白川郷(世界遺産)
津軽海峡を挟んだ縄文時代の遺跡群(北海道、青森、秋田、岩手など)
三内丸山遺跡
最初は、津軽海峡を挟んで点在する、北海道や東北北部の縄文時代の遺跡群になります。例えば青森市の三内丸山遺跡などは、どこかで耳にした経験のある場所の名前ではないでしょうか。
三内丸山遺跡と言えば、あの巨大な掘立柱建物、通称「六本柱」が有名。その巨大さは写真では伝わってこない迫力がありますので、ぜひとも実物を確かめたいですよね。
大湯環状列石
ほかにも同じ東北の縄文時代の遺跡として、国の特別史跡にも指定される秋田県男鹿市の大湯(おおゆ)環状列石もあります。
こうした北海道、東北に目立って見られる縄文時代の遺跡群(17カ所)は、すでに日本の世界遺産暫定リストに入っています。世界遺産への登録は、まずこの暫定リストの中から1カ所が厳選され、世界遺産委員会に国から推薦書が送られます。
その後の審査で、リスト入りが決まったり見送られたりするのですね。まだ推薦書が送られる段階には至っていませんが、少なくとも国の暫定リスト入りは果たしている候補地です。その意味で第1段階はクリア。「ネクスト世界遺産」の候補の1つに入る名所ですね。
佐渡の金山(新潟)
次は日本の「宝島」、佐渡島になります。佐渡島と書いて「さどがしま」と読むこの離島も、国の世界遺産暫定リストに入っています。その理由は、いわゆる「黄金の国ジパング」の伝説を支えた金山として、日本の歴史を変え、世界の経済にも影響を与えたから。
特に江戸時代、佐渡で金をたくさん生んだ鉱山は、相川金銀山になります。相川とは島の北西部、佐渡弥彦米山国定公園に指定される島の北の海岸線(外海府海岸)沿いに、金北山という山があります。その山の南部、尖閣湾のさらに南に相川という土地があり、その山中に当時、最もにぎわった金山があります。
道遊の割戸
中でも道遊(どうゆう)の割戸と呼ばれる景観は有名で、人が金を掘り進めた結果、1つの山が割れるように2つになってしまった場所です。
1601年に金脈が見つかると、手掘りで採掘が進み、100年足らずで山が「割れて」しまったという跡地。佐渡旅行のハイライトにもなってくれる観光名所です。離島への旅行はただでさえ気分が高まりますから、コロナ後の旅行先としても最適ですね。
飛鳥・藤原の宮都(奈良)
藤原京跡
次は奈良盆地南部の飛鳥地方です。奈良県の南部ではありません。奈良県は南北に長く、奈良県南部というと紀伊半島のずっと奥、十津川村まで行ってしまいます。奈良県北部にある奈良盆地の南部(ちょっとややこしい表現ですが)に、飛鳥と呼ばれる地域があります。
このあたりの地図を開いてみるとわかる通り、盆地南部には史跡・名勝地、社寺が山のように密集しています。藤原京跡から始まって、橿原神宮、丸山古墳、高松塚古墳、神武天皇陵、橘寺、岡寺などなど。見栄えも実に美しい大和三山(耳成山、香久山、畝傍山)もあります。
平城宮跡
この辺りは、710年(和銅3年)に奈良盆地の北部に平城京ができるまで、言い換えれば、あの語呂「なんと大きな平城京」で覚えた歴史的な出来事が起きるまで、都が何度も転々としていたエリアになります。古代の政治の痕跡が色濃く残っており、極めて高い価値を持っているのですね。
先ほども書いたように、平坦な盆地に大和三山が盛り上がっており、その風景の中に歴史ある社寺が点在している一帯は、旅をしていて実に面白いエリアでもあります。南の山を越えれば吉野もすぐそば。世界遺産の登録の有無に関係なく、旅行先としては見どころが尽きません。
彦根城(滋賀)
ひこにゃんの本拠地である滋賀県の彦根。その琵琶湖畔の城下町のシンボルが、彦根城になります。彦根城と言えば、城好きには広く知られた存在。日本のお城で築城時の天守閣が残っているケースはごくまれで、国内にわずか12カ所しかありません。そのうちの1つが彦根城。もちろん、国宝ですね。
彦根城の魅力は、この天守だけではなく、城主の暮らしていた御殿、有力者の暮らしていた屋敷、庭園など、大名を中心とした武士の暮らしに関する遺産がたくさん残っていることにもあります。そのあたりの珍しさが、すでに世界遺産に登録されている姫路城との違いとして、アピールされているみたいですね。
確かに天守を含めたお城全体の迫力には圧倒されます。プラスして、世界遺産の評価には関係がないですが、琵琶湖からすぐ近くにあるロケーションも、旅先としては抜群に魅力的ですよね。
古都・鎌倉(神奈川)
最後は人気の観光地、鎌倉。一度は国から推薦されて、世界遺産委員会の評価を受けている場所です。その意味で、一度は世界遺産になりかけた有力候補。
しかし、鎌倉には幕府を開いた源頼朝が、まさに権力者として政治を行った権力の所在地(現在の国会や庁舎のような象徴的な場所)が遺構としても存在していない(発掘されていない)ため、鎌倉=武家の古都という普遍的な価値が証明できず、登録が見送られました。
鎌倉と言えば、鶴岡八幡宮、円覚寺、建長寺、浄妙寺、鎌倉の大仏など、幾つもの歴史的な名所が思い浮かびます。しかし、それぞれに歴史的に価値があったとしても、源頼朝が政治の拠点として仕事をした場所、あるいは住んでいた場所ではありません。
鎌倉=武家の古都として世界遺産に認められるためには、鎌倉幕府初代将軍が武家政治の創始者として政治を行っていた拠点(簡単に言えば、幕府の跡地)が物的な証拠として残っていないと、世界遺産には認められないとの判断になったのですね。その結果を受け、自治体も国も推薦を取り下げています。
源頼朝像
ただ、鎌倉は世界遺産入りを諦めていません。現在も関係者の間で話し合いは続いていますし、物的証拠となる幕府の跡地の発掘についても、2018年(平成30年)に鶴岡八幡宮近くにマンション建設が持ち上がった際、ニュースになっていました。その土地に鎌倉幕府の跡地が眠っていると考えられるからですね。
鎌倉はこの手の物的証拠がきちんと見つかってくれば、世界遺産がぐっと近づく場所。引き続き、応援したいですね。
[参考]
※ 現在および今後の取組 – 神奈川県
※ パンフレット「彦根城を世界遺産に」 – 彦根市
※ 「飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群」を世界遺産に – 世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会(奈良県、橿原市、桜井市、明日香村)
※ 「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産推薦へ 文化審が選定、2年後の登録目指す – 産経新聞
※ 佐渡島の金山 – 新潟県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室
※ 古田陽久『世界遺産ガイド-日本編-2020改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)
※ ようこそ三内丸山遺跡 – 青森県
※ 鎌倉の世界遺産登録ならずについて、鎌倉市長に聞いてみた – Excite
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