秋風に心が波立ったなら、文学に親しんでみましょうか。西洋文学も良いけれど、百人一首を紐解いてみましょう。秋ですから、いにしえの世界に物思いを馳せるのも良いものですよ。
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
素性法師(古今集)
【現代意訳】
「今から逢いに行くから」の嬉しい言葉に、秋の月を眺めながらお待ちしていたのに、夜明けの月が空に昇ってもお出でにならないとは。
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里(古今和歌集)
【現代意訳】
月を眺めていると、さまざまな想いに物哀しくなるのはなぜでしょう。秋は私ひとりに切なさを運ぶわけではないでしょうに。
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
藤原義孝(後拾遺集)
【現代意訳】
あなたのためなら命も惜しくはないけれど、逢えた喜びに、いつまでもあなたとこうして生きていたいと欲深くなってしまいます。
瀬を早み 岩にせかかる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ
崇徳院(詞花集)
【現代意訳】
岩に遮られた急流が二つに分かれてもまた一つの流れになるように、私たちも障害を乗り越えて、いつかきっと一緒になれることを信じています。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
平 兼盛(拾遺集)
【現代意訳】
あの人への恋心を内に秘めて、隠せていたと思うのは自分だけ。「誰か想う人がいるのですか」と他人に問われるほど、恋やつれしていたなんて。
筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
陽成院(後撰集)
【現代意訳】
筑波の頂きから流れる細い男女川(みなのがわ)が、水嵩を増して深い淵となるように、私の恋心も日に日に想いが募り、底が見えないほどになってしまいました。
1000年ほど前の歌人たちが詠んだ歌は、なんて情熱的なのでしょう。気持ちを伝える手段が限られていたこの頃、歌人たちは逢えない時間に想いを募らせ、次回の逢瀬を待ち焦がれたのです。
便利な携帯電話やメールは、もしかしたら、私たちが「情熱的になる」気持ちを遠ざけているのかもしれません。たまには、携帯のスイッチはオフにして、あなたの恋心をオンにしませんか?
[意訳:青山沙羅]
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