PORT(港や空港)をパス(通過)する
歴史を調べる取っ掛かりとして、辞書を調べてみましょう。
「パスポート」は英語ですが、その語源を英語の語源辞典で調べると、 古いフランス語「passeport」に由来しているとわかります。port(港や空港)をパス(通過)するといった意味。言葉自体は、西暦1500年代から存在するみたいですね。
日本語ではどうでしょうか。岩波書店『広辞苑』で「パスポート」と調べると、「旅券」と書かれています。「旅券」と改めて引いてみると、
<外国へ旅行する者の身分・国籍を証明し、その便宜供与と保護を依頼する文書>(岩波書店『広辞苑』より引用)
と書かれています。ただ、日本人が外国へ旅行するようになった時代は、それほど昔だとは考えられません。
少なくとも江戸時代は鎖国の世の中でしたし、それ以前の室町末期から江戸初期に盛んだった南蛮貿易の頃に、パスポートがあったとは思えません。一体、いつごろに生まれた文書なのでしょうか?
最初に日本でパスポートをもらった人は隅田川浪五郎
答えは意外にも、はっきり記録が残っているようです。日本で最初にパスポートを発給された人の名前もわかっていて、写しも現存しているのだとか。
日本の外務省によれば、最初に日本でパスポートを手にした人は、隅田川浪五郎(すみだがわ・なみごろう)という人だそうです。1866年(慶應2年)11月23日、この日付で江戸幕府の外国奉行(日本外国事務)が、第1号のパスポートを発給したようです。この当時、パスポートは「旅券」という呼び名ではなく、印章、免状、旅切手など、別の言葉で呼ばれていました。
隅田川浪五郎は、曲芸団の曲芸師。第1号が幕府の要人ではなく、曲芸師に出されたとは、ちょっと意外ですよね。むしろ立場のある人は、印章(旅券)が必要なかったという話でしょうか。
江戸時代のパスポートには人相が書かれた
隅田川浪五郎の旅程は、『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞)にも掲載されています。
幕末に活躍した隅田川は、横浜在留の外国人に称賛されるほどの曲芸師であり手品師だったそう。その評判が在留外国人に鳴り響いたからでしょうか、1866年(慶應2年)には、アメリカ人のバンクスという人に連れられ、アメリカへ向かいます。
1867年(慶應3年)には、パリ万国博覧会でにぎわうパリへ行き、その後もロンドンなどヨーロッパを回って、1869年(明治2年)に帰国したといいます。足掛け3年の長旅。出発前は江戸時代で、帰国するころには明治維新で一変した日本に帰ってきたのですね。
今でこそ旅券のフォーマットは各国で共通していますが、隅田川浪五郎が受給した印章は、手帳のようなスタイルではなく賞状のような紙だったといいます。年齢、身長、面長などの人相が記され、「日本政府許航佗邦記」の角印が押されていました。
もちろん、この当時、日本にも写真の技術が入ってきています。しかし、さすがにパスポートに使われているまでには至っていない様子。その代わりとして、本人の人相を記載する必要があったのですね。
大正時代の最後の年に現代の手帳のようなパスポートになった
現在の手帳のようなパスポートは、いつから日本で発給されるようになったのでしょうか?
外務省によれば、この記録もはっきり残っていて、1926年(大正15年)1月1日だといいます。大正時代は大正15年12月25日までですから、大正の末期、昭和の始まる直前に今のようなパスポートのスタイルが始まったのですね。その背景としては、1920年(大正9年)にパリで開かれた国際会議において、世界共通の手帳型にパスポートを統一しようという決議の採択があったそう。この決定に日本政府も従い、その6年後に手帳型のパスポートを導入しました。
新型のパスポートは、濃緑色の布でコーティングした厚紙が採用され、金文字で「大日本帝國旅券」と刻字されていました。菊の紋章もあったといいます。
ちなみにパスポートに写真が導入された時期は、1917年(大正6年)1月20日。1917年というと、歴史に詳しい人だと「第一次世界大戦」というキーワードがすぐに思い浮かぶはずです。まさに戦争中で旅行者や海外滞在者の身分証明が厳重になったため、世界各国でパスポートに写真が張られるようになったみたいですね。
日本よりも先に、イギリスが1914年(大正3年)の段階で写真入りのパスポートを採用し、同年末にアメリカが続きます。世界史の激しい変動は、パスポートにも影響を与えていたのです。
以上、日本におけるパスポートの歴史をまとめました。これからも身近な旅グッズの歴史をシリーズで紹介します。楽しみに待っていてくださいね。
[参考]
※ 外交史料 Q&A その他 – 外務省
※ 戦時中にもパスポートってあったの? – 国立公文書館アジア歴史資料センター
※ 朝日日本歴史人物事典 – 朝日新聞出版
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