旅の目的は「たったひとつ」で良い
旅の目的は「たったひとつ」が潔いと思いませんか。
あれもこれもと盛りだくさんは、大人には野暮というもの。情報が氾濫している現代だからこそ、余計なものは削ぎ落として、自分の「たったひとつ」を選び取るのが粋。旅の荷物はシンプルに、期待だけを詰めて。
私たちがまだ訪れたことのない、未知の場所や絶景。
笑顔で迎えてくれる、あたたかい地元のひと。
生産地ならではの、新鮮で美味しいもの。
珠玉のように散らばる日本各地の魅力を発信する「ONESTORY(ワンストーリー)」。「ONE=1ヵ所」を求めて日本を旅するメディアから、私たちの「たったひとつ」が見つかりそうです。
ワクワクする夏がやってくる
日差しが日ごとに強くなってきて、夏の訪れを感じます。大人になってしまうと、「夏は暑くて、汗をかくからいや」「夏の満員電車は最悪」などとネガティブなことを考えがち。
子供の頃は、ジリジリする太陽、真っ青な海、濃い緑の森、モクモクの入道雲、水の冷たさ、冷えたスイカなど、夏ならではの風物詩にあんなに焦がれていたのに。気持ちの片隅に隠れていた夏への憧れを、呼び起こしてみましょう。きっと気持ちがワクワクして、夏色の旅に出たくなりますよ。
新潟県中魚郡 人の心が曇るとき涸れると言われる伝説の池
木々の緑が水面に映り込む、龍神伝説が残される全国名水百選の「竜ヶ窪」。池全体の水を1日で入れ替える量の毎分30t、1日約43,000tもの地下水が湧き出しており、決して濁ることがないとされる天然池。飲料水としても人気が高く自由に持ち帰れますが、住民の大事な生活用水なので汚すことなく大事にいただくこと。
竜神伝説 津南町観光協会より引用
ONESTORY(ワンストーリー)
湧き水で満たされた清冽な池に、伝説の龍神の逸話が残る。[竜ヶ窪/ 新潟県中魚郡]
竜ヶ窪
住所:新潟県中魚沼郡津南町大字谷内
アクセス : 関越自動車道越後川口ICまたは塩沢石打ICから車で約60分/JR東日本飯山線津南駅より車で15分
新潟県佐渡市 佐渡の隠れ寺
「清水寺(せいすいじ)」は808年に建立された古寺で、京都の清水寺を模して建造された、久世観音を祀る観音堂「救世殿」。佐渡の清水の舞台の寂寥感、大きな杉の木が立ち並ぶ石段の参道には、なんとも言えぬ趣があります。観光客にあまり知られていない隠れ寺。
ONESTORY(ワンストーリー)
朽ちた姿に“ロマン”を感じさせる古寺。[清水寺/新潟県佐渡市]
清水寺(せいすいじ)
住所:〒952-0109 新潟県佐渡市新穂大野124-1
新潟県十日町市 気持ちがホッとする日本人の原風景
ご飯を主食とする私達には、田園風景は懐かしく、気持ちがホッと安らぎます。米どころの新潟では多くの田んぼが見られますが、山の斜面などの傾斜地に造られている田んぼは「棚田」と呼ばれます。
にほんの里100選にも選ばれた「星峠の棚田」は、パッチワークのような約200枚の田んぼ。整然とバランス良く作られたさまは、300年以上も前に人の手で開墾されたとは思えない、芸術の域に達する美しさ。5月~6月上旬には、水田の水鏡と雲海の絶景が見られます。ただし、個人の農家が生業として稲作をしている私有地で、観光地ではありません。訪れる時は敬意と配慮を持って、マナーを遵守しましょう。
ONESTORY(ワンストーリー)
自然の風景に溶け込み暮らしとともに育まれた越後松代棚田群は、里山の宝。[光の館/新潟県十日町市]
星峠の棚田
住所:〒942-1351 新潟県十日町市峠
埼玉県秩父市 雲海に浮かび上がる夢の橋
北海道などの遠方に出かけなくても、東京近辺で雲海が見られることをあなたはご存知でしょうか。周囲を山々に囲まれた埼玉県の秩父では、発生した霧がとどまりやすく、気候や湿度などの条件が揃えば雲海が見られます。前日は降雨(降雪)などがあり湿度が高く、当日は晴れの日が発生に発生しやすいようです。
雲海ポイントは、雲海の合間に浮かび上がる秩父公園橋が見られる「秩父ミューズパークの展望台」と、標高約1,100mにある「三峰神社」。「秩父ミューズパークの展望台」からは11月は50%近い確率で観測、「三峰神社」は2017年度で7、9、11月に60%以上の高い確率で観測されました。
https://www.seiburailway.jp/guide/sightseeing/chichibu/unkai/index.html
ONESTORY(ワンストーリー)
雲海にホタルの光。豊かな自然がもたらす幽玄な日本の原風景。[秩父/埼玉県秩父市]
秩父
住所:埼玉県秩父市
アクセス : 関越自動車道花園ICから車で約50分/西武鉄道西武池袋線池袋駅から約80分、西武秩父線西武秩父駅下車
今回のたったひとつは、子供時代の気持ちに戻っていく夏色の絶景。私たちが旅へ向かわずにいられないのは、日常で求められない「たったひとつ」に出逢うためなのです。