7月4日はアメリカの独立記念日でした。アメリカの象徴といえば、世界遺産でもある自由の女神ですが、台座に刻まれた詩をご存知でしょうか?
心を揺さぶる美しい詩は、130年以上経っても古さを感じさせません。
your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these,
the homeless,
tempest-tossed to me,
I lift my lamp beside the golden door!”
Emma Lazarus, 1883
貧しさにあえぎ、
自由の息吹を求める群衆を、
私に与えたまえ。
人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。
戻る祖国なく、
動乱に弄ばれた人々を、
私のもとに送りたまえ。
私は希望の灯を掲げて照らそう、
自由の国はここなのだと。
エマ・ラザラス(意訳 青山沙羅)
移民の国、アメリカ。
映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「タイタニック」で、政治的背景、経済的事情で移民してきた人々が、船からリバティ島(Liberty Island)にある自由の女神を仰ぎ見る表情は印象的でした。
希望の国のシンボルが迎えてくれた、これから人生は良くなる、と歓喜に充ちていたのです。
1.6km隣のニューヨーク エリス島(Ellis Island)には、1892-1954年までの間、入国管理事務所がありました。写真は当時移民してきた人たち。どういう人生が始まるのか緊張した様子が表れています。荷物の中には、生活や人生の重み、行く末の不安も詰まっていたことでしょう。着の身着のままで来た人も、少なくなかったそうです。
映画 海の上のピアニストで、主人公のピアニストが
「あの都市(まち)には果てがないじゃないか。」
「ピアノの鍵盤の数は決まっている。だからこそ、あらゆることを表現できる。」
「だけど、あの都市は無限だ。僕は、あの無限の鍵盤を前にしてどうしたらいいのか分からない。僕に、あの無限のピアノを弾くことはできない。」と下船を拒否したニューヨーク。
しかし、アメリカに希望を託してやって来た1200万人にのぼる移民は、勇気を持ってこの島に下りたのです。彼らすべてをアメリカは受け容れたのでしょうか。希望をつないで海を渡ってきたのに、引き受け先のない人や、伝染病などの病気に罹った人は入国を許されませんでした。島で足止めになり、事態をはかなんで、3,000人もの人が自ら命を絶ちました。また、家族が離ればなれになってしまうこともあったようです。この島は別名「涙の島」(The Island of Tears)とも呼ばれました。
当時の彼らはどんな思いで、間近に見える自由の女神を眺めたのでしょうか。
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