神社のお参りは特別な行為だった
神社にお参りすることは、それはそれは厳かな行いなのである。その昔は、レジャー感覚で軽く出かけていい場所ではなかった。鳥居をくぐるという行為は、極めてシリアスな、非日常へのダイブでもあったのだ。
なにせ神と相対するのである。だからまずは禊をして、心身を清める必要があった。 神社のそばにある海や河で身体を洗い、あるいは滝に打たれて、穢れを祓うのだ。その歴史は古く、日本神話にまでさかのぼることができる。 黄泉国より現世に戻った伊耶那岐命が、死の穢れを祓うために河の水で心身を清めたというものだ。また、肉や酒を絶つ精進潔斎をする場合もあった。そして参拝に挑むのだ。
簡略化された禊が手水舎
しかし、社会が成熟しせわしなくなってくると、そこまできっちりと禊をするわけにもいかなくなった。だんだん簡略化されていったのだ。いまでは手水舎がその役目を果たしている。拝殿に向かう手前にある、屋根のかけられた水場がそれだ。ここをスルーして、穢れたままで参拝することはタブーだ。祟りがあっても文句は言えない。
ハードな禊を行なわない代わりに、ちょっとうるさい決まりがある。まず柄杓を右手に持って水をすくい、左手を清める。次に柄杓を左手に持ち替え、右手を清める。また右手に持ち 替えて左手で水を受け、口をすすぐ。一連の動作は、はじめにすくった柄杓一杯の水のみで行なうべし、とされる。これでようやくお清め完了だ。
こうして略式になった禊だが、いまでも古式に則っている神社が伊勢神宮だ。日本を代表するこの神社の内宮への入口には、五十鈴川が流れているが、ここで手や口を洗ってから参拝するのが慣わしだ。2000年以上も続くスタイルといわれる。
【出典】
『日本人が知らない神社の秘密』(火田博文・著/彩図社)
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