【混浴の日本史】日本の「混浴」はアメリカ人がうらやむもの!?禁止と復活を経て消えゆく文化

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Sep 28th, 2021

アメリカの実名Q&Aサイト『Quora』で「日本はヌードになって男女が混浴するって本当か?」という質問を見つけました。そのような問いを「外国」のサイトで見ると、思わず混浴は世界で日本だけの文化かと思ってしまいます。しかし、ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア・イギリスなどヨーロッパ各国では、温泉医療のために男女がお風呂に入っていて、全裸で男女が過ごす施設も普通にあります。温泉だけでなく男女混浴の全裸サウナもヨーロッパ各地にあります。もちろん筆者も取材で何度か経験しました。この全裸+混浴の文化は一方で日本の場合、消えてなくなろうとしています。そこで日本の混浴がどのような歴史をたどってきたのか、まとめてみました。

混浴する男女

1000年以上前から親しまれた混浴が江戸時代で禁止に

島根県玉造温泉

玉造温泉 (C) beeboys / Shutterstock.com

玉造温泉という温泉地を知っていますか? 島根県の宍道湖の南にある温泉地で『広辞苑』(岩波書店)にも、

<古代から知られ>(『広辞苑』より引用)

と書かれています。美人の湯としても知られているので、男性より女性のほうが耳にした覚えがあるかもしれません。

713年に出された元明天皇の命令によって記された『風土記』にも記述があり、川辺に湯がわいて老若男女の入浴者でにぎわったと書かれています。1000年以上前から、日本では老若男女が混浴していたのです。

そのスタイルは江戸時代まで続きます。足湯+蒸し風呂のような浴室から、湯を張った浴槽に全身を沈める入浴スタイルへ公衆浴場の姿が変化していく中で、「ザクロ口」といわれる出入口が江戸時代には浴室に設けられるようになりました。

蒸気や湯気が逃げないように浴室をふさぎ、湯を冷まさない目的があります。同じ理由で浴室には窓もありません。その結果、浴室内は暗い上に蒸気が立ち込め、お湯が奇麗なのか汚いのかもわからない状態だったとか。しかし洞くつ風呂のような浴室内に男女が同室するとなれば、風紀が乱れるケースも当然あります。

この乱れをひとつの契機として、(恐らく)日本史上初めて混浴が禁止される動きが生まれました。江戸後期の幕府老中である松平定信が寛政の改革(1787年~1793年)で諸政策を打ち出し、男女の混浴を禁止したのです。

浮世絵の中央奥に見える板の仕切りがザクロ口。写真:Wikipediaより

とはいえ、1000年近く続いた混浴が、すぐにすたれるわけもなく、禁令は形だけとなって男女混浴の文化が続きます。

ペリーがアメリカ大統領の親書を江戸幕府に提出するために黒船で来日した際の様子を『日本遠征記』に記しています。その中には、日本の公衆浴場を目撃した様子が描かれていて、「男女が無分別に入り乱れて、互いに気にしないでいる」ために日本人はけしからんと表現しています。言い換えれば、幕末も男女は平気で混浴を続けていたわけです。

一連の歴史を現代から振り返ると、ペリーの発言にはいかにもアメリカ人らしい印象が感じられます。現代に至ってもなお標準的なアメリカ人は、人前の入浴で全裸を嫌うからです。もちろんアメリカにもカナダにも、今でこそ温泉のようなスパはあります。しかし、ほぼ100%の確率で水着着用で男女がプールのように入ります。

アメリカの健康情報サイト『SELF』にもスパの話題で、

<Americans are perpetually baffled by how much to bare at a spa, while the French and Finns, Germans and Japanese>(SELFより引用)

「どこまで裸になるか、スパでアメリカ人はいつもまごついている。フランス人やフィンランド人、ドイツ人、日本人とは違って」

と自虐的に書かれているくらいです。カナダの人気スパの取材でスタッフの女性に「全裸では入らないのか?」と筆者は過去に聞いた経験もあります。フランス人や日本人のように全裸になる勇気のない自分たちを「prudish(お堅い)」だと現地のスタッフが形容していました。

たまたま聞いた発言やたまたま書かれたメディアの一文を北米人の総意と断言するわけにはいきませんが、要するにアメリカやカナダなど北米は、入浴に長い歴史と文化を持っているわけではありません。「日本やフランス、ドイツ、北欧の人のほうが進んでいる」と感じているアメリカ人すら現実にいるわけです。

話を戻すと、黒船で来航したアメリカのほうが、入浴に限って言えばむしろ「文化不毛地帯」だったわけです。にもかかわらず、科学技術や軍事力などに突出したアメリカの国力に縮み上がって、明治新政府は混浴を禁止する方向にあらためて進んでいったとも考えられそうです。

明治時代の中ごろに「7歳以上の混浴は禁止する」と法律が出る

銭湯

(C) VTT Studio / Shutterstock.com

まず外国人の出入りが多い東京の築地や大阪、横浜で混浴の禁止令が出され、「子どもでも7歳以上の混浴は禁止する」との法律が1890年(明治23年)に出されます。

並行して1879年(明治12年)には上述した銭湯のざくろ口も禁止されました。現実には明治時代の終わりまで生き残ったといいますが、明治・大正と公衆浴場の建て替えや新規開業のたびに少しずつ混浴が姿を消していきます。

1945年(昭和20年)の敗戦の段階で、日本の主要都市の多くは焼け野原になりました。銭湯の数そのものが大幅に減り、男女の浴室を別々にする余裕も銭湯の側になくなった戦後には、場所によって男女混浴も目立つようになったようです。ある意味で混浴の一時的な復活といえるかもしれません。

被災した人たちは、このころ家にお風呂がありません。銭湯は常に超満員でした。そうなると公衆衛生の問題も出てきて、戦後の1948年(昭和23年)には連合国最高司令部(GHQ)の指導の下で公衆浴場法が制定されます。3条1項には、

「営業者は、公衆浴場について、換気、採光、照明、保温及び清潔その他入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなければならない。」

というルールがあらためて示されました。風紀についても言及されている点は、アメリカの主導するGHQの影響もあったのかもしれません。「風紀に必要な措置」とは「主として男女の混浴の禁止を意味する」と、東京五輪が最初に開かれた1964年(昭和39年)に厚生省環境衛生局長が通知しています。

五輪が初開催された1964年(昭和39年)、東京は、公衆浴場法の定めにのっとって、条例で10歳以上の混浴を禁止します。外国から見た日本の「野蛮さ」を徹底して排除したい思いもあったのでしょう。2021年(令和3年)の東京五輪でも、コンビニエンスストアの雑誌コーナーからエッチな雑誌が排除された動きと背景は一緒のはず。

黒船しかり、東京五輪しかり、日本には、外国人の目を気にしてどんどん混浴文化を排除していった歴史があるともいえそうです。

条例を改正して東京都も混浴をより厳格化する方向へ

自撮りするカップル

先ほども書いたとおり、細かい基準については都道府県の条例で定めるようにと公衆浴場法は地方自治体に求めています。

混浴の年齢制限として例えば京都府(京都市)は7歳以上の混浴を禁止しています。1回目の東京五輪が開催された1964年以来、東京はずっと10歳以上を混浴禁止の年齢としてきました。しかし2022年(令和4年)1月1日から、いよいよ7歳に引き下げられると決まっています(23区、八王子市、町田市は適応外)。

広島・千葉・奈良のように混浴禁止の年齢制限を特に定めていない都道府県もありますが、日本人の意識の変化とともに、混浴は一部の機会を除いて世の中から締め出されようとしています。

そのうち日本人の大多数が全裸の混浴に対して未経験状態になるはずです。そのころには逆に、ヨーロッパのスパやサウナで恥ずかしくて全裸になれない日本人が、アメリカ人やカナダ人と一緒になって、ヨーロッパ人の大胆さに憧れを抱くようになる日も来るかもしれませんね。

[参考]

Does nude mixed bath really exist in Japan? Do you have experience? – Quora

公衆浴場の混浴年齢を定める条例 – 地方自治研究機構

※ 山村順次著『世界の温泉地』(大明堂)

※ ウラディミール・クリチェク著、種村希弘・高木万里子訳『世界温泉文化史』(国文社)

※ 徳田耕一著『サハリンカムチャッカの旅』(風媒社)

どんだけ混浴したいのよ!ペリーもドン引き。日本の赤裸々すぎるお風呂事情 – 和楽Web

ペルリ提督日本遠征記 – ペリー

※ 世界大百科事典 – 平凡社

江戸繁昌記. 初編 – 寺門静軒

女性もセックスがお盛ん! ペリーも激怒したエロすぎる日本人のふしだら歴史 – ダ・ヴィンチニュース

Spa Nudity: Your Right To Bare All – SELF

混浴の禁止と明治時代の銭湯 – 全国浴場組合

公衆浴場法 – e-GOV

混浴「7歳以上はダメ」 自治体、相次ぎ年齢引き下げ – 毎日新聞

日本の混浴文化はなぜ廃れてしまったのか – BEST T!MES

[Photos by Shutterstock.com]

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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