蒼く輝くアドリア海に、千を超える島を抱えるクロアチア。その中に、かの有名なマルコ・ポーロの伝説が残る美しい島が存在します。
その島の名は「コルチュラ島」。今回は島の魅力と伝説の謎について迫りたいと思います!
中世で時が止まったアドリア海の島
クロアチアを代表する観光都市、スプリットとドブロブニクのちょうど中間に位置するペリェシャッツ半島の先に浮かぶコルチュラ島。オリーブオイルやワインの生産が盛んな長閑な島で、かつてはヴェネチア帝国の一部であったことでも知られています。
島の中心である町の名前は、島と同じ「コルチュラ」。ヴェネチア時代の面影を色濃く残す、美しい古い街並みが広がります。
周囲を城壁に囲まれ、南北に目抜き通りが貫き、そこから東西に細い路地が伸びた旧市街。そのため、上空から眺めると魚の骨のような形を成してるユニークな町としても知られています。
中世のままの街並みが残る石畳の路地。風にはためく洗濯物の爽やかな音に誘われて見上げれば、明るい太陽と真っ青な空が目に飛び込んできます。
地図を持たずに歩いても迷いようのないほど小さな街。心と足が赴くままに散策を楽しんでくださいね。
アドリア海に浮かぶマルコ・ポーロの故郷
「東方見聞録」の作者であるマルコ・ポーロの生まれ故郷だという伝説が残るコルチュラ島。そんなこの島には、マルコの生家だと言われている家が現存しており、島の観光スポットとなっています。
「えっ!?イタリア人のマルコ・ポーロの生家がどうしてクロアチアにあるの?」そう思いませんでしたか? ほとんどの人は「マルコ・ポーロはイタリア人」そう学校で習ったのではないでしょうか。そんなマルコがどうしてクロアチアと関係があるのか・・・それはマルコが生きていた当時、コルチュラ島を含むクロアチアの沿岸部の一部はヴェネチア共和国の領土だったことに関係があるようです。
そもそも、マルコポーロの出生地については諸説あり、イタリアにも「マルコ・ポーロの生家」と言われる場所があるのだそう。マルコ・ポーロの「コルチュラ島出身説」の真偽は定かではありませんが、いずれにせよ、ここでもたくさんの国の影響や民族が交錯するクロアチアの複雑な歴史の一部を垣間見ることができます。
ここはマルコ・ポーロが生まれ育った島なのか、この美しい街並みと澄んだブルーは彼も目にしたのだろうか・・・。そんな伝説に考えを巡らせながら、コルチュラ散策を楽しんでください。
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