「摩天楼」ー高層建築を意味し、ニューヨーク、東京など高層ビルが立ち並ぶ現代の都会をイメージする言葉。しかし、中世に、すでに摩天楼の町があったのです。
さて今回は、緑の丘の上にまるで蜃気楼のように幻想的にたつ塔の町、中世の摩天楼「サン・ジミニャーノ」をご案内します。
サン・ジミニャーノという町
サン・ジミニャーノは、イタリア中部トスカーナ州の丘陵地帯、小高い丘の上にあります。その起源はとても古く、紀元前、エトルリア時代とされています。町はちょうど、ローマからアルプスを越えヨーロッパ大陸へ続く重要な街道フランチジェーナと、中世海洋国家として繁栄していた都市ピサへと続くピサーナ街道が交差する地点にあり、中継地として重要な町でした。また、高価な香辛料であるサフランや、白ワインなど、土地の産物もあり、サン・ジミニャーノは小さい町ながら、9〜13世紀には、多いに発展し、大きな富を得ました。
町の入り口には堅固な門が立ちはだかります。
堅固な門に守られた町は、今も中世の町並みをそのまま残しており、世界遺産にも登録されています。
こちらは町の中心、大聖堂(右)と、今は私立美術館となっているポポロ宮とキージの塔。
町を歩けば歩くほど、中世の時間軸へ飲み込まれていくような気さえしてくるくらい。この町はまるで時間が止まったかのように、中世の様子をそのままに残しています。
高い塔は立ち並び、そして時が止まった
さて、この町の特徴でもある何本も立ち並ぶ高い塔。これももちろん中世に建てられたものです。現在、14本残っていますが、13世紀には72本もの塔が建っていたそうです。
では、人々はなぜこのような高い塔をたくさん築いたのでしょう?
その当時、高い塔を建てることは、富の象徴でした。塔自体に特に機能はなく、その家がどれだけ多くの財産を持っているか、それを顕示するために、より高い塔が建てられました。重要街道の中継地として、豊かであったこの町も、家々が競い合うようにして、それぞれ高く美しい塔を建てたのでした。
しかし、時代の流れとともに、ただの飾りで不要であった塔は、その劣化につれ、そのほとんどが取り壊されていきました。では、なぜこの町に塔は残されたのでしょうか。
サン・ジミニャーノの町は、14世紀、フランチジェーナ街道が使用できなくなったこと、伝染病の流行と町の内部抗争により一気に衰退していきました。その急激な衰退で、塔を崩す経済的余裕すらなく、結果としてその美しい塔が残ったのです。
繁栄と衰退の幻影が見せてくれるもの
トスカーナの美しい緑の丘の上に、まるで蜃気楼のように幻想的にたつ塔の町。この小さな町に、当時は72本の塔が建っていたというのですから、高い塔で覆われてきっと空など見えなかったことでしょう。豊かさを顕示することにやっきになった人々は、いつのまにか本当の豊かさを見失ってしまったのかもしれません。それはちょうど現代の摩天楼で生活する人々が空を見上げることをいつしか忘れてしまうように。
その繁栄と衰退が残した幻想的な風景は、ただ美しいだけではない、大切な何かの軌跡を見せてくれている気がします。
[All Photos by Ryoko Fujihara]