(C)TOSHI
筆者は食ルポがきっかけでライターになった人間で、海外を含む食べ歩きにはまっていたときもありますが、8歳のときに、三重県の志摩観光ホテルで食べた料理よりおいしいものを食べたことがありません。なぜなのか、理由を知りたくて、実に37年ぶりにホテル内のレストランにうかがいました。結果をルポします。
初めてのフランス料理。最初に『最高級』を食べてしまった?
(C)志摩観光ホテル
初めて家族で旅行をしたのは、8歳のときのことです。行き先は三重県の志摩観光ホテルでした。
同県の出身の人間ですが、三重県は案外広いですし、伊勢神宮より「むこう」には行ったことがありませんでした。初めての遠くへのドライブでもありました。
志摩観光ホテルは、1951年の開業以来、数多くの著名人が訪れ、数々のドラマが生まれたところです。
昭和天皇はご滞在の折、ホテルからの、英虞湾を望む景色をとくに賞されました。
「華麗なる一族」などを書いた、作家の山崎豊子氏はこのホテルを愛し、1955年から2007年まで幾度となくこのホテルを利用しました。
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初めてそんなホテルに来てびっくり。夜はレストランの「ラ・メール(現「ラ・メール ザ クラシック」)」へ。初めて食べた、本格的なフランス料理でした。
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三重県は広く海に面し、海の幸に大変恵まれたところです。中でも志摩地方は、その種類も豊富で、古代には「御食つ国」、すなわち朝廷の食料を献上する国として知られていました。
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また、大人になってから知ったのですけれど、ここはホテル先々代総料理長高橋忠之シェフの、地元の食材を使った、「海の幸フランス料理」で有名なレストランでした。
「海の幸フランス料理」。『鮑(あわび)ステーキ』や、『伊勢海老クリームスープ』などの伝統料理が生まれ、遠くからも人が来るところだったのです。
そのときの感覚をなんといっていいのかわかりません。8歳の子どもが、その種の衝撃を言語化できるでしょうか? ただ、40代半ばになった今でも、本当にいろいろなことを憶えています。
ワインクーラーを初めて見た気がします。運ばれてきた皿の上の、豪華な海の幸を使った、前菜のすべてが本当においしかったこと。父は比較的無口な人でしたが、筆者があんまり喜ぶので、「口がこえているからな、おまえは」と破顔して言いました。
翌日、売店で「何か買ってあげようか?」と母に言われて、
「いいよ、またすぐ来るから」
と答えたこと。
休みあけの学校の体育の授業中、
「ああ、おとといに時間を戻して、またあのおいしいお料理を食べたいな」
と思ったことなど、鮮明な記憶があるのです。
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その10年後、大学進学のために上京しました。ちなみにフランス文学を専攻しました。
バブル崩壊といわれた頃でしたけれど、まだ景気のいいときの名残があったので、学生でもお金を派手に使っている人がたくさんいました。筆者はおとなしい方でしたが、食にはそれなりの贅沢をしたかもしれません。
勉強を兼ねて本場フランスでミシュランガイドの星付きレストランに行きました。フランス留学していた女友達と2人で、食事をしたのです。ランチでした。
こういうレストランでは、客は場にあわせた、特別な身なりで来ると聞いていましたが、本当だったので感動しました。日本人も洋服が好きですけれど、なんというか、このたぐいの見事な眺めは日本にはきっとないものなのです。
筆者は着物を着ていたのですが、それが珍しかったのか、中休みに出ていくシェフが、足を止めて少し話をしてくれました。
「フランスでは、シェフが興味のある客に話しかけてもいいんだ。やっぱり自由なんだな」
とまた感動し、チーズの種類の豊富さにうっとりしていた頃、友人が、
「これからもずっと友達でいようね」
と言ってくれました。
そんな思い出ができた本場フランスの素晴らしいレストランだったのですが、そのときもずっと、実は8歳のあの旅行のあとから何を食べても、
「でも、やっぱり志摩観光ホテルのあの料理の方がおいしかったな」
と思っていたのです。そして、自分はどうしてこう思うのだろうか、とずっと不思議でした。
大学の、食通の先生が講義でこう言いました。
「君達、フランスに行っても、いきなりミシュランの三つ星レストランなんかに行ってはいけないよ。一つ星から始めなさい。一つ星でもじゅうぶん、おいしいんだから。いきなり三つ星に行ったら、あとに何を食べてもおいしくなくなってしまう」
「最初に『最高級』の料理を食べてしまったからいけなかったのだろうか。それとも、思い出が美化されているのだろうか」
そう考えたのですが、答えはありません。それから志摩観光ホテルに行く機会はなかったのです。
ここまで来たら、もはや悩みですが、理由がわからないまま、なんと37年が過ぎたのです。
その後、食ルポがきっかけでライターに。37年ぶりに志摩観光ホテルに理由を確かめに行くと・・・
(C)志摩観光ホテル
そして去年末、37年ぶりに志摩観光ホテルに行きました。
その後、食ルポが好評だったのがきっかけでライターになったのです。それでもあいかわらず、
「あのときの志摩観光ホテルの料理よりおいしいものを食べたことがないのは、どうしてなんだろう」
と、折に触れて思っていたのです。
そして、志摩観光ホテルは2008年に「ベイスイート(現在のザ ベイスイート)」を開業。筆者の行った建物は「ザ クラシック」に、あのレストランは、「ラ・メール ザ クラシック」という名前になりました。
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2016年5月には、「伊勢志摩サミット」がこの志摩観光ホテルで開催されました。そして、5月26日にG7首脳が出席したワーキング・ディナーの会場になったのが、「ラ・メール ザ クラシック」でした。料理を担当したのは樋口宏江シェフ、志摩観光ホテル総料理長です。
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当日、「ラ・メール ザ クラシック」の入り口に立ったときの感想は、「あれっ、こんな感じだったかな」でした。でも、当時に時間旅行できるかのような、また、よいものが長い時間を経て、艶(つや)を出したかのような、豊かな心地よい空間です。
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いよいよ席に着きました。なんだか緊張しますね。なぜかちょっと怖かったのです。
食前酒と一緒に、アミューズブーシュをいただきました。伊勢まだいをスモークしたものだったのですけれど、おいしかった。期待が高まります。
あっけなく吹き飛んだ不安。いきなり出た満点、あのときはわからなかった味、それだけではなく・・・
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「うにボンファム キャビア添え」です。
ああっ、ちょっとちょっと、いきなり満点が出ましたよ!!
変な緊張も不安も、あっけなく吹っ飛びました!
うにはもちろん、ほうれん草ってこんなにいい仕事をする食材だったんですね。
おいしい、おいしいじゃないですか。こんなにワクワクするなんて、久しぶり・・・。
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次は、「鮑ステーキ ブールノワゼットソース」。
鮑ステーキを焦がしバターのソースでいただく、志摩観光ホテルの名物料理です。
8歳だった筆者が、唯一、味がよくわからなかったのがこの料理。両親がおいしいと言って食べているのが不思議でした。理由はわかりません。
今は、鮑が大好きです。バターのソースもです。こんなに立派な鮑を、絶妙な加減で調理したものを食べられるなんて、たまりませんね。
ああ、ほのかでありながら、くっきりとした磯の香りがたまらない。こんな磯の香りのする料理ほど、繊細で、素晴らしいものがあるのでしょうか。
ちなみに鮑は、伊勢神宮にも献上され続けているもので、まさに地元の食材といえましょう。
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そのあといただいた「伊勢海老クリームスープ」、「伊勢海老ジュレ 車海老、鮑、キャビア」、「伊勢海老アメリカンソース」、「松阪牛フィレ肉ステーキ ペリグーソース」、「季節のデザート」・・・すべておいしかったです。
「食べ終わりたくない」、そんな見事な料理をいただくのは久しぶりでした。
食べることに贅沢していいのだろうか、と思っていたことがあったのですけれど、こんなに美味な料理を作るために精進している方々がいるのなら、たまにはいいじゃないかという気がしました。
食べるって素晴らしい。これからもどんどん、おいしいものを食べたい。
また、筆者が「あのときの志摩観光ホテルの料理よりおいしいものを食べたことがないのは、どうしてなんだろう」と思っていたのは、思い出が美化されたわけではなく、本当にここの料理がおいしかったからだということがわかりました。
そしてきっと、それだけではないのです。
国や時代を越えて、人々が文化を継承するとき、こんな素晴らしいことが起きる
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フランス料理の本場は、いうまでもなくフランスです。ただ、筆者が現地に行ったとき、食材、特に肉に対する考え方だとか、必要量や、感覚が少し違うのだなと思ったことがありました。
それは、同じ人間でも、少し体も違うから。体がそうなら、好みも少し異なることがあるかもしれません。
だから、きっとフランスではこういうフランス料理は生まれなかったでしょう。まったく同じ食材はないでしょうし、価値観も多少は違いがあるのが自然です。
これは私見ですが、きっと同じなのは、フランス料理を深く愛し、継承させたいという心なのではないでしょうか。だからここでこんなに素晴らしい料理が生まれたのだと思います。
文化が広がり、より豊かになるというのはこういうことです。国や時代さえも越えて、たくさんの人が文化を継承するとき、最初に種をまいた人には想像できなかった、美しい花が、違った場所に咲くことがあるのかもしれません。
少なくとも、37年間来られなかったとしても、筆者にとって「世界で一番おいしいレストラン」はきっとここです。故郷の素材を知りぬき、フランス料理を愛する方々がつくりあげた、この料理を愛しています。
参考
[志摩観光ホテル 公式サイト]
[G7伊勢志摩サミット公式サイト]
公式サイト https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/
住所 三重県志摩市阿児町神明731(賢島)(伊勢志摩)
電話 0599-43-1211 FAX: 0599-43-3538
樋口宏江シェフのお料理については、『沖縄の聖地で2日間だけオープンしたプレミアムな野外レストランを現地ルポ』でもご紹介しています。