世界最大の日干し煉瓦の都市、チムー王国「チャンチャン遺跡」

Posted by: 鳴海汐

掲載日: Jul 16th, 2018

ペルーと言えば、マチュ・ピチュやナスカの地上絵や思い浮かびますが、まだ日本ではあまり知られていない遺跡があります。1986年に世界遺産に登録された、史上最大の日干し煉瓦の都市「チャンチャン」です。海岸砂漠の上で栄えた太陽の街をご紹介します。

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

海岸砂漠の上で栄えた太陽の街

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

チャンチャン遺跡、それは、ペルー北部、太平洋沿いに位置するトルヒーヨにあります。

600年前、ここはアメリカ大陸最大の都市でした。また史上最大の日干し煉瓦の都市でした。赤道より少し南に位置し、太陽がギラギラと照り付ける土地のせいか、チムー王国の首都は、「チャンチャン」と呼ばれました。「チャン」は太陽を意味します。

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

当時6~10万人の住人がいたとされ、20平方キロメートルの中に、万単位の建物が迷路のように建ち並んでいました。中には、9メートル以上の高さ、数百メートルの幅のある巨大な建物もあります。

今も残る遺跡には、城壁付きの砦、神殿、広場、ピラミッド、墓などが見られます。壁には魚や鳥を彫刻で施した装飾が特徴的です。

彼らが信仰していたもの

インカが太陽を崇拝し、地球をあがめた一方、チムーにとって宗教的に重要だったのは月と海でした。

王国に暮らしていたのは、ほとんどが君主に使える労働者、そして熟練した職人、司祭といった特権階級です。

すべての男性は平等に作られていないと言う考えのもと、厳密なヒエラルキーに従っていました。

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

チムーの神話によると、太陽は3つの卵を創造することで世界を成り立たせていました。支配階級のための金の卵、彼らの妻のための銀の卵、そしてそれ以外の者のための銅の卵。

それが西暦850年から1470年にかけて続いたチムー王国でした。遺跡のモチーフがかわいらしいのにどこか不気味な理由が分かる気がします。

昔はなかったのに、現在ありすぎるものとは?

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

インカ帝国の征服後、多くの職人たちはクスコに連れていかれたそうです。その後コロンブスがアメリカ大陸を発見し、この地にスペイン人たちがやってきたとき、打ち捨てられた街には、銀で覆われたドアが残っていたといいます。

インカ帝国に滅ぼされたチムー王国「チャンチャン遺跡」

そのように豊かな帝国でしたが、唯一欠けていたのは水。降水量がとても少ない土地でしたが、灌漑の運河や井戸といった高度な技術で畑や庭は茂っていました。

それが何の因果か、その後は水が過多になるという歴史が待っていました。エルニーニョの洪水や集中豪雨で少しずつ浸食されているそうです。

修復作業も行われているということですが、こういった文明の跡が末永く残っていくことを祈ります。

参考
[Smithosonian.com]
[ペルー政府観光庁]
[Lonely Planet]

[All Photos by shutterstock.com]

PROFILE

鳴海汐

Shio Narumi ライター

イタリアはフィレンツェとタオルミーナの料理留学、イギリスはウエストン・スーパー・メアとケンブリッジの花留学を経て、現在はロンドンと神奈川を行ったり来たり。飛行時間の大幅短縮が実現するよう、心から科学の進歩を願う水瓶座。

イタリアはフィレンツェとタオルミーナの料理留学、イギリスはウエストン・スーパー・メアとケンブリッジの花留学を経て、現在はロンドンと神奈川を行ったり来たり。飛行時間の大幅短縮が実現するよう、心から科学の進歩を願う水瓶座。

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