春になると日本人なら誰しもが心揺さぶられる桜。日本人の心と切っても切り離せない桜には、古くから様々な異称が付けられてきました。
いにしえの日本人の心が詰まった、風流な桜の異称を7つお伝えします。
挿頭草(かざしぐさ)
「挿頭」とは、髪や冠に挿した草花のこと。
「ももしきの 大宮人は いとまあれや 桜かざして けふもくらしつ(大宮人は暇があるのかなあ 今日も桜を頭に挿して一日遊び暮らしていた)」
宮人の優雅で有閑な暮らしぶりを詠ったこの和歌がその名の由来なのだとか。満開の桜の下で戯れる、数百年前の宮人たちの優雅な姿が目に浮かぶようですね。
曙草(あけぼのそう)
なぜ「曙草」とも呼ばれるのか、その所以ははっきりとわかっていないそうですが、一説によると、曙(夜明け)にうっすらと空が紅に染まる様子が桜の色に似ていることからこの名が付けられたと言われています。
花王
牡丹を指すこともある「花王」ですが、多くの日本人にとって「花の王」といえば、やはり桜。なんとも儚い花でありながら、古来より日本人の心を捉えて止まない桜は、まさに花の王と呼ぶにふさわしいですね。
吉野草(よしのそう)
山桜の名所「吉野山」がその名の由来と言われる「吉野草」という名。吉野山には古来より日本に伝わる桜が数多く植わっており、桜の季節になると、200種類以上、実に3万本もの桜が咲き乱れます。山から山へどこまでも、淡く儚い美しさが吉野を包み込みます。
たむけ花
「手向け(たむけ)」とは、神様や仏様、死者の霊にお供え物を捧げること。江戸時代の浮世草子作家・井原西鶴が「手向け花とて、咲き遅れし桜を一本持たせけるに・・・(手向け花として、遅咲きの桜を死者に持たせてやる・・・)」と「好色五人女」に記したように、手向け花としてしばしば桜がお供えされたことから、この名が付いたそうです。また、古来より日本人は桜の木には神や精霊が宿ると考えていたそうで、神聖なお供え物としてふさわしい花だったのかもしれません。
徒名草(あだなぐさ)
「徒(あだ)」とは儚くもろい様を表す言葉。桜が儚く散り急ぐ様子から、徒名草と名づけられたのだとか。
また、これと似たもので「徒桜(あだざくら)」という桜を表す言葉があります。
「明日ありと 思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠んだのは親鸞聖人。
明日見ようと思っていた桜が、夜のうちに嵐で散ってしまうかもしれないように、世の中はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常さを説いています。
無常の世の中にありながら、桜が散り行く様子に「諸行無常」を感じる日本人の心は、今も昔も変わらないのですね。
夢見草(ゆめみぐさ)
夢のように美しくも儚く散ってゆく桜・・・。また、儚くも夢のように美しく愛おしい桜・・・。そんな桜をいにしえの日本人は「夢見草」と呼びました。なんともロマンチックで風流です。
以上耳にしたことがある言葉はありましたか?
いずれも、いにしえの日本人の心や風習と桜のつながりがよくわかるものばかり。普段あまり耳にすることはない桜の異称ですが、これからもずっと後世に伝えてゆきたいですね。
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