夏休みの自由研究のように、心惹かれることについて、じっくり調べてみる。考えて、試行錯誤し、また考えて、まとめて、発表する。TABIZINEにもそんな場がほしいと思い【TABIZINE自由研究部】を発足しました。部員ライターそれぞれが興味あるテーマについて自由に不定期連載します。
筆者の連載では、常々不思議に感じていた、そして実は根拠のない自信にもつながっていると思われる「日本人の情緒」について考えていきたいと思います。
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今回は、日本が世界に誇る天才数学者、岡潔氏の言葉と照らし合わせながら、情緒について考えていきます。岡氏は、数学者でありながら、情緒や教育について独自の研究を重ね、多くの名随筆を残しました。
世の中の見え方はその人の情緒そのもの
『私たちが緑陰をみているとき、私たちはめいめいそこに一つの自分の情緒を見ているのです。せせらぎを見ているときも、「爪を立てたような春の月」をみているときも、皆そうなのです。だから他のこころがわかるためにも、自分のこころがわかるためにも、「情緒」がよくわかると非常によいのである。』(「心といのち」p195より引用)
たしかに、世の中の風景や出来事は、見る人の視点や気分により印象が変わります。ある人にとっては人生を変えるほど衝撃的だった風景が、ある人にとっては日常の風景であったり。忙しいときは気にとめなかった通勤路の花を、ある日ふと、「しみじみといい」と感じたりします。
つまり、見る人の情緒により、いろいろなものが風流にもなるし、つまらなくもなる。その見え方は、見る人の心の色どりそのもの。岡氏も、色どりという言葉をよく使っています。
『日本民族には、民族的情緒の色どりがあることを知ったわけです。』(「日本のこころ」p71より引用)
『日本民族は情の民族である。フランスには情という言葉はない。和英によると、英米にも情という言葉はない。(中略)ドイツについては、フィヒテの指す方向に情はない。情の色どりが情緒である。』(「数学する人生」p81より引用)
筆者も、連載第一回「【TABIZINE自由研究部】日本人の情緒について<1>色気ある空気の国」で、「情緒」という言葉を翻訳サイトで変換した「Emotion」は、ぴったりの言葉ではないと感じていました。
次に、他国在住のライターに尋ねてみた答えをご紹介します。
改めて、「情緒」を表す外国語について聞いてみる
さらに、フランス在住のTABIZINEライター、北川さんにもお聞きしてみました。
『Emotionはどちらかというと、個人の内から湧き出る感情に近い言葉なんです。私はフランスの大学院の卒業論文で「日本映画に見る戦後の日本人のアイデンティティ」というテーマを扱ったのですが、情緒などの日本人特有の感情や雰囲気はどういったものかというのを説明しなければなりませんでした。
「もののあはれ」など、情緒を表す言葉ってフランス語にはないんですよね。フランスにはない美的感覚なので、日本特有の情緒ある風景や情緒豊かな描写などに惹かれるそうです』
アメリカ在住のTABIZINEライター、トゥルーテルさんにもお聞きしてみました。
『emotionというのは、喜怒哀楽のようなはっきりした感情を表す語ですよね。だから辞書で言うところの「微妙な感情」にはそぐわず、違和感を覚えられたのだろうと思います。
それより私がもっとしっくり来るのは、sense「知覚」とかfeeling「感覚」とかtaste「好み」などです。「雰囲気」に寄せるなら、atmosphereとかmoodでもいいかもしれません。どれか一つ! と言われたらsenseかなぁと思います。厳密に情緒を表す単語はないかもしれませんね』
やはり、なかなか1つで言い表せる単語というと、難しいようです。だからこそ、その感覚が海外から不思議がられるのだと思いますが、岡氏の言葉に、気になるものを見つけました。
彼は、日本人の価値判断が昔の人と明治以後で180度違う、それは海外の価値判断が入って来たからだと言います。
『古人のものは、「四季それぞれよい」「時雨のよさがよくわかる」である。これに対応する私たちのものは、「夏は愉快だが冬は陰惨である」「青い空は美しい」である。特性を一、二あげると、私たちの評価法は、他を悪いとしなければ一つをよいとできない。刺激をだんだん強くしてゆかなければ、同じ印象を受けない。こんなふうである。これに対し古人の価値判断は、それぞれみなよい。種類が多ければ多いほど、どれもみなますますよい。聞けば聞くほど、だんだん時雨のよさがよくわかってきて、深さに限りがない。こういったふうである。芭蕉一門はこの古人の評価法に全生涯をかけていたのであった。この古人的評価の対象となり得るものが情緒なのである。』(「日本のこころ」p198より引用)
戦中、戦後を生きた岡氏にとっては、日本人の価値観が失われていくさまを見るようで、危機感を抱いたのだと思います。
しかし、現代を生きる筆者から見ると、明治以後も日本人の根っこに、まだこの価値判断は残っているように感じるのです。だからこそ、NOと言えない日本人、あいまいな日本人、他国のものをいとも容易く受け入れ加工してしまう日本人であるのではないでしょうか。そもそも、相手を否定しなければいけない必要性が、情緒的にわからないのです。
もちろん、ビジネスシーンでは岡氏の言うところの明治以後の価値観が加速しています。インターネットやSNSが発達して、ますますその傾向は強まっているようにも見えます。そんな中で、窮屈そうにしている人々、何か違和感を感じている人々は多いのではないでしょうか。そしてそれは、日本人の情緒からくる違和感なのではないかと思うのです。
岡氏は言います。「人の中心は情緒である」と。次回はその部分をもう少し掘り下げていきたいと思います。
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参考文献
「心といのち」岡潔著/大和出版
「日本のこころ」岡潔著/講談社
「情緒と創造」岡潔著/講談社
「岡潔集 第一巻」岡潔著/学習研究社
「春宵十話」岡潔著/角川ソフィア文庫
「数学する人生」岡潔著、森田真生編/新潮社