(C)福知山市
勝竜寺城公園/勝龍寺城土塁・空堀跡【長岡京市】
(C)Chika
織田信長の命を受けて、明智光秀の盟友だった細川幽斎が改修したのが勝龍寺城です。幽斎が居城していた頃、北側には2重の土塀があり、敵が攻めてきても簡単に中には入れない構造になっていました。現在は、勝龍寺城土塁・空堀跡を見ることができます。
(C)Chika
勝龍寺城の石垣
(C)Chika
勝竜寺城公園には細川忠興と妻玉(ガラシャ)像がある
ここ、勝龍寺城は幽斎の息子である細川忠興が、明智光秀の娘玉(たま/のちのガラシャ)を妻として迎え、2人が幸せな新婚時代の2年間を過ごした思い出の場所なのです。2年後、2人は丹後の宮津に移り住みますが、さらにその2年後に光秀によって本能寺の変が起こり、それぞれの人生が大きく変わりゆくことになるのです。
本能寺の変ののち、“山崎合戦”に敗れた光秀は、この城に逃げ込み、最期の夜を過ごしたといわれています。
(C)Chika
勝竜寺城公園は平成4年にできましたが、2019年11月にリニューアルオープンしました。美しい日本庭園を見ながら散歩できます。毎年11月の第2日曜日、ガラシャの輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」が行われ、非常に賑わいます。
(C)Chika
2階の展示コーナーは、戦国乱世を生き抜いた細川幽斎・忠興・ガラシャ・明智光秀の生涯がわかりやすくまとめられています。
住 所:京都府長岡京市勝龍寺13-1
電話:075-952-1146
開園時間:4月~10月 9:00~18:00
11月~3月 9:00~17:00
入園料:無料
休園日:なし (12月28日から1月4日を除く)
駐車場:有り
交通:JR長岡京駅から700m(徒歩10分)
勝龍寺城土塁 空堀跡
住所:京都府長岡京市東神足2丁目16-3
丹波亀山城跡【亀岡市】
(C)Chika
丹波亀山城は、織田信長の命を受けた光秀が、丹波攻略の拠点として築城しました。光秀が初めて城下町を作ったのも、この地でした。
(C)Chika
本能寺の変後も300年余り続いた丹波亀山城ですが、明治初頭の廃城令を受けて全てが払い下げられることになってしまったそう。その後、亀岡の宗教法人「大本」の教祖により、亀山城址が買い取られ現在の形に復元されました。
(C)Chika
現在は、復元された石垣を見ることができます。下から3分の1は、光秀が築城した当時の穴太(あのう)積みが残っています。
(C)Chika
石碑の上にそびえる大きなイチョウの木は、光秀の手植えと伝えられています。しかし、江戸中期に台風で倒れたため、後継ぎとして若木が植えられたとの記録が残っているそう。
光秀は、本能寺の変の前、愛宕山に参拝し神社のくじを2度3度引いたと言われています。そして1日半ほどをここ丹波亀山城で過ごしたそう。信長を討つことをここで決断したとも言われています。光秀がなぜ信長を討つに至ったのか、その真相はわかっていませんが、時は戦国。主君信長への忠誠心と反感の狭間で悩んだに違いありません。
「敵は本能寺にあり」と本能寺に向けて丹波亀山城を出発した光秀。信長を討つことを決断したといわれる丹波亀山城は、日本の歴史を変えた場所であるといえるでしょう。
住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1
TEL:0771-22-5561
福知山城【福知山市】
(C)Chika
光秀が築城した福知山城。石垣が有名なお城でもあります。天守台から本丸への石垣は野面積(のづらづみ)と呼ばれる積み方で、400年以上の年月を経て現在に至ります。
(C)Chika
元々は墓石に使われていた石を転用し、石垣に用いているのです。
光秀は福知山城を築城したあと、娘婿であった明智秀満を城代とし、この地の統治を任せました。本能寺の変や山崎合戦などの後、光秀や秀満は滅ぼされ、羽柴秀長をはじめとした城主を迎え、改修や増築が進められたようです。
(C)Chika
明治初頭の廃城令によって、福知山城も大半が失われることとなってしまいましたが、昭和61年に再建され現在の姿を見ることができるようになりました。
(C)Chika
城内は光秀や福知山の歴史に関する資料館となっており、古文書の実物などが展示されています。また、「上段の間」に光秀と家臣の人形が飾られています。これには意味があり、本来家臣は「上段の間」に上がって話をすることはありませんが、光秀は家臣を「上段の間」に座らせ、近い距離で話をしていたことを示すものなんだとか。
家臣を信頼し、できるだけ近い距離で意思の疎通を図った光秀の人柄を表しているのです。
(C)Chika
また昨年、福知山城では将棋のタイトル戦竜王戦が行われ、羽生善治竜王と広瀬章人八段が熱戦を繰り広げました。その対局場も見ることができますよ。
住所:京都府福知山市字内記5
電話:0773-23-9564
拝観:9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料:大人330円、子供110円
休業:年末年始(12/28~12/31、1/4~1/6)
交通:JR福知山駅から徒歩で15分
JR福知山駅から京都交通バスで5分
御霊神社【福知山市】
(C)福知山市
御霊神社は、光秀が祀られている神社です。謀反人と呼ばれ、裏切り者のイメージが強い光秀ですが、現在の福知山の礎を築いた名君として、地元では愛されている存在なのです。
(C)福知山市
住所:京都府福知山市中ノ町238
電話:0773-22-2255
交通:JR福知山駅から徒歩で10分
盛林寺【宮津市】
(C)Chika
山崎合戦で敗れた後、豊臣秀吉によって本能寺に晒された光秀の首塚。光秀の娘であったガラシャの元に届けられ、盛林寺の供養をうけたといわれています。
(C)Chika
盛林寺の中に入っていくと、光秀の首塚の場所を示す石碑があります。
(C)Chika
この道を歩いていくと光秀の首塚があります。
(C)Chika
(C)Chika
光秀の首塚。こちらの石にも「光秀の首塚」と書かれているのが見えるでしょうか。
住所:京都府宮津市字喜多696
電話:0772-22-4481
話す自販機!?光秀ラッピングの自販機を見つけてみては【福知山市】
(C)Chika
福知山の礎を築いたとして地元で愛される光秀。福知山市内には、諏訪原寛幸氏のイラストが描かれた「福知山限定 明智光秀が話す自動販売機」が6台設置されています。
自販機に入れたお金が足りずボタンを押した際には、光秀がゆかりの深い戦国武将の名前を叫ぶそうですよ。誰の名を叫ぶかは、試してみてのお楽しみ。
こちらも必見!「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」【亀岡市】
2020年1月11日(土)に京都スタジアム内に新しくオープンする、「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」。大河ドラマで実際に使用された衣装や小道具の展示はもちろん、ロケメイキング映像の上映など、大河ドラマの世界観を存分に味わえる施設です。この施設は関西ではここだけ!
現在、前売券を販売中なので、足を運ぶつもりの方はお早めに。前売り券は大人(高校生以上)480円、小人(中学生・小学生)240円です。
開催期間:2020年1月11日(土)~2021年1月11日(月・祝)
※開催期間は予告なしに変更する場合がございます。
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
※初日のみ、開会行事等による時間変更がございます。
詳細については後日、告知いたします。
※繁忙期には開館時間の延長があります。
休館日:無休
会場:京都スタジアム内特設会場(JR亀岡駅北口すぐ)
住所:京都府亀岡市追分町
お問い合わせ:入場券販売管理センター
TEL:06-7652-0310(2019年8月1日~12月27日、平日のみ)
FAX:06-7652-9035
※開館までは土日祝及び年末年始はお休みとなります。
※「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」開業に伴い、
お問い合わせ先が変更となります。
変更後のお問い合わせ先は、HPに後日掲載されます。
HP:https://kyoto-doramakan.jp/
チケット:当日券 大人(高校生以上)600円
小人(中学生・小学生)300円
チケット券売所:亀岡市観光協会
近畿日本ツーリスト関西(京都府内支店一覧はこちら)
※その他、お近くの店舗をお探しになられる場合はこちらからご確認ください。
亀岡コンベンションビューロー(ガレリアかめおか内)
明智光秀。彼が織田信長に仕えるようになってから、本能寺の変、そして山崎合戦と、戦国時代に生きた様子は皆が知るところではありますが、その生い立ちなど彼の半生について詳しいことはわかっておらず、謎の多い戦国武将でもあります。ゆかりの地を巡り、彼の足跡を辿ることでますます光秀について知りたくなるはず。大河ドラマを楽しみながら、ゆかりの地を巡り、激動の戦国時代を生きた明智光秀に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。