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【日本三大焼き物(陶磁器)】岐阜「美濃焼」・愛知「瀬戸焼」・佐賀「有田焼」の歴史と特徴とは?

Posted by: あやみ
掲載日: Feb 4th, 2024.

日本三大焼き物(日本三大陶磁器)に挙げられるのは、岐阜県東濃地方の「美濃焼」、愛知県瀬戸市とその周辺の「瀬戸焼」、佐賀県西松浦郡有田町とその周辺の「有田焼(伊万里焼)」です。いずれも一度は聞いたことがある焼き物の名前ですよね。そこで今回は、それぞれの焼き物の歴史と特徴についてご紹介します。

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有田焼
 


 


1400年の歴史を持ち、人々から愛され続けている「美濃焼」(岐阜県東濃地方)

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美濃焼の始まりは、約1,400年前の飛鳥時代に焼かれた須恵器(すえき/窯を使い、高い温度で焼きしめてつくる焼き物)と呼ばれる土器だとされています。平安時代には須恵器のほか、土師器(はじき)や灰釉(かいゆう)、鎌倉時代には山茶碗や古瀬戸(こせと)、灰釉(はいゆう)、鉄釉(てつゆう)といった種類の陶磁器が焼かれていたそうです。室町時代後期になると、山の頂上付近に大窯(おおがま)が築かれ、焼き物が作られるようになりました。

そして、桃山時代に入ると千利休や古田織部などによる「茶の湯」の流行から、茶陶の世界が誕生。灰釉に長石(ちょうせき)を加えた「灰志野(はいしの)」を作り出し、続いて、長石だけの「志野(しの)」が作られるようになりました。それから、日本初の筆書きの文様付が可能に。

その後、山の斜面を利用した「連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)」と、焼き物「織部(おりべ)」が生まれました。このように桃山時代に、黄瀬戸・志野・織部・瀬戸黒といった日本を代表する焼き物が生まれ、美濃焼は黄金期を迎えたのです。

美濃焼
©️一般社団法人岐阜県観光連盟

さらに、江戸時代になると日常生活で使われる食器が大量生産されるように。幕末には、白くて硬い磁器が作られ始めて、生産性も向上。現在は、全国生産の50%以上を生産する陶磁器の生産地です。

また、美濃焼は、「特徴がないのが特徴」ともいわれています。時代とともに多岐にわたる姿形、色彩の焼き物が誕生し、人々から愛され、求められ続けているので、現代の食卓にもなじみやすいのが魅力です。

鎌倉時代に加藤景正が中国の陶法を伝えたのが起源!?「瀬戸焼」(愛知県瀬戸市とその周辺)

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古く縄文時代に始まった焼き物ですが、東海地方では5世紀後半に猿投窯(さなげよう)で須恵器の生産がスタートしました。9世紀前半になると、須恵器に代わり植物の灰を釉薬にした灰釉陶器が焼かれるように。これは当時、瓷器(しき)と呼ばれていたと考えられており、京や有力寺院を中心に提供されていました。

このように東海地方の窯業が成長していくなかで、瀬戸内では11世紀初頭に灰釉陶器を焼いていたとされる窯が、瀬戸市南部の幡山地区に分布していることから、その頃から窯業が始まったと考えられています。

さらに、鎌倉時代に加藤景正が中国の陶法をこの地に伝えたのが、瀬戸焼の起源ともいわれています。鎌倉中期から中国陶器の器形を模倣した施釉陶器を量産。その後、仏花器や茶器なども作られるようになりました。

また、室町時代末期頃までの焼き物は「古瀬戸」と呼ばれており、主に唐物(からもの)を模した茶入で知られています。

そして、桃山時代から江戸時代初期にかけては、「茶の湯」の流行により、瀬戸黒・志野・織部・黄瀬戸といった茶器が多く焼かれたほか、日用雑器も作られるようになりました。

江戸時代後期になると、加藤民吉が有田で染付磁器の製法を学んで持ち帰ったことから、磁器の生産が今日まで盛んです。

瀬戸焼の一番の特徴は、さまざまな釉薬を使った焼き物だということ。釉薬とは陶磁器の表面を覆うガラス質の薄い膜のことです。植物の灰を使用した釉薬や、酸化鉄を呈色剤とした釉薬などがあり、いずれも深みのある色味で目を引きます。

ヨーロッパの万博にも出品された日本初の磁器「有田焼(伊万里焼)」(佐賀県西松浦郡有田町とその周辺)

伊万里焼の巨大な花瓶
16世紀末、豊臣秀吉の命により朝鮮に出兵した佐賀藩主・鍋島氏は、朝鮮人の陶工である金ケ江三兵衛(李参平)を日本に連れて帰りました。17世紀初頭に有田に移住した金ケ江三兵衛が、泉山で磁器の原料となる陶石を発見したことから、日本初の磁器である有田焼の製造が始まったと考えられています。当時は伊万里港から出荷されていたため、「伊万里(いまり)焼」とも呼ばれているのです。

初期の有田磁器は、中国陶磁の影響を受けており、染付の磁器が主流で素朴な印象でした。上絵付けが始まったのは、1640年代のこと。初代・酒井田柿右衛門が成功したとされています。これは陶磁器用の絵の具で釉薬の上に彩色を施す技法で、磁器に多彩な色をつける、当時は画期的な技法でした。

その後、「初期色絵様式」や「柿右衛門様式」、「鍋島様式」などを経て、現代にも引き継がれている様式「金襴手様式(きんらんでようしき)」が誕生。これは、濃い染付に赤や金の絵の具を贅沢に使って、花文様などを器面いっぱいに描く様式です。

そして、明治時代にはヨーロッパを中心に盛んに開催された万国博覧会で、有田焼は名声を得ます。現在の有田焼も食器や美術工芸品の生産が中心ですが、タイル、碍子、耐酸磁器など工業製品の製造も行われています。

有田焼はガラス質の原料を多く含む陶石を使用しているため、白く滑らかな印象ですが、硬く耐久性に優れているのが特徴的です。

[参考]
美濃焼伝統工芸品協同組合
瀬戸焼振興協会
ありたさんぽ
佐賀県陶磁器工業協同組合

[Photos by Shutterstock.com]

あやみ

Ayami ライター
フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。


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