みなさま、こんにちは。オランダ在住ライターの倉田です。現在はオランダで生活している筆者ですが、実は2008年から配偶者の仕事都合で北アフリカの国リビアで暮らしていました。
けれど2011年の年初から始まったいわゆる「アラブの春」(中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動)の影響で、同年2月下旬にスーツケース1つで緊急国外避難を余儀なくされました。それ以来、日本の外務省が提供する「海外安全情報ホームページ」上でリビアは「レベル4」の退避勧告国(渡航してはいけない)とされています。そのため、我が家はその脱出以来一度もリビアに戻っていません。
今回は、そんな「帰れなくなった国」リビアのお話をさせて頂きたいと思います。
青く美しい地中海と強い日差しの記憶
(c)Naoko Kurata
筆者にとって初めての海外生活の場所でもあったリビアは、アラブ系民族が大半を占めるイスラム教を国教とする国。文化も宗教も全く異なる国での生活は面白おかしくも非常に大変ではありました。けれど、いざ思い返すと蘇ってくるのは、青く美しい地中海と強い日差しの記憶。
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リビアで海水浴はほとんどレジャー産業化されていなかったので、ビーチに海の家のようなものは皆無でした。けれど逆にそのおかげで、あの美しい海を保てていたのかもしれません。
旧市街にあった美しいスーク
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そして、首都トリポリのメディナ(旧市街)にあったスーク(市場)も思い出深い場所です。エキゾチックな雰囲気でありながら、洋服や雑貨などの庶民の日用品から、宝飾品や絨毯という高価なものまで揃う迷宮のような市場でした。
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筆者も、日本への一時帰国の前には、よくこのスークでお土産を探したものです。
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一般的にアラブ諸国にあるスークでは、値段は交渉制のことが多いですよね。定価はあってないようなもの、観光客とみると高価な値段をふっかけてくるので、それを値切り交渉しながら買い物するのも風物詩ではないでしょうか。
けれど当時のリビアでは、半鎖国のような国の政策のせいで、国民が全く観光客ずれしていませんでした。そのため、スークも(値札が無かったとしても)ほぼ定価のような適正価格が存在しました。値切っても安くならない代わりに、外国人だからと高値を言われることもありませんでした。5年以上続く国内争乱が、この美しいスークにどんな影響を及ぼしているか知る由もありませんが、ぜひ無事であってほしいと思います。
子供大好き!人懐っこいリビアの人々
(c)Naoko Kurata
リビアの人々は、子供が大好き! 我が家の娘は生後7か月から2歳までリビアで生活しましたが、現地の人々には本当に可愛がってもらいました。上の写真は、シャワルマ(アラブのロールサンド)屋台のお兄さんに「抱っこさせて」と言われた際に撮影したものです。スーパーマーケットなどでも、よく同じように「抱っこリクエスト」をいただきました。
そして、可愛がってもらって有難いけれど困ったのが、娘へのお菓子プレゼント攻撃。言葉が通じなくても、ニコニコしながら通りすがりの見知らぬ老若男女が娘にチョコレートなどのお菓子をくれるのです。彼女がまだ離乳食を食べ始めたばかりの赤ちゃん時代でも容赦なく贈られました。せっかくのご好意を断るのも悪いので、「シュクラン」(ありがとう)と受け取り、後で筆者が美味しく頂きました。リビアのみなさま、その節は美味しいお菓子をたくさんありがとうございました。
街で見かける、カダフィ大佐のポスター
(c)Naoko Kurata
筆者がリビア在住時には、国のリーダーはカダフィ大佐でした。1969年から40年以上国内で絶対的な権力を誇り、7男1女の子供にも恵まれていたので、このまま一族の権力の座は盤石だと思われていました。そのため、国中のあちらこちらに、カダフィ大佐の偉業をたたえる看板が貼り出されていました。
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実は筆者は、2011年2月に緊急脱出する際も、まだ事態を甘く見ていました。けれど避難するため空港に向かう車の中から、上のようにビリビリに破壊された大佐の肖像画を見て、事態の重大さを痛感しました。以前では、そんなことは不敬だとして決して許されないことだったので、国民の本気をそこで見せつけられた気がしました。
世界遺産の「レプティス・マグナ」
あまりイメージがないかもしれませんが、リビアにはローマ時代の遺跡が数多く残されていました。その中でも代表的なのが、この「レプティス・マグナ」(Leptis Magna)。首都トリポリから東に130kmのところにあり、北アフリカを代表するローマ都市遺跡として1982年にユネスコの世界遺産にも登録されています。
(c)Naoko Kurata
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この写真は、家族でレプティス・マグナを観光した際のもの。後ろに見えるトラヤヌス門がリビアの紙幣のデザインに使われていたため、そのお札を手にもって記念撮影しました。この雄大な遺跡たちに、再び観光客が訪れることができる日が早く来ることを願います。
行くことができなかった砂漠
リビアは国土の90%がサハラ砂漠で、その中でも東部の砂漠は「リビア砂漠」と呼ばれています。
2年半に及ぶリビア生活の中で、筆者の唯一の後悔は砂漠を訪れなかったことです。当時は子供がまだ小さかったこともあり、ハードなアクティビティである砂漠観光はついつい後回しにしていました。けれど前述のように、ある日突然リビアとの別れが訪れたため、リビア砂漠観光の機会を失ってしまいました。このことは、本当に残念に思っています。
書ききれない思い出たち
(c)Naoko Kurata
その他にも、リビアには「住所」というものが無くて非常に不便だったとか、砂嵐の季節は砂の掃除が追い付かなかったなど、大変だったこともたくさんあります。
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けれど、ふとした時にリビアのことを思い出すと「ああ、もうあそこには帰れないんだ」とせつなく感じます。
いつかリビア国内の情勢が落ち着く日が訪れたら、当時の記憶めぐりと砂漠ツアーのために渡航したいと思います。