ギザのピラミッドと並び称されるエジプトの至宝、アブシンベル神殿。アブシンベル神殿を中心とするヌビア遺跡群は「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されているだけでなく、世界遺産創設のきっかけとなった遺跡でもあります。
古代エジプト最高の建築物、アブジンベル神殿の魅力と遺跡救出のストーリーをご紹介しましょう。
壮大な岩窟神殿、アブジンベルの大神殿
首都カイロから南におよそ880キロ、ナイル河岸の岩山をくりぬいて造られたアブシンベル神殿。古代エジプトにおいて最も有名な第19王朝のファラオ(王)・ラムセス2世によって紀元前1300年ごろに建設されたものです。ラムセス2世は国を束ねるために自らを「太陽神ラー」と名乗り、数々の神殿を築きました。そのなかでも最高傑作といわれるのがアブシンベル神殿です。
アブジンベル神殿は大小2つの神殿からなる建造物で、大神殿は高さ33メートル、幅38メートル、奥行き63メートルにも達する壮大なもの。正面には高さ20メートルを超える4体のラムセス2世像が鎮座し、その足元を王妃や王子の像やレリーフがびっしりと覆っています。
その圧倒的なスケールを目の当たりにすると、言葉を失いただただ食い入るように見つめてしまうはず。当時の王の権力がいかに強大であったかがうかがえますね。
大神殿の中は高さ10メートルのラムセス2世の像が8体並ぶほか、壁や天井には戦いの場面を描いたレリーフや、「ヒエログリフ」と呼ばれる古代エジプトの象形文字がぎっしりと刻まれています。
最愛の王妃に捧げた小神殿
小神殿は結婚25周年を記念して王妃ネフェルタリに捧げられたもので、ネフェルタリとラムセス2世の立像が並んでいます。王妃の像は王の足元に小さく作られるのが慣例で、このように対等に王と王妃の像が並ぶのは他に例がありません。
8人の王妃をもったラムセス2世でしたが、第1王妃であったネフェルタリへの想いは飛びぬけて強かったといえるでしょう。絶対的な権力を有した王の人間味が垣間見えます。
前代未聞の救出劇
実はアブシンベル神殿はもともと今の場所にあったわけではなく、現在の位置から110メートル東、64メートルも低い場所にありました。
1960年代にアスワン・ハイ・ダムの建設がはじまったことで、アブシンベル神殿をはじめとするヌビア遺跡群は水没の危機に直面したのです。これに対して立ち上がったのがユネスコ(国際連合教育科学文化機関)でした。ユネスコが遺跡の救済を各国に呼びかけ、世界60か国の援助を得てヌビア遺跡群を安全な場所に移築する計画が始動しました。
その結果、アブジンベル神殿は1000個以上のブロックに切り分けられ、4年をかけて現在の場所に移築されたのです。その痕跡はほとんど見えず、これほど大規模な建造物をまるまる移転させたなどにわかには信じがたいほどです。
世界遺産の創設
この救済をきっかけに「人類共通の遺産を守ろう」という機運が高まり、1972年の「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」採択へとつながりました。
およそ3300年前にアブシンベル神殿を築いたラムセス2世は、自らが築いた遺跡がのちにまるごと移転される運命をたどるなど夢にも思わなかったことでしょう。
アブシンベル神殿は古代エジプト最高の建築であると同時に、国家の枠組みを超えて守るべき人類共通の宝のシンボルでもあるのです。
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