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知ってた?ベルリンの壁は、ある男性の「勘違い」によって崩壊した

Posted by: 春奈
掲載日: Jan 3rd, 2019.

28年間にわたってベルリンを分断し、数えきれないほどの悲劇を生んだ「ベルリンの壁」。ベルリンの壁崩壊は、ある男性の「勘違い」によって、突然引き起こされました。その勘違いは、のちに「歴史上最も素晴らしい勘違い」とも称されることになったのです。

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28年間にわたってベルリンを分断し、数えきれないほどの悲劇を生んだ「ベルリンの壁」。歓喜に沸く民衆がハンマーで壁を壊す映像は、誰でも一度は見たことがあるはずです。

ベルリンの壁崩壊は、ある男性の「勘違い」によって、突然引き起こされました。その勘違いは、のちに「歴史上最も素晴らしい勘違い」とも称されることになったのです。


東西に分断されたベルリン

第2次世界大戦の敗戦を受け、ドイツはアメリカとフランス、イギリス、ソ連の4か国によって統治されることになりました。米仏英によって統治されたのが、資本主義の西ドイツ。そして、ソ連による統治を受けたのが、社会主義の東ドイツ(ドイツ民主共和国)でした。

ベルリンは東ドイツ領内に位置していましたが、ドイツ統治の要とみなされたことから、西ベルリンは米仏英、東ベルリンはソ連によって共同管理されることに。ベルリンは東西で資本主義陣営と社会主義陣営に分断されるという、特殊な状況に陥ったのでした。

一夜にして築かれた「壁」

その日は突然にやってきました。1961年8月13日、東西ベルリンの境界線が封鎖され、西ベルリンをぐるりと取り囲む「壁」が築かれます。ベルリンの壁が建設されたのはベルリン市民が寝静まっている深夜。

朝起きて、突然の壁の出現を目の当たりにした人々は言葉を失います。それまでは東西ベルリン間の行き来ができていたわけですがから、東ベルリンに住み、西ベルリンで働いていた人々もいましたし、たまたまその日に家族や友人を訪ねて越境していた人もいました。

突然の壁の建設によって、多くの人々が職を失ったり、家族と離れ離れになったり、自宅に帰れなくなったりしたのです。

東ドイツの圧政の象徴

ベルリンの壁1

(C) Haruna

ベルリンの壁が建設された理由は、東ドイツからの人口の流出を防ぐため。ソ連の影響を受けた社会主義政府の圧迫により、自由を制限され、資本主義の西ドイツとの経済格差に苦しんでいた東ドイツの人々。

ベルリンの壁が建設されるまでは、東ベルリンから西ベルリンに入ることは比較的容易だったため、西ベルリンを経由して西ドイツへと逃れる東ドイツ国民が続出しました。

それに対し危機感を覚えた東ドイツ政府は、「自国民が逃げられないように」壁を建設。資本主義陣営からは「恥の壁」と呼ばれました。

多くの悲劇を生んだベルリンの壁

その後、崩壊を迎えるまで28年間にもわたって東西ベルリンを分断したベルリンの壁。壁が建設されてからもなんとか東ドイツを脱出しようとする人は後を絶たず、壁を越えようとし東ドイツの国境警備隊に射殺されるなどして命を落とした人々は、少なくとも130人以上(200人前後とする説もあります)。

トンネルを掘ったり、気球で飛んだりして脱出に成功した人もいましたが、東ドイツからの逃亡はまさに命がけでした。

突然の壁崩壊

その建設同様、ベルリンの壁の崩壊も突然でした。

1989年11月9日、東ドイツを率いる社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーは、記者会見の場で、これまで厳しく制限してきた西ドイツへの出国を大幅に緩和すると発表。「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言したのです。

それに対し、記者からいつから出国が認められるのかと問われたシャボウスキーは、「私の理解では、ただちに」と返答。ニュースを知った民衆が検問所に押し寄せ、ベルリンの壁を突破していきました。

勘違いが壁崩壊につながった

ベルリンの壁2

(C) Haruna

実は、シャボウスキーが会見で発表したこの内容は、本来の東ドイツ政府の意図とはまったく異なっていました。

東ドイツ政府が外国旅行の自由化を決議した事実はありましたが、それは翌日の10日午前4時までは発表してはならない内容だったことに加え、そもそも旅行の自由化はベルリンの壁からの出国を除く決議でした。東ドイツ政府は、すべての国民の自由な出国など認めるつもりはなく、国内で抗議活動を行う一部の不満分子を追放することを狙っていたのです。

ところが、その計画が話し合われた会合に出席していなかったシャボウスキーは、うっかり解禁前の内容を発表してしまったばかりか、「すべての検問所から出国が認められる」「ただちに発効される」と勘違いしたまま発言してしまったのです。

歴史上最も素晴らしい勘違い

ベルリンの壁3

(C) Haruna

ハンガリーの民主化や、自由を求める東ドイツ国民によるデモの拡大など、ベルリンの壁崩壊につながる動きはあったものの、壁崩壊の直接的な引き金になったのは、シャボウスキーのこの会見。この出来事は「歴史上最も素晴らしい勘違い」ともいわれ、シャボウスキーは、「歴史を変えた男」と称されました。

ベルリンの壁崩壊翌年の1990年、ついにドイツの東西統一が実現。ベルリンの壁は、いまや冷戦を象徴する「観光スポット」となり、ベルリンはヨーロッパで最もエキサイティングな街として、世界中から多くの旅行者を迎え入れています。

ベルリンの壁については、『ダークツーリズム連載【1】冷戦を象徴する「ベルリンの壁」はたった1日で建設された』『ベルリンの壁崩壊25周年。15kmに渡る壁を光で再現した映像が感動的!』でもご紹介していますよ。

[Photos by shutterstock.com]

春奈

Haruna ライター
和歌山出身、上智大学外国語学部英語学科卒。2度の会社員経験を経て、現在はフリーランスのライター・コラムニスト・広報として活動中。旅をこよなく愛し、アジア・ヨーロッパを中心に渡航歴は約60ヵ国。特に「旧市街」や「歴史地区」とよばれる古い街並みに目がない。半年間のアジア横断旅行と2年半のドイツ在住経験あり。現在はドイツ人夫とともに瀬戸内の島在住。


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