第4回目は、奴隷貿易の悲劇を今に伝える「ゴレ島」。アフリカ最西端の国、セネガルの首都ダカールの沖合3kmに浮かぶゴレ島は、人類の負の歴史を語り継ぐ世界遺産でもあります。
奴隷貿易の拠点となった「ゴレ島」
東西300m、南北900mという小さなゴレ島。1444年ポルトガル人が入植して以降、オランダやイギリス、フランスが次々とゴレ島を統治。16世紀から19世紀にかけて奴隷貿易の拠点として栄えました。
奴隷貿易の面影を全く感じさせない現在のゴレ島。セネガル最古のモスクやカトリックの聖堂が残り、南国らしいカラフルな建物やレストランが軒を連ねています。
【1】冷戦を象徴する「ベルリンの壁」はたった1日で建設された
【2】あれから15年。同時多発テロの悲劇を伝える「9/11メモリアルミュージアム」
【3】栄華と没落のモーターシティ「デトロイト」
悲劇の歴史を今に伝える「奴隷の家」
1776年にオランダ人によって建てられた「奴隷の家」。ピンク色の陽気な外観からは想像もつきませんが、かつてこの建物に大陸各地から連行されたアフリカ人が収容されていました。現在では博物館として一般公開されており、奴隷貿易の悲劇や歴史を学ぶことができます。
奴隷商人の部屋として利用されていた2階。
連れて来られたアフリカ人は男、女、子供に分けられ、焼き印を押され、それぞれ2.6m四方の狭い部屋に20人程が押し込められたのだそう。彼らは鎖で繋げられ、何をされるかわからないままただ生きるだけだったのです。
ここで奴隷たちは値付けされ旅立ちの日まで監禁されましたが、体重が60kg以上に満たなければ太るまで無理やり食べさせられたのだとか。
“旅立ちの日”が来ると、奴隷たちは海に面したドアからアメリカ行きの奴隷船に詰め込まれて行きました。このドアを通って外へ出て行った人たちは、二度と生きてアフリカの地を踏むことがなかったことから「Door of No Return(帰らざる扉)」と呼ばれています。
何千kmにも及ぶ大西洋の船旅では、奴隷は鎖に繋がれたまま身動きさえできないような劣悪の環境で過ごし、命を落とした者はその場で鮫の餌とされてしまったのだそうです。この奴隷貿易によって新大陸に連れて行かれた奴隷の数は、少なくとも1500万人にものぼると言われています。
今日の世界経済や歴史にまで影響を及ぼした、奴隷貿易の拠点「ゴレ島」。人類の負の歴史を改めて知ることは、未来への教訓をより一層学べる機会になるのかもしれません。
【1】冷戦を象徴する「ベルリンの壁」はたった1日で建設された
【2】あれから15年。同時多発テロの悲劇を伝える「9/11メモリアルミュージアム」
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