文豪は年賀状で文才を発揮しない?
かつて日本が生んだ文豪たちが、どのような年賀状を書いたのか、その点について詳しく研究した人がいます。生活手紙研究家としてさまざまな著書を執筆する中川越さんですね。手紙に関する書籍をいくつも出版していて、その中には『文豪に学ぶ手紙のことばの選びかた』(東京新聞)という本があります。
この本は東京新聞の連載をまとめた書籍ですが、この冒頭に文豪の年賀状例が紹介されています。その内容を見て驚きました。なんと普段は手紙で文才をいかんなく発揮する文豪たちも、総じて年賀状では自らの文才を引っ込め、形式的なスタイルを貫いている人が多いのです。
例えば、精神を病んだ門下生に対して、今の世の中、神経衰弱にならないやつのほうが頭がおかしい、だから、
<もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だろうと思う>(夏目漱石による見舞状より引用)
とまで筆を尽くして、普段は励ます夏目漱石も、年賀状になると年賀はがきの中央に「恭賀新年」とだけ書き、余白をたっぷり残して、添え書きもしないといいます。
島崎藤村も「謹んで新年を祝す」、芥川龍之介も「つつしみて新年を賀したてまつる」など、似たようにオーソドックスな表現を基本にしているそうです。
かつて筆者は、島崎藤村の直筆の手紙を見た経験があります。原稿用紙のマス目を無視してびっしりと文字を書いている様子を見ると、文章が文章を呼び、思いが思いを呼んで、よどみなく筆が走っている様子がうかがい知れます。
芥川龍之介については特に意外で、彼のラブレターなどは、後世の人間がのぞき見すると、ちょっと見ている側が恥ずかしくなるくらい、ナイーブな表現であふれ返っています。
<僕は 文ちゃんが好きです。それだけでよければ 来てください>(芥川龍之介のラブレターより引用)
しかし、夏目漱石も島崎藤村も芥川龍之介も、年賀状ではシンプルな賀詞を使って、余計な言葉を添えていません。そのために生まれるはがきの余白に、新年の真新しさ、踏み荒らされていない清々しさなどを表現しているのかもしれませんね。
文豪の年賀状でまねしたいスタイルは「賀詞+イラスト」?
文豪に学ぶ年賀状の書き方としては、「文章で奇をてらわない」という姿勢が大事だとわかりました。文章ではなくシンプルに賀詞を書き、十分に余白を取る。
年賀状をめぐる文化を展示したWEB上の総合博物館『年賀状博物館』で、著名人の年賀状を見ても、
「賀正迎春」(川端康成の年賀状)
「賀春」(同上)
「謹賀新年」(大宅壮一の年賀状)
などと、やはり直筆でシンプルに書いて終わるというスタイルが目立ちます。文豪に学ぶ年賀状論としては、シンプルな手書きで一言だけ賀詞を書くスタイルがいいのかもしれませんね。
しかし、「それでは、なんだかもの足りない」という人は、北原白秋スタイルがいいかもしれません。前出の『文豪に学ぶ手紙のことばの選びかた』によれば、北原白秋は時に「お正月だそうなおめでとう」「極々内緒で新年おめでとう」などと、ちょっと変わったフレーズを添える場合もあるようです。
また、『年賀状博物館』で北原白秋の年賀状を見ると、「賀正」というシンプルな言葉に、イラストを添えるというスタイルも見られます。
トリやイヌのイラストが見られますから、恐らく干支(えと)にちなんだ動物を、イラストで描いているわけです。北原白秋記念館に2017年1月に展示された白秋の年賀状にも、イラストが描かれていて、
<昭和8年元旦の鳥の絵はセンスが光ります!>(北原白秋記念館の公式ホームページより引用)
と館からコメントが出されています。鳥の絵とはニワトリの絵で、イラストだけ朱色で描かれています。年賀はがきの余白が目立ち、イラストが朱色なのですから、紅白のめでたい雰囲気も表現できます。
何か言葉で個性を出すというよりも、干支に関係した手書きの味わい深いイラストで個性を出すという方向に、今年は集中してみてはいかがですか?
[参考]
※ 「お前を殺すか、一生忘れられぬ快楽を与える」文豪に学ぶ、直球ラブレター講座 – 週刊女性PRIME
※ 著名人の年賀状 – 年賀状博物館
※ 中川越『文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた』(東京新聞)
※ 青木正美『肉筆で読む 作家の手紙』(本の雑誌社)
※ 謹賀新年 – 北原白秋記念館
※ 夏目漱石 -純粋な芸術家魂の所有者
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