国宝や国指定文化財に指定される「群馬の埴輪」
群馬県と言えば北関東の一角をなす県で、高崎のだるまや嬬恋村のキャベツ、草津を代表とする各地の温泉街など、いろいろな魅力があります。前橋市が進めている官民連携のまちづくりも最近は注目を浴びていますよね。
そんな群馬が誇る日本一はいろいろありますが、今回は、もしかしたらあまり知られていないかもしれない群馬の「埴輪(はにわ)」に注目してみましょう。
埴輪とは、人や馬などの形でよく知られる素焼きの土製品のこと。
かつて古墳の上や周囲に立てられていた埴輪の中には、東京国立博物館が所蔵する国宝「埴輪武装男子立像(挂甲の武人)」など、国宝や国指定文化財にも指定される出土品もあって、文字による記録が一般に普及していなかった時代の世界を物語ってくれる貴重な資料となっています。
この埴輪、日本の至るところで見つかっているわけですが、国宝や国指定文化財に指定される質の高い埴輪が多く出土しているのは、どこだと思いますか?
流れからもお察しのとおり、群馬県です。一般的な注目度が普段から高いとは決して言えない県なので(筆者個人は嬬恋村に住んでいた時期があるのでずっと注目しています)、まじまじと地図を見る機会もそれほど多くはないかもしれませんよね。
そこで、Googleマップで「群馬 古墳」と一度検索してみてください。
太田天神山古墳 image by 地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院 from Wikipedia
意外にも、県内のそこかしこに古墳が存在しているとわかるはず。群馬県の公式サイトによると、県内には大型古墳が全国でも4番目に多く存在するらしく、群馬県太田市にある太田天神山古墳は東日本でもっとも大きいのだとか。
大型古墳(大規模古墳)というと大阪府や岡山県、奈良県、京都府など関西方面に集中しています。しかし、東日本の群馬にも西日本に負けない規模の古墳が存在しているのですね。
「東国文化」から「埴輪王国」へ
綿貫観音山古墳出土 image by Saigen Jiro from Wikipedia
そもそも古墳とは偉い人たちのお墓でした。そのお墓の上や周囲に置かれた埴輪には、死者の魂を守る・癒やす役割を与えられたのです。
関西に負けない大きな古墳も存在する群馬では、古墳から出土する埴輪の数が日本一と言われ、日本で最初の埴輪の国宝「埴輪武装男子立像(挂甲の武人)」や3人のみこが造形された国内唯一の「三人童女」の国宝など、出土品の質にも恵まれています。
こうした背景も受けて、群馬県はこのところ売り出し方を「東国文化」から「埴輪王国」へ変えたようです。「埴輪王国」の前の「東国文化」とは、群馬の古墳の基盤となる関東地方で栄えた古い文化圏を意味します。
政治・経済・文化の中心だった近畿地方に対して、関東にも大きな文化圏=東国文化があり、その中心地が現在の群馬だったというわけです。そのために、その時代の有力者たちのお墓が古墳として多く残っているのですね。
東京周辺に暮らす人からすれば、ショートトリップの行先として群馬は選びやすい距離にあります。温泉旅行などで群馬に訪れる際には、埴輪や古墳に注目して関連施設にも注目してみると、また違った旅の奥行きが楽しめるかもしれませんよ。
[参考]
※ 日本一の埴輪県群馬の逸品 – 高崎新聞
※ ぐんまのトリビア
※ もっと埴輪(はにわ)や古墳について学んでみよう! – 群馬県
※ 国宝 ゴールイン! 群馬・綿貫観音山古墳の埴輪、銅水瓶など3,346点 – 美術展ナビ
※ 注目される「前橋モデル」。なぜ独自路線のまちづくりができるのか – NEWSPICKS
※ 群馬がいちばん
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