「地図」は文字よりも早く生まれた!?旅人に身近な道具【地図の歴史】

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Jun 25th, 2021

行き先がわからなくなると、今では「スマホ」を取り出して地図の「アプリ」を起動すると思います。地図を紙で見るか「スマホ」で見るかの変化はありますが、地図は旅人にとって(もちろん普通の生活者にとっても)不可欠の道具ですよね。そこで今回は旅に身近な地図の歴史を振り返ってみました。

世界地図

現存する最古の地図はバビロニアの世界地図

バビロニアの世界地図(紀元前600年ころ)

バビロニアの世界地図(紀元前600年ころ)image from Wikipedia British Museum. Object Number: 92687., Public domain, via Wikimedia Commons

そもそも人類はどのくらい昔から地図を持っているのでしょうか?

地理情報システム(GIS)の企画・設計・開発・運用保守サービスをする中央ジオマチックスの公式ホームページによると、地図は人類が文字を持つよりも昔から存在した表現方法だとされています。

人類最古の文字と言えばメソポタミア文明のくさび形文字・黄河文明の甲骨文字・古代エジプト文明のヒエログリフ(象形文字)ですよね。これらは紀元前5,000年~紀元前3,000年くらいに生まれていますから、地図は、これよりも前の人類が何かの場所を示す際にコミュニケーソンツールとして使っていた考えられるのです。

とはいえ、この時代につくられた地図は現代に残っていません。『NHK for school』によると、現存する最古の地図は紀元前6世紀ごろに西アジアでつくられたバビロニアの世界地図だといいます。筆者の子どもの書棚にある『小学館の図鑑NEO ぷらす もっとくらべる図鑑』(小学館)にも、大きな写真入りでバビロニアの世界地図が掲載されていました。

バビロニアとは古代帝国のひとつで、文明の発祥地であるチグリス川・ユーフラテス川の下流に起こった国です。現代の地図で見るとイラク南部、首都のバグダッドの少し南に、バビロンの史跡があると示されています。

先ほど写真を掲載した、現存する最古の世界地図は約2700年前に作成されたと考えられているそう。ペルシャ湾・川・首都のバビロン・その他の都市をさらに囲うように帯状の円が描かれています。その円は海(苦い川)を表現していて、当時のバビロニア人にとっての「世界」が示されていたようです。

日本が世界の地図にデビューした年は?

オルテリウスが描いた日本地図

オルテリウスが描いた日本地図 image from Wikipedia Ortelius, Public domain, via Wikimedia Commons

バビロニアの世界地図には日本が出てきません。その後、ヨーロッパやイスラム諸国で発展していく世界地図の歴史にも日本はなかなか登場しません。

日本がヨーロッパの地図に正式に登場し、さらに単独で取り上げられるタイミングは1595年です。天下分け目の関ケ原の戦いが起こる少し前です。大航海時代を受けて世界の様子がかなりわかってきたために、それらの新情報を基にしてベルギーの学者オルテリウスが1570年に世界地図を銅板でつくりました。その1595年版には初めて日本を単独で描いた地図が作成されています。

北海道が存在せず、四国と九州のバランスが真実とは大きく異なっていますが、なんとなく日本らしい海岸線を陸地が描いています。

オルテリウスはポルトガル人宣教師のルイス・ティセラから『日本図』をもらって作成したといいます。その原図は大分市歴史資料館に所蔵されています。

今も残る日本最古の地図は?

『大日本沿海輿地全図』第90図 武蔵・下総・相模

『大日本沿海輿地全図』第90図 武蔵・下総・相模 (武蔵・利根川口・東京・小仏・下総・相模・鶴間村)(国立国会図書館デジタルコレクションより)

関ヶ原の戦いの前に、世界の地図でようやく日本が単独で取り上げられるようになったと確認しましたが、一方、日本国内ではどのように地図が発展してきたのでしょうか?

日本で地図というと、江戸時代後期の伊能忠敬が真っ先に思い浮かびます。50歳で仕事を引退し、天文学を学んで55歳で測量を開始、17年間にわたって4万3708kmを歩いた驚異的な働き者として現代人にも記憶されていますが、それ以前に日本ではどのような地図がつくられていたのでしょうか?

現存している最古の日本地図「行基図」は、先ほどの『小学館の図鑑NEO ぷらす もっとくらべる図鑑』にも掲載されています。「行基図」は奈良時代の僧侶・行基がつくった地図だとされています。現在の京都の南部である山城を中心に全国が描かれています。例えば佐渡(新潟)や伊豆大島(東京都)などの離島も描かれていますが、一方で北海道が描かれていません。

行基図(『拾芥抄』写本。明暦2年(1656年)村上勘兵衛刊行。2枚の画像を合成) 左上に「大日本国図は行基菩薩の図する所也」より始まる説明が記されている。image from Wikipedia 村上勘兵衛(Murakami Kanbei), Public domain, via Wikimedia Commons

先ほどのルイス・ティセラが作製した「世界初」の『日本図』は、この行基図を基にしています。元となる行基図に北海道がないため、「日本」が間違った形で「日本図」に反映され、その「日本図」がオルテリウスの地図にも反映されたのです。

この行基図は鎌倉時代につくられた『拾芥抄』という百科事典に掲載もされていたため、江戸時代初期まで広く日本人の地図の代表だったそう。しかし、江戸時代中期に地理学者の長久保赤水が「改正日本與地路程全図」を作成し、緯度経度の入った地図を1779年に発行します。

その改訂版が何度も出されて、最終的には先ほどの伊能忠敬による初測量が行われ、伊能忠敬の死後1821年に「大日本沿海與地全図」が完成するのです。

<日本最初の実測日本沿岸地図>(岩波書店『広辞苑』より引用)

と書かれているように、この地図はとても正確で、明治維新後の明治政府の地図作成にも役立てられました。その後の発展が私たちの使う地図へと続いていきます。

1880年代、明治に作成された日本地図

1880年代、明治に作成された日本地図 image from Wikipedia http://www.geographicus.com/mm5/cartographers/japanese.txt, Public domain, via Wikimedia Commons

新型コロナウイルス感染症の影響で世界に出られない日々が続いていますが、眺めているだけで、その土地を旅行した気分になれるのが地図です。今こそ、さまざまな地図を引っ張り出してきましょう。自分が今まで行った土地、あるいはこれから行きたい土地の地図を見て、あれこれと妄想を膨らませたいですね。

 

[参考]
地図の歴史 – 中央ジオマチックス
地図の歴史 – NHK for School
テイセイラによる日本列島図 – 日本関係欧文史料の世界

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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