浮畑農法を用いて食料を生産! メキシコ高原に栄えた「アステカ文明」
メキシコの中央部の高原に栄えたアステカ文明。その中心地であったアステカ王国の首都「テノチティトラン」は、現在のメキシコシティに位置し、当時はテスココ湖の上に築かれた壮大な都市でした。
アステカ人はナワトル語を話し、“チナンパ”と呼ばれる浮畑農法を用いて効率的にトウモロコシなどを栽培していたといわれています。
宗教は多神教で、なかでも太陽と戦いの神であるウィツィロポチトリが崇拝されていました。
アステカ文明が滅びた理由とは?
アステカが隆盛をしていた真っ只中、スペインの探検家エルナン・コルテスがアステカの敵対部族と同盟を組み、500人ほどの兵士でアステカ帝国を攻略しました。スペイン軍の騎兵やマスケット銃などは、アステカにとって未知の脅威だったのです。
また、ヨーロッパ人から伝播した天然痘などの感染症に現地の人々の間で広まったことで、アステカの人口は急激に減少。これらの要因により、アステカは壊滅の一途をたどることになりました。
アステカ文明の謎やトリビア5選
血生臭い儀式のイメージが強いアステカ文明ですが、いまだに解明されていない謎や面白いトリビアも盛りだくさん! そのうちの5選をご紹介します。
カレンダーが現代のものと近い
アステカのカレンダーは365日を1年とする太陽暦で、現代のカレンダーに近いものだったそうです。また、宗教儀式用の260日の暦も併用されており、この2つを使い重要な祭日や儀式の日を決めていたのだとか。
テノチティトランは人口密度の高い都市だった
湖の中に築かれた都市「テノチティトラン」の面積は約13.5キロ平方メートル(東京ドーム約288個分)で、約20~30万もの人々が暮らしていたといわれています。また、運河や水路が張り巡らされており、中央広場には神権政治の舞台である大ピラミッドがそびえていたそうです。
カカオは神秘的なものだった
アステカ人はカカオを神秘的な力が宿るものとして大切にし、宗教儀式の捧げ物としていたほか、カカオ豆を通貨として使っていたとか! とはいえ、当時は貴重だったカカオ。カカオを利用できたのは王族や貴族といった上流階級に限られていたそうです。
神を満足させるために生け贄を捧げた
太陽神ウィツィロポチトリが、姉である月の女神のコヨルシャウキを殺して、コアペテク山の麓に捨てたという神話を信じていたアステカ人。
その信仰から、敵対国の捕虜などを生贄として捧げる際には、ピラミッドの頂上で踊りを披露させた後、心臓を取り出し、その死体を階段の上から落としていたといわれています。
想像するだけで恐ろしいこれらの行いは、すべて神々を満足させるためだったとされており、彼らなりの信仰の一つの形でした。
アステカ人のルーツ
アステカ人のルーツとして考えられているのは、アンデス山地から移り住んだ遊牧民とされており、父祖の地は「アストラン」と伝えられています。しかし、伝説上の場所とも考えられるため、詳しいアステカ人のルーツはいまだ謎のままです。
アステカ王国時代の神殿跡が残る「テンプロ・マヨール」
メキシコの首都メキシコシティには、20世紀初頭に発見されたテノチティトランの神殿跡「テンプロ・マヨール」があります。神殿の基壇のほか、戦士や神、ヘビ、カエルの彫刻、生贄の生首などをさらす石像が残っていて見学可能です。出土品を展示する博物館も併設。
メキシコシティを訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄りたいですね!
[参考]
Britanicca
地球街道|TV東京
解明される王国の謎アステカ|ナショナルジオグラフィック
チョコレートの起源、明らかになった2つの新事実|ナショナルジオグラフィック
unesco
[All photos by PIXTA]