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「お年玉付年賀はがき」は郵便局員が考えた?年賀状の〇×クイズ5問

Posted by: 坂本正敬
掲載日: Jan 16th, 2021. 更新日: Jan 15th, 2021

お年玉付き年賀はがきの当選番号が発表されます。そこで今回は郵政研究所附属資料館が編集・発行した『-人と人の心を結ぶ―年賀状の歴史と話題』から、身近な年賀状の〇×クイズをつくってみました。全5問のうちいくつ正解できるか、チャレンジしてみてくださいね。

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年賀状2021

(C) Shutterstock.com


年賀状は明治以降から始まった習慣である、〇か×か

日本初の年賀切手

日本最初の年賀切手(1935年)photo from Wikipedia

年賀状といえば、随分と古くから日本人の習慣として根付いている印象があります。ただ、実際にはいつから始まったのでしょうか?

日本の郵便制度そのものは、欧米の文化がどっと流入してきた明治時代の初めに誕生しています。そう考えると、明治時代から年賀状を送る文化が始まったようにも思えますが、実際はどうなのでしょう。

郵政研究所附属資料館が編集・発行した『ー人と人の心を結ぶー年賀状の歴史と話題』を読むと、確かに現在の年賀状の直接的な始まりは、1873年(明治6年)に郵便はがきが発行され、新年のあいさつを述べる(年始回りをする)代替案として、一般庶民に利用されるようになった時点からだとわかります。

しかし、年始に書状を送る「年始状」の文化は、さらに古くからあります。手紙の作法の心得を説いた室町時代の書物『書札作法抄』には、

<年始ノ状ニハ正月十五日マデ慶賀ヲバ書事ナリ>(『書札作法抄』より引用)

と書かれているみたいです。要するに、公家社会に限っていえば、明治時代よりもはるか以前に、年始状を差し出す文化があったのですね。よって答えは×になります。

明治時代の一般家庭では多くの場合、年賀状を年明けから書いた、〇か×か

手紙

(C) Shutterstock.com

年賀状は年始のあいさつ回りを郵便はがきで代替させるところから、直接的な歴史がスタートしたと先ほど紹介しました。ただ、年賀状が社会全体に広まるまでの期間、実際にあいさつに出かける年始回りと、年賀状の送付が併せて行われる時期が続きます。

その間、明治時代の一般家庭においては、元旦(元日の朝)に年始回りを行い、その後の元日のうちに年賀状を書くケースが多かったといいます。さらに1月2日の書初めと一緒に年賀状を書く家もあったようです。

よって、答えは〇。年賀状は年明けから書くというケースが、明治時代の初期は当たり前だったのですね。

しかし、年賀状を送付する人が増えるにつれ、元旦に殺到する年賀状の扱いに郵便局が対応しきれなくなっていきます。

そこで現在にも通じる、年賀郵便物の特別取扱制度がスタートします。12月20日~30日の間に年賀状をあらかじめ集めておき、翌年の1月1日の日付印を押して、前もって配達局へ送ってしまう制度ですね。

この制度が始まってから、年賀状を年末に書くという今のスタイルが定着していったとわかります。

年賀状の配達中に遭難した郵便集配人がいる、〇か×か

郵便配達

(C) thotsporn Khunsilp / Shutterstock.com

年賀状を各家庭に届けてくれる郵便集配人、年賀状が行き交う年末年始は雪深い地域だと、仕事も大変そうです。

年賀状の歴史を振り返ってみると、例えば1906年(明治39年)に岩手県では、郵便集配人の小野寺多利之丞さんが、年賀状を携帯しながら猛吹雪の中で遭難し、高原の雪の中で死亡した事故が起きています。

降雪地帯においては、同様の事故が明治、大正、昭和の初期と発生しています。寒さの厳しい屋外で遭難し、殉職した郵便関係者が、実際に存在しているのですね。よって答えは〇です。

年賀状は第二次世界大戦中も送られ続けていた、〇か×か

東京大空襲

3月10日未明空襲後の浅草松屋屋上から見た仲見世とその周辺 image from Wikipedia

年賀状の文化は長い歴史を持ちますが、例えば第二次世界大戦が起きている間も、日本人の間で送られ続けていたのでしょうか?

答えは、表向きにいえば×です。年賀状は第二次世界大戦の最中、完全に停止されました。その理由は、紙の消費を節約し、国家の資源を確保したい国策上の狙いがあったからです。

まず、年賀切手が開戦前に中止され、開戦の1940年(昭和15年)には、年賀特別郵便の取り扱いが停止されました。「年賀郵便取扱い量の変遷」を見ても、1945年(昭和20年)の取り扱いは、0になっています。

ただし、近しい人間関係の中では、細々と交換され続けていたみたいです。戦時中の肩身の狭い中でも、年賀状を送り合う文化は、かろうじて維持されていたのですね。

年賀用のくじ付きはがきは、当時の郵便局員が考えた、〇か×か

お年玉付郵便はがき

最初に発行されたお年玉付き郵便はがき、右側が寄附金付き image from Wikipedia

デジタル社会になった今、年賀状を続ける理由は、年賀はがきの「お年玉」だけだという人もいるかもしません。この楽しみは、どのような経緯で始まったのでしょうか?

『-人と人の心を結ぶ―年賀状の歴史と話題』によれば、戦後の1949年(昭和24年)に、郵政省とは関係のない外部の民間人が、思い付きで持ち込んだ企画だとわかります。

大阪で用品雑貨の会社経営をしていた人が、最初に郵政局に企画を持ち込み、次いで上京して、本省に見本のはがきと宣伝用のポスター、お年玉の商品案を持参したといいます。その背景には、戦中の混乱で分断された人間関係を復活させるツールとして、年賀状が最適だったという事情があります。さらに、年賀状にお年玉くじが付いていれば、夢があるという思いも、考案者にはあったそう。

実現までには内部でかなりの議論があったといいますが、結果として今も続いている制度です。よって答えは×。内部の人間ではなく外部の人間が考えたアイデアだったのですね。

以上、年賀状に関するクイズを出題しましたが、何問正解できたでしょうか?今年の当選確認は、以上のような歴史を意識しながら行うと、いつもよりも楽しく感じられるかもしれませんよ。

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター
翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。


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