「ブルガリア」といわれて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのがヨーグルト。しかし、それ以外のイメージはといわれると、なかなか具体的には浮かんでこないというのが実情ではないでしょうか。
日本ではまだまだメジャーとは言えないブルガリアですが、東西文明が交わるところに位置するブルガリアは、ヨーロッパでありながらどこかアジア的な空気が流れるエキゾチックな魅力あふれる国。
知っておきたいブルガリアの基本情報と、代表的な見どころをご紹介します。
ブルガリア基本情報
ブルガリア(ブルガリア共和国)は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する国。面積は約11万910平方キロメートルで日本の3分の1、人口はおよそ715万人です。
主要民族は南スラブ系のブルガリア人が約80パーセント。ほかに、トルコ系、ロマ、アルメニア人、ギリシャ人などがともに暮らしています。宗教はブルガリア正教が大多数ですが、トルコ系住民などイスラム教を信仰する人も。
公用語はブルガリア語ですが、観光地のホテルやレストランなどでは英語もだいたい通じます。
2007年にはEU(ヨーロッパ連合)の一員として、新たな一歩を踏み出しました。2018年1月現在、ユーロは導入されておらず、自国通貨のレフが使用されています。
ブルガリアへの道
2018年1月現在、日本とブルガリアを結ぶ直航便はないため、トルコのイスタンブールやロシアのモスクワなどを経由してブルガリア入りするのが一般的。ヨーロッパ各国から、ライアンエアーやイージージェットなどのLCC(格安航空会社)も利用できます。
日本パスポート保持者の場合、90日以内の観光目的の滞在ならビザは不要。
東西文化が入り混じる国
ブルガリアは、ヨーロッパでありながらどこかアジア的な雰囲気が漂うエキゾチックな国です。
ブルガリア人の祖先は、中央アジアにいたブルガール人とスラブ人。さらに14世紀後半から500年ものあいだオスマン朝に支配された歴史から、今もトルコ文化の名残が随所に見られます。
ヨーロッパ的な建物とイスラム教のモスクが隣り合うような独特の町並みは、従来の「ヨーロッパ」の概念を覆してしまうかもしれません。
世界屈指のバラの国
ブルガリアは世界最高峰のバラの産地として有名で、世界中で作られるローズオイルの約7割がブルガリア産だといわれるほど。
2万種類以上もあるというバラのなかでも、特に香りがよいとされ「バラの女王」と称されるのがダマスクローズです。なかでも、ブルガリア産のダマスクローズは世界最高峰との呼び声高く、高級ブランドの化粧品や香水などにも使われています。
ブルガリアにおけるバラの産地として知られるのが「バラの谷」。その中心都市カザンラクでは、毎年6月の第1週末を中心に盛大なバラ祭りが開催されます。高貴なバラの香りに包まれて、伝統音楽やダンスで盛り上がるバラ祭りはブルガリアの初夏の風物詩です。
そんなバラの国・ブルガリアで手に入れたいお土産は、やっぱりバラ製品。オイルや香水、化粧水、クリーム、石鹸といったバラを使ったコスメはもちろんのこと、バラの花びらを閉じ込めたジャムやお菓子、お茶など、ありとあらゆるバラ製品に出会えます。
首都ソフィア
ブルガリア中西部に位置する首都ソフィアは、標高550メートルのところにある高原都市。ブルガリア正教会の教会やユダヤ教のシナゴーク、イスラム教のモスク、旧ソ連時代の威圧感のある建物などが狭い範囲に点在する、パッチワークのような独特の景観が面白い町です。
ソフィア最大の観光スポットが、アレクサンダル・ネフスキー寺院。ブルガリア最大かつ最も美しいといわれる寺院で、12のドームからなるネオ・ビザンツ様式の壮麗な建物です。
メノウや大理石などを使った精巧なモザイク画や、きらびやかな祭壇が彩る寺院内部は荘厳そのもの。凛とした清浄な空気には、信者ならずとも身が引き締まります。
世界遺産リラの修道院
ブルガリアには全部で9つの世界遺産がありますが、その代表格がリラ山脈の奥深くに位置するリラの修道院。ブルガリア正教の総本山で、「ブルガリアの象徴」ともいわれるほど、ブルガリアの歴史・文化においてきわめて重要な存在です。
その歴史は10世紀、一人の修行僧が隠遁の地としてここを選び、小さな僧院を建てたことにはじまります。やがて彼を慕う僧侶や信者たちが集まり、中世の宗教と文化の中心地へと発展していきます。
現在のような姿になったのは14世紀のこと。1396年からブルガリアはオスマン朝の支配下に置かれましたが、このときもリラの修道院では特別にキリスト教の信仰やブルガリア語の書物が黙認されていたといいます。
山をバックにたたずむ色鮮やかな修道院は圧巻の迫力。内部の壁や天井に描かれた色彩豊かなフレスコ画や、黄金色に輝くイコノスタスも目を見張る美しさです。
第2の都市プロヴディフ
ブルガリア第2の都市が、ブルガリア中部に位置するプロヴディフ。紀元前19世紀にはトラキア人の集落が造られていたという古い歴史をもつ町で、古代マケドニアやローマ、第1次・第2次ブルガリア帝国、オスマン朝とさまざまな勢力の支配を受けてきました。
それだけに、各時代のさまざまな建築様式の建物が隣り合っているのが特徴で、ローマ時代の劇場跡から、オスマン朝時代のモスク、さらには民族復興様式の豪華な屋敷まで、多彩な建築物が共存する風景はまるで万華鏡のよう。
オスマン朝の支配下で、プロヴディフはブルガリア民族復興運動の中心地となり、19世紀にはヨーロッパ各地を旅した裕福な商人たちが、その美しさを競うようにして当時の流行を取り入れた装飾性の高い屋敷を建てました。
石畳の道の両側にカラフルな民族復興様式の邸宅が建ち並ぶ旧市街を歩いていると、時間が止まってしまったかのような気がしてきます。博物館やギャラリーなどとして公開されている屋敷も多いので、フォトジェニックなお屋敷たちを気ままに訪ねてみては。
古都ヴェリコ・タルノヴォ
ブルガリア人にも人気の観光地が、古都ヴェリコ・タルノヴォ。1187~1393年にかけて、第2次ブルガリア帝国の首都として栄えました。
緑豊かないくつもの丘と、大きくうねるヤントラ川が見せる自然美、崖にへばりつくようにして建つ古い家々が織り成す風景が、一瞬にして見るものの心をとらえます。
はじめて見るのになぜかなつかしい・・・ヨーロッパとアジアの雰囲気が混在する街並みは、不思議な心地良さを感じさせてくれます。
現在も金銀細工や陶器、木彫りなどの伝統の技が生きる職人街「サモヴォドスカ・チャルシャ」、第2次ブルガリア帝国時代の宮殿があった「ツァレヴェッツの丘」、聖ペテロ・パウロ教会をはじめ見どころも多く、タイムスリップ気分でのんびりと歩きたくなる町です。
今もさまざまな文明の足跡が残るブルガリア。この国を訪れてみれば、その思いがけないほどに多彩な表情に驚かされることでしょう。
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