


—久米さんは、漁師とウミガメ保護という、両極にも見えるとても難しい立ち位置ですよね。

そうですね。
でも、そういった両方の立場が分かるからこそ、自然と人間が共存するために架け橋になれるというか、できることがあると思っています。
僕はウミガメを「保護する」という言葉は好きではなくて、ウミガメを通じて自然を考えるきっかけになれば、と考えています。漁師でもあるから漁師の意見もわかるし、いい立ち位置だと思っています。


—ウミガメについて少しお聞きしたいのですが、ウミガメは具体的にどういった要因で数が減っているのでしょうか?

日本から太平洋を横断し、また帰ってくるウミガメは、その通り道のメキシコ・ハワイ・日本の海を旅しているんですが・・・

例えば、メキシコでは刺し網といってカーテンみたいな網で漁をしているのですが、その刺し網にカメが頭を突っ込んで、息継ぎできなくて死んでしまう。カメは爬虫類なので息継ぎしないと生きていけないんです。 ハワイでは延縄のマグロ漁やカジキ漁が盛んなんですけど、そこでもよくカメがえさに食いついてあがってしまう。 日本では産卵する砂浜が狭くなったり、なくなったりしてきている。

でも、ウミガメを保護が過激すぎると漁師さんは生きて行けないし、人間のエゴだけを考えて漁をむちゃくちゃすると、ウミガメが絶滅してしまう。それは日本だけでなく、世界が抱える問題なんですよね。あとは、その国の漁師さんによってウミガメに関することをよく知らない人もいるわけで・・・

【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴
定置網にかかるウミガメの姿(日本・種子島)©Mitsuharu Kume

【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴
刺し網の様子。ここにもウミガメがかかることがある(メキシコ)©Mitsuharu Kume


—漁以外にも、ウミガメをとりまく環境で危機感を抱いていることはありますか?

海岸構造物による原因が大きいとされる砂浜の浸食ですね。砂浜が日本から消えていく。種子島もそうですけど、湘南もそう、全国的にです。砂浜が無くなることが、ウミガメにとっては大きな問題ですね。ウミガメは砂浜に産卵する生き物なので。

海岸の砂は、多くの自然のサイクルが左右してそこに堆積しています。
しかし、例えば人間がダムを作ったことによって、山の砂が海に流れてこなくなったり、他にも、川を護岸してしまっていて、海まで流れてくる川の水に砂が含まれていないっていうのもある。あとは、波で浸食されるはずの山が、テトラポットで囲まれているので浸食されなくなっているから砂が供給されないっていうのもあるだろうし。ここ数十年の、日本の波消ブロック(テトラポッド)文化がはじまってから、大きく潮の流れを変えてしまっているんです。私たちが自然のサイクルをせき止めてしまった。

このまま海岸の浸食が進めば、ウミガメだけでなく、漁業にも影響がでる。でも、問題はそれだけではおさまらないと思います。海岸浸食によって穏やかで安全な海はなくなっていき、こども達が海で遊んだり、釣りをしたり、人が海を通して自然と触れ合う機会はどんどん少なくなっていくでしょうね。

理由ばっかり分かるんですけど、解決法が分からない。これが大問題です。


—ウミガメの生態系を知ることで、色々と分かることがありました。掘り下げていくと、私たちにとってウミガメは、今地球で起こっていることを知る、一つのきっかけでもある気がしています。

そうですね。ウミガメの危機が私たちに気づきを与えてくれることは多いと思います。ウミガメと人間は関係ないと思ってしまうかもしれませんが、同じ自然界に生きる生き物なので、影響し合わないわけがないんですよね。

今はこども時代から自然と触れ合う機会がどんどん減ってきていて、自然界がおかしいことになっている、というのも分からないこども達がたくさんいます。種子島に住んでいる子でも、海から離れているとそういうことが分からないんですよ。都会にいれば尚更ですよね。

だからなのか、最近では自然崇拝というか、人もウミガメもみんな自然の一部という考えが消えていっているように感じます。
インディアンとか日本の古い風習にもありますが、木を一つ切るには感謝があるじゃないですか。そういうのって、とても大切なんじゃないかなって思います。


— 深いメッセージですね。人間は自然から多くのことを学んでいただけに、自然と離れていくと、大切なことも忘れてしまう、そんな気がしました。
最後に、久米さんのこれからの目標を教えてください。

「ウミガメを追いかけ、写真を撮りながら、ヨットで太平洋横断!」ですね(笑)その夢が、全ての原動力になっています。


【インタビュー】天ぷら油で日本一周/ウミガメ写真家 久米満晴

——————
久米満晴 プロフィール

1969年東京深大寺生まれ。ウミガメ写真家、NPO法人タートルクルー理事長。
波の写真を撮りに1997年種子島に移り住み、半撮半漁の生活を始める。
2005年久米満晴写真研究所設立 2012年特定非営利活動法人Turtle Crewを立ち上げ、
ウミガメの目線から自然の素晴らしさや楽しさ、現状を伝える活動を行なっている。

・写真集「caguama
・久米満晴写真研究所(公式HP):http://www.kumemitsuharu.com
・特定非営利活動法人Turtle Crew(NPOタートルクルー):http://www.turtle-crew.com
・公式Facebookページ:特定非営利活動法人Turtle Crew


[Interview Photo by:MASASHI YONEDA]
[写真提供:Mitsuharu Kume]
※当記事に掲載されている画像を無断で使用することを厳しくお断りします

米田ロコ

LOCO Yoneda フリーランスのライター・編集者。
自由と自然を愛し、Vanlifeにて日本を旅する。TABIZINE初代編集長。

, | インタビュー