メキシコらしい個性豊かなコスチュームが勢揃いしたパレード
毎年6月に世界各地で、ほぼ同時開催されるLGBTIプライドマーチ。LGBTIとは、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)、インターセックス(I)。
メキシコの首都メキシコシティでは、第36回『Marcha del Orgullo LGBTTTI』として2014年6月28日に開催されました。
メキシコシティで開催された第36回『Marcha del Orgullo LGBTTTI』。歩くのも大変なくらい、ものすごい人!
メキシコシティはラテンアメリカで初めて同性愛者の結婚を認めた都市。
それゆえに、このLGBTIプライドマーチ(デモ)も、市をあげて盛り上げています。
今年も華麗な仮装の数々を堪能しましたが、そのなかでもメキシコならではのユニークなコスチュームの方々を紹介します。
アステカ戦士その2。お腹にはアステカカレンダーの太陽神の顔が描かれています。
ちょっとわかりづらいですが、自らがアステカカレンダーになってしまった人と、それを取り囲む民族舞踊の衣装の人々
毎年登場する乗馬連盟の方々。横断幕には「すべてのLBGTIの人々に権利を」と書かれている
メキシコならではのチャロ(マリアッチやカウボーイの衣装)スタイル率も高い
メキシコを代表する文化、マスクプロレスのルチャリブレの仮装も人気
メキシコの象徴褐色のマリア、グアダルーペを掲げた巡礼風の人も
お、これはもしかしたら、世界遺産に登録されるモナルカ蝶の大群?
前にまわってみたら、たくさんの蝶を背負って緑まみれになっている人が。仮装大賞を贈呈したい
メキシコとはまったく関係ない気もするけれど、なんかすごいヒマワリな人
メキシコシティ政府の発表によれば、今年の参加者は8万人以上。
楽しく、にぎやかなパレードではありますが、これは、性の多様性を社会に訴えるための、れっきとしたデモなのです。
メキシコはマチズモ(男性至上主義)の国であり、男性は「男らしく」なければならないという気風があります。
また、国民の9割近くがカトリック教徒であるため、その教義上、同性愛は社会的に敬遠される傾向が未だに強いのです。
同性愛、バイセクシャル、トランスジェンダー差別もあたりまえのように起こっています。
だからこそ、このパレードがメキシコ社会における意味は大きいのです。
パレードには参加者の家族や友人たちが一緒に歩き、応援する姿を多く見かけます。
W杯の差別コール牽制は逆差別?同性愛差別と批難された言葉が飛び交ったプライドマーチ
毎年このデモに夫の従兄弟が参加しているので、応援のために参加したのですが、今回最も印象的だったのが、多くの参加者がデモのかけ声に「eeeeeeeeh PUT※(伏せ字にさせていただきます)」(エーーー、プト!)をあえて使いまくっていたこと。
この「Put※」というかけ声、メキシコのサポーターが、W杯のメキシコVSカメルーン戦の際に、カメルーンの選手を同性愛者に見立てたブーイングを合唱したとして、FIFAが差別禁止規定に値すると調査したために、国際ニュースに発展しました。でも、メキシコでの「eeeeeeeeh PUT※」は、サッカーの試合中のゴールキックのかけ声として、同性愛者差別の意味合いではなく、かなり前から使われている言葉なのです。
W杯の騒ぎに抗議するかのようなプラカードを掲げるひとたちを多く見た
従兄弟によれば「Put※には色んな意味があるんだから、差別だって大騒ぎする方がバカみたい!僕だってPut※はよく使うよ!」と呆れてました。
確かに「プト」は男性の同性愛者を揶揄する意味のほかに、「Put※ Calor」(すっげー暑い)「Oye Put※」(ねえ相棒!)「Put※ Coraje」(すっげームカつく)など、元来の意味を離れて色んな使い方がされています。今回のデモでは「プト」が差別用語だと過敏に反応する世の中に対して違和感を持った人たちが、その騒動を茶化すかのように「eeeeeeeeh PUT※」と叫びまくっていたのでした。FIFAのような世界的権力のある団体が騒げば、人々は差別を気にするけれど、なぜ社会にはびこる他の差別は見過ごされたままなのか?という、反論なのだと思います。
デモは最終的にメキシコシティの中心部の大広場ソカロまで続き、参加者が大集合して終わるのだが、今年のソカロにはW杯用の巨大スクリーンと柵が設置されていて、思うように人々が集まれないのも何か象徴的に見えた
この騒動で、気になったのが、たとえば「プト」がダメだったら、女性形の「プタ」(ビッチの意味)は差別にはならないの?と、さまざまな疑問が生じるわけで・・・。まあメキシコでは、けっこう汚い言葉が日常的に使われていて、それは決して自慢できることではないのですが。悪い言葉には母親=MADREがよく登場するんですよね。 ものすごい頭にきた時に、相手に向かって「Hijo de su put※ madre」(おまえはビッチな母親の息子だ)とは言うけど、「Hijo de su put※ padre」(おまえはビッチな父親の息子だ)とは言わない。
「desmadre」(直訳すると、無秩序な母)という口語は、やり過ぎとか、めちゃくちゃみたいな意味ですが、「despadre」(直訳すると、無秩序な父)という言葉はない。
メキシコには「¡Qué padre!」(直訳すると「なんて、父さん!」となりますが、「なんて素敵なの!」という意味)という言葉もあるけれど、「¡Qué madre!」という言い回しはないのです。Madre(母)という言葉をつけると、一気に否定的な意味になり、なぜ悪い言葉はいつも母親に属するものなのかと、不思議に感じます。
メキシコを含むラテンアメリカやスペインでも「Put※ madre」は、あまりにもよく使われている言葉なんです。だからって気軽に使っていい言葉ではありませんが。スペイン語圏における母と侮辱言葉の関係については、いずれ調べたいと思います。
一緒に歩いた従兄弟のパコ(インディアンの仮装)とその友人たちを記念撮影。彼らにとって「毎年デモに参加することに意義がある!」)
今回のプライドマーチ(デモ)とW杯の差別騒動が重なり、社会にある色々な矛盾について思いを巡らさせられたのでした。
[All Photos by MIHO NAGAYA]