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超古代文明の巨石遺跡「ストーンヘンジ」の4つの謎!誰が何のためにつくった?

Posted by: あやみ
掲載日: Jun 12th, 2024.

世界でもっとも有名な巨石遺跡「ストーンヘンジ」は、英国ウィルトシャー州ソールズベリー平原にあります。1986年に世界遺産に登録されました。この遺跡の石はどこから運ばれてきて、何のためにつくられたのでしょうか。今回はストーンヘンジの謎に迫ります。日本のストーンサークルとの共通点も明らかになりますよ。

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ストーンヘンジ トップ


50トンを超える巨石がそびえ立つ遺跡「ストーンヘンジ」

ストーンヘンジ 特徴
ストーンヘンジは、古代の環状列石の遺跡で、今からおよそ紀元前2,000〜2,500年頃につくられたとされています。

直径約100mを超える環状の溝と土手で囲まれた広場に、馬蹄形に組み立てられた石柱が並んでおり、石の重さは最大で50トンを超えます。

移民によってつくられた!? ストーンヘンジの謎4選

ここからは、そんなストーンヘンジの謎を4つご紹介。中には明らかになっているものもあるので、詳しく解説します!

誰がストーンヘンジを築いた?

約900年前、誰がこの壮大な環状列石を築いたのかという問いに、古代ローマ人や古代ケルトの祭司、サクソン人、アーサー王の物語に登場する魔術師など……、さまざまな説が唱えられました。

ストーンヘンジが築かれたとされる時代には文字が使われていなかったため、確証に至る情報がなく、長い間、誰が築いたのかはわからないままでした。ですが、遺跡の近くに落ちていた遺骨と土器の破片や石などを最新の遺伝子解析にかけた結果、エーゲ海のアナトリア(現トルコ)から移住してきた移民がつくった可能性が高いと判明しました。

彼らによって農耕文化や葬儀の儀式、陶芸の技術なども持ち込まれたと考えられています。

巨石はどこから運ばれてきた?

ストーンヘンジはどのように運ばれた?

英国の考古学者チームの調査結果によると、ストーンヘンジの建設に使われた石「ブルースストーン」は、ストーンヘンジから陸路で北西に約290kmの場所にあるウェールズ地方のプレセリ山地から採石されたことがわかりました。

ストーンヘンジの内側に馬蹄形に並べられているブルーストーンと、採石場で見つかる火山岩や火成岩の特徴が完全に一致するのだとか。

さらに採石場だったと思われる場所から、石器や土台、木炭、焼けたクリの実、採石場からの出口だったと考えられる道も見つかっています。

また、サルセン石と呼ばれる9mの巨大な石は、ストーンヘンジから北に25km離れたウィルトシャーの森林から運ばれてきたと考えられています。化学組成を分析した結果、現在ストーンヘンジにある52個のサルセン石のうち、50個が同じ成分だったそうです。

切り出した石が運ばれたのはいつ?

ストーンヘンジ 作られた理由は?

木炭や焼けたクリの実の放射性炭素年代測定を行ったところ、前述の採石場には今から5,200~5,400年前に人の活動があったことが明らかになりました。

ですが、ストーンヘンジがつくられたのは、5,000年前よりも後です。ストーンヘンジがつくられるまでの間、約400年も石はどこにあったのでしょうか。

研究チームのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のマイク・パーカー・ピアソン氏は「長い時間をかけてストーンヘンジの場所まで石を運んだ可能性もなくはありませんが、はじめに採石場の近くにほかのモニュメントがつくられて、その後に解体され、ストーンヘンジに運ばれたと考えたほうが妥当」と、見解しています。

数十トンを超える巨石をどうやって運んだ?

結論からいうと、どのように石を運んだのか明らかになっていません。

プレセリ山地の採石場が発見されて以来、海路を使って運んだ説が有力とされてきました。しかし、前述のマイク・パーカー・ピアソン氏によると、丸太を並べたり、木製のそりにのせたりして、陸路で巨石を運んだと考えられるそうです。

この運搬方法はインドでも見られるものであり、ストーンヘンジと同程度の大きさの巨石を、木を格子状に組んだ道具を使って約60人で運んでいることが分かっています。もしかしたら遠く離れた2つの土地で、同じ方法で石を運んでいたのかもしれません。

何の目的でつくられた?

ストーンヘンジが作られた意味とは?

ストーンヘンジは、古代の太陽神殿(カレンダー)である可能性が高いとされています。その根拠としては、遺跡全体の主軸が、正確に夏至の日の出の方向に合わせてつくられているからです。夏至の日、遺跡の中央で日の出を観察すると、太陽がヒールストーンと呼ばれる石から昇る様子が見られます。

古代の人々にとって、太陽がもっとも高く昇る夏至の日は、太陽の聖なる力が最高潮に達する特別な日だったそうです。一方の冬至は、太陽の力がもっとも衰える日となり、冬至の太陽が沈んで行く先に死者の国があるとされていたとか。

確かに、夏至や冬至の太陽の出没方位に合わせてつくられた遺跡は、ヨルダンの「ペトラ遺跡」やメキシコの「チチェン・イッツァ遺跡」など、世界中に残っています。

ストーンヘンジをつくった人々は、夏至の朝日をとらえて、その聖なるエネルギーで地上を満たそうとしたのかもしれませんね。

日本のストーンサークルとの共通点

大湯環状列石
世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」のなかには、「小牧野遺跡」や「大森勝山遺跡」、「大湯環状列石」といったストーンヘンジよりも古い時代につくられたストーンサークル(環状列石)の遺跡が残っています。

秋田県の「大湯環状列石」は、万座(まんざ)と野中堂(のなかどう)という2つのストーンサークルからなり、この2つの環状列石は夏至の日に太陽が沈む方向を意識してつくられたことがわかっています。2つのストーンサークルの中心と、この日時計のような石が一直線に並ぶ位置に、太陽が沈むのです。

イギリスと日本はともに「島国」という共通点はあるものの、当時は交流する術はなかったと考えられます。しかし、遺跡にこのような共通点があるのは興味深いですね。

[参考]
ストーンヘンジを建造したのは地中海世界からの移住者か DNAにより解明|財経新聞
ストーンヘンジの謎の一部を解明…巨石は25キロ離れた森林から一度に運ばれた|BUSINESS INSIDER
ストーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表|ナショナルジオグラフィック
ストーンヘンジは巨石を再利用した「中古遺跡」かもしれない|GLOVE+
名古屋市科学館
地層科学研究所
JOMONぐるぐる

[All photos by Shutterstock.com]

 


 

あやみ

Ayami ライター
フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。


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