シェイブアイス、スパムにぎり、アロハシャツなど、知らない人はいないであろう「ハワイの名物」。実は、日本の文化が深い影響を与えて、誕生したものばかりなのです! 19世紀終わりから20世紀初頭、多くの人が日本から新天地での夢を抱いて、ハワイに渡りました。彼ら「日系移民」の独特な文化背景からハワイ名物に生まれ変わったというのです。1900年初頭、どんな物語があったのか、ご紹介していきましょう。
「アロハシャツ」を生み出した、もったいない思想
ハワイでは結婚式などの正装としても着用される「アロハシャツ」。まさに国を代表するアイテムといえますが、そんなアロハシャツもまた日本人の文化から生まれたハワイ名物だといわれています。
貧しい日本での暮らしを変えようと海を渡った日系移民の方々の大半が、サトウキビ畑の労働者として働いていました。当時、農園で働く労働者たちは「バラカ」と呼ばれる開襟のシャツを着用していました。日本から移住した労働者たちは、日本から「宝物」として持参した着物を大事にタンスにしまっていましたが、常夏のハワイでは着る機会がない。そこで、有効に使うためにバラカシャツの形に仕立てて、着るようになったといわれています。
「もったいない」という日本独特の思想から生まれたそのシャツ。着物の和柄や色合いが現地の方々には「かっこいい!おしゃれ!エキゾチック!」と新鮮に見えて「着てみたい」という声が多発。1900年代はじめに、そんな日本人のシャツを真似して市販で売られるようになったそうです。その後、観光でやってきた欧米人たちもお土産として買い求め、人気が広がり現在の「アロハシャツ」へと生まれ変わりました。
近年「もったいない」文化が見直されてエコ習慣が注目されていますが、こうしてみると昔の日本では当たり前にリサイクル生活をしていたのですね。
冷たくて美味しい「シェイブアイス」の誕生秘話
レインボーカラーがなんともハワイらしいシェイブアイス。ハワイ名物のひとつですが、これも日本人が生み出したグルメなのです。行列が耐えないと有名な「マツモトシェイブアイス店」は、1951年2月開業。ハワイ移民労働者として日本からハワイに渡った先代の松本守氏が考案したといわれています。
もともと開店当初は「マツモト・ストア」という名前で、缶詰、食品などお客さんから要望があれば何でも売りますという便利な日用雑貨店でした。
1日中炎天下の下で働くサトウキビ畑で働く労働者の方々が、「ハワイは暑いな~。のどが渇いて参っちゃうよ」と嘆く姿を見て、何か良いものはないものか・・・と考えた松本氏。「お店でカキ氷を売ったらどうかな?」という思いつきをしたそうです。 そこで、知り合いにお金を借りて、日本からカキ氷機を輸入して、シェイブアイス(shave ice)という名で売り始めました。
そのアイデアが大ヒット! 以来「matsumoto shave ice」という愛称で親しまれています。開業63年、ロコたちはもちろん、ノースショアを訪れる世界中のツーリストが訪れる名物店になりました。
日本の伝統とアメリカ軍保存食が生んだ「スパムおむすび」
ハワイに行ったら必ず食べておきたい名物料理として挙げられる「スパムむすび」(スパムおにぎり)。ハワイの郷土料理というイメージですが、こちらも日本独特の文化が深い影響を与えた名物グルメだといわれています。
日系移民の人々は、よく昼食に「おにぎり」「海苔巻き」を持参していたそうですが、この習慣と、当時アメリカ軍の保存食として太平洋の島々に普及した「スパム」が合体したとされています。
第二次大戦後、日系移民からハワイ在住日系アメリカ人になった人々が「スパムとお米が合う」と、その意外な美味しさを発見。第二次大戦後に「スパムむすび」として考案されて、当時日系移民が営んでいた食料品店やおかず屋さんでも扱うようになったのです。
「食べやすい」「手軽なお昼ごはんにぴったり」とじわじわ人気が広がり、今ではハワイ旅行でははずせない定番メニューに生まれ変わりました。日本、アメリカの食文化が見事に融合したスパムむすびは、こうして、多くの人から愛されるハワイ国民食の地位を確立したのです。
アロハシャツ、シェイブアイス、スパムむすび。その他にも、ハワイでは日本人独自の文化が影響を残して、名物に生まれ変わったものがたくさんあるといわれています。そんな物語を胸にハワイ名物を楽しむと、ひと味違った面白さが感じられそうですね。
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