1分以上も鳴り響く世界で最も優れた製品
突然ですが、「音叉(おんさ)」と言われて、どんな道具が思い浮かびますか? 英語では「tuning fork」と言います。
フォークのような二またの道具で、20℃の室内でたたくと440Hzの心地いい標準音(ラの音)が響きます。その音に合わせて演奏家は楽器を調律します。
音楽用だけでなく、医療用や軍事用などもあるようです。この音叉について、「1分以上も鳴り響く世界で最も優れた音叉」をつくると賞賛される日本のメーカーがあります。「株式会社ニチオン」(千葉県)ですね。
もともと同社は、医療用の手術道具や医療器械をつくる町工場として、明治時代の末期から大正時代の初期に、東京の両国でスタートしたそう。
関東大震災での工場の焼失を乗り越えた同社に、昭和初期、医療用音叉の製作依頼が舞い込んできました。当時は国産の音叉がなかったものの、ドイツ製の音叉を見せられた同社の創業者は、「これならすぐにできますよ」と簡単に考えたようです。
しかし、つくり始めると、その難しさに直面します。試行錯誤を繰り返すものの、うまくいかないので、頭にきて七輪の中へ試作品を投げ捨ててしまったのだとか。
実は、この怒りに任せた行動が、結果として世界一の音叉づくりへの道につながります。試作品に七輪の熱が加わり、偶然にも徐々に温度が冷える「熱処理」の工程が加わって、金属の硬さが均一になり、独特の音を響かせるようになったのですね。
ヒーリング用に音叉が使われる場面も
音が鳴るようになると今度は、正確な振動数を実現する工程が始まります。試行錯誤の末に完成した日本製の音叉は、日本音響学会にも認められました。
戦前は陸海軍の注文で、軍事用の音叉づくりもスタートします。絶対音感を教育して敵味方の飛行機の音を軍人に聞き分けさせたり、敵機の高度を測定したりするために音叉が役立つからです。
ニチオン(当時は日本音叉医科工業有限会社)は第二次世界大戦の戦災に遭い、研究所と工場を失います。しかし、1947年(昭和22年)には「日本音叉医科器械製作所」として営業を再開。その後は、「日音医理科器械製作所」と改称し、さらに現在の名前に変わりました。
その歴史の中で、ピアノの調律師向けの音叉を販売し、国内の9割のシェアを確保します。
世界のさまざまな音楽家にも愛用されるようになると、音楽界で「1分以上も鳴り響く世界で最も優れた音叉」の評価を獲得しました。
ニチオンは、消耗しない・壊れない・需要も限られている音叉だけで経営を成り立たせているわけではないようですが、同社の音叉が極めて高い評価を受けていることには違いありません。
最近では、ヒーリングに音叉が使われる場面も少なくないようです。ちょっと夏バテを感じたら、音叉でリフレッシュする日があってもいいのかもしれませんね。
[参考]
※ 世界最高峰の響き ニッポンオンサ
※ 音叉と音叉にかかわる『音』の話 株式会社ニチオン 相談役 日本音叉研究所 所長本田泰
※ 毎日新聞経済部「日本の技術は世界一」(新潮社)
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