山形県が発祥!観光におすすめのスポットも
たくあん(たくあん漬け)
たくあん漬けの発祥は、上山市。1629年、幕命により上山に配流された臨済宗の僧「沢庵宗彭(沢庵和尚)」は、上山城主・土岐頼行から仮住まいの草庵・春雨庵を寄進されました。沢庵和尚は書画・詩文・茶の湯に通じ、地位や名誉を求めなかったため、庶民からも広く親しまれていたのだそうです。そのため、配流されている間に、地元の人々からさまざまな作物が届けられ、それに大量の大根も含まれていたのだとか。
その大根を和尚が保存食として「たくわえ漬」にしたのが、たくあん漬けの始まりとされています。そして和尚自ら製法を伝えたことで、たくあん漬けはその人柄とともに上山市民に親しまれ、今日まで受け継がれる郷土の味になったそうです。
沢庵和尚がこよなく愛し、配流中の3年間を過ごした「春雨庵」は、1953年に復元されています。茅葺き屋根や庭は往時の面影を残し、敷地内には茶室「聴雨亭」もあります。鎮座する沢庵禅師像に手を合わせ、偉人に思いを馳せてみてくださいね。
学校給食

※画像はイメージです。
学校給食の始まりの一つとされているのは、鶴岡市です。同市が鶴岡町と呼ばれていた時代、常念寺の僧侶・佐藤霊山を中心に、寺の住職たちが協力し、貧困家庭の子どもたちも学校に通い学べるよう、大督寺の本堂の一部に「忠愛小学校」を設立しました。しかし、そうした子どもたちは弁当を持参できなかったため、1889年、住職たちは宗派の垣根を越えて托鉢を行い、おにぎり・焼き魚・漬け物などの昼食を提供。これが、日本における学校給食の始まりといわれています。
忠愛小学校があった大督寺は、現存。境内には「学校給食発祥の地」の記念碑が建てられています。給食を届けた当時の僧侶たちの思いに触れられる、ぜひ訪れたいスポットです。
天童将棋駒

人間将棋
天童の将棋駒の始まりは、江戸時代末期にさかのぼります。1767年、上野国小幡(現・群馬県甘楽町小幡)から出羽国高畠(現・山形県高畠町)に移封された織田氏は、天童を中心とする村山地方に有していました。1831年には藩主が高畠から天童へ移館し、1848年には高畠の領地も所領交換によって村山地方に集約され、実質的に「天童織田藩」が誕生。
しかし、相次ぐ凶作により藩の財政が悪化。打開策として、家臣たちに将棋駒づくりの内職を奨励しました。天童織田藩時代には、木地造りと書き入れの分業体制で将棋駒が製造され、主に手工業が中心でしたが、明治時代末期からは機械化が進み、昭和初期には、安価で良質な天童駒の大量生産が可能となったのです。
天童市では毎春、「人間将棋」が開催されています。これは1956年から続く一大イベントで、約2,000本の桜が咲き誇る舞鶴山を舞台に、甲冑や着物をまとった武者や腰元が将棋の駒となり、対局を繰り広げます。一度は見てみたい、春の名物です。
芋煮会

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秋の風物詩「芋煮会」。そのルーツは中山町にあります。山形県を南から北へ流れ、日本海に注ぐ最上川は、江戸時代に舟運が盛んでした。1694年に白鷹町荒砥まで舟運が開かれるまでは、長崎湊(中山町)がその終点とされ、米沢方面への積み替え地として重要な役割を果たしていたのです。そこで、荷揚げや荷待ちの間に船頭や商人たちが、川岸の松の枝に鍋をかけ、棒鱈と里芋を煮て食べていたのが、芋煮会の原型とされています。やがてこの松は「鍋掛松」と呼ばれるようになりました。
現在は5代目の鍋掛松が「ひまわり温泉ゆ・ら・ら」の敷地内で、芋煮会を楽しむ人々を見守っています。また、毎年9月最終土曜日には「元祖芋煮会in中山」を開催。棒鱈と里芋を使った伝統の“芋棒煮”が振る舞われます。
冷やしシャンプー

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夏の暑さを吹き飛ばす「冷やしシャンプー」は、山形市の理容室「メンズ・ヘアリズム」の大沼氏が、1995年頃に冷蔵庫で冷やしたシャンプーを使い始めたのがきっかけ。猛暑が続く山形県で、少しでも来店客に涼しさを提供したいという思いから始まったこのサービスは、県内の理容室へと広まり、2004年には「冷やしシャンプー推進協議会」が設立されました。以降、全国からも注目を集め、今では山形の夏の名物に!
冷やしシャンプーは夏季限定(例年6月18日〜9月18日)で提供。「冷やしシャンプー始めました」の青いポスターやのぼりが目印で、県内約400店舗の理容室(山形県理容組合加盟店)で体験できます。夏の山形で、ぜひ試してみたいですね。
雪害対策

冬の新庄の道路
日本初の雪害対策の動きは、楯岡村(現・村山市楯岡)出身の松岡俊三代議士による「雪害救済運動」に始まります。「降雪は災害である」という認識のもと、1929年に「雪害調査機関設置に関する建議案」を国会に提出。それを受けて、1933年に日本初の雪害調査機関「農林省積雪地方農村経済調査所」が新庄町(現・新庄市)に設置され、積雪地帯の農村経済や雪害に関する調査が行われました。その後、天童市出身の松浦東介代議士ら積雪地帯選出の議員が連携し、1951年には「積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法」が制定されるなど、雪対策に関する法整備が進められました。
この調査所は国の機構改革により閉庁しましたが、庁舎は新庄市が譲り受け、復元・修復のうえ「雪の里情報館」の敷地内で展示公開されています。当時の取り組みや雪国の暮らしを学べる貴重なスポットです。
山形の始まりはどこか温かい!
たくあん漬け、学校給食、将棋駒、芋煮会、冷やしシャンプー……。食や暮らしに関わるさまざまな「始まり」には、無駄にしない精神や人を思う心、そして工夫が詰まっています。山形の始まりには、どこか温かみと人情が感じられますよね。
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