
石鎚山
愛媛県が発祥!観光におすすめのスポットも
魚肉ソーセージ

魚肉ソーセージ ※画像はイメージです。
国内で初めて魚肉ソーセージを商品化したのは、八幡浜市の西南開発株式会社。1951年に設立された同社前身の西南開発協同組合が、かまぼこのソーセージ化を目指して開発し、1950年に魚肉ソーセージ「スモークミート」の製造を開始しました。
八幡浜港に水揚げされた新鮮なアジを使ったこのソーセージは、大衆食として大ヒットを記録! 1973年には日本マクドナルド向けにハンバーガー用のパティを生産するなど、事業を拡大しました。
しかし、近年は出荷量の減少や燃料・原材料の価格高騰などにより経営環境が厳しくなっており、報道によれば近く自主廃業を予定しているとのことです。
八幡浜市は、アジがおいしいエリア。「浜味館 あたご 船場通店」では、あじめし膳や定食「あじ刺しセット」をはじめ、宇和海で獲れる新鮮な魚介類を使った料理を堪能できます。
伯方の塩

伯方島
「伯方の塩」は、1973年に設立された伯方塩業株式会社が発表したブランドです。1971年、従来の塩田方式による自然塩製造が禁止され、イオン交換膜方式による精製塩の使用が義務化されたことへの消費者からの反発の中、「消費者による、消費者のための塩作り」を掲げて設立されました。
1973年12月、試行錯誤を経て、にがりをほどよく残した塩として「伯方の塩」が誕生。名前には伯方島の塩田を再興したいという願いが込められていると伝えられます。
同社の大三島工場では工場見学を行っています。伯方の塩の製造工程のほか、かつて瀬戸内海沿岸で使われていた「流下式枝条架併用塩田」を再現した展示も見学可能。ショップでは、工場限定アイテムなども購入できます。
今治タオル

今治タオル
今治タオルの始まりは、1894年、綿ネル業を営んでいた阿部平助氏が大阪で出会った1枚のタオルに着目したことにさかのぼります。阿部氏は、今治市風早町に綿ネルの改造織機4台を導入し、国産タオルの製織をスタートさせました。
そして1924年ごろ、高級感のあるジャガード紋タオルの生産が始まり、今治は日本有数のタオル産地として発展。しかし2000年代初頭、安価な海外製タオルの流通が拡大し、今治のタオル産業は深刻な打撃を受けました。
そこで立ち上がったのが「今治タオルブランド」確立のプロジェクト。独自の品質検査基準を設けるなどして、現在では世界が認めるタオルブランドとして確固たる地位を築いています。
今治タオルの魅力に触れたいのなら「タオル美術館」がおすすめです。今治産タオル製品やタオルをアートとして魅せる展示がされています。四季折々の花々が咲き誇るヨーロピアンガーデンも。さらにカフェやレストランも併設しており、充実した時間を過ごせますよ。
住友林業株式会社

別子銅山
住友林業株式会社の原点は、江戸時代の1691年に開かれた愛媛県・別子銅山にあります。銅の採掘や精錬に必要な木材を確保するため、山林の経営を始めたのです。
しかし、銅の生産が進むにつれて周辺の森林は荒廃。そこで1894年、当時の別子支配人・伊庭貞剛氏が「大造林計画」を打ち出し、伐った木を植え直す持続的な林業を進めました。
1948年、財閥解体により住友の林業部門は6社に分割。そのうちの「四国林業」などの林業会社が合併を行い、1955年には住友林業株式会社が設立されました。
日本三大銅山に数えられる「別子銅山」の跡地は現在、鉱山のテーマパーク「マイントピア別子」になっています。日本初の山岳鉱山専用鉄道を復元した鉱山鉄道や観光坑道のほか、砂金採り体験パーク、温浴施設など見どころ盛りだくさんです。
砥部焼

砥部焼
砥部焼は、1775年に大洲藩主・加藤泰候が、藩の財政を立て直す手段として、地元で掘り出される砥石の屑を原料に磁器づくりを命じたことが始まりとされています。
藩は、肥前(長崎・佐賀地方)から陶工を招致し、杉野丈助を主導者に据えて五本松に登り窯を築かせました。そして幾度もの試行錯誤を乗り越え、1776年に白磁の焼成に成功。これが現代の砥部焼の礎になったといわれています。
1818年には向井源治が「川登陶石」を発見。これにより、より白い磁器を作ることが可能になり、砥部焼の7割が海外に輸出されるようになりました。1893年には、向井和平が製作した「淡黄磁」が、シカゴ博覧会で1等賞を受賞したほか、砥部焼は1976年に国の伝統的工芸品に指定され、2005年には愛媛県の無形文化財(砥部焼の技術)に指定されています。
砥部焼の歴史に触れたいのなら、「砥部焼伝統産業会館」へ。砥部焼の歴史的な資料や優れた現代作品などを展示しています。焼き物に興味がある方は、ぜひ訪れてみてくださいね!
愛媛県伊予郡砥部町大南335
公式HP:https://www.town.tobe.ehime.jp/soshikikarasagasu/shoukoukannkouka/kankou/9/552.html
小説『坊っちゃん』

道後温泉本館
小説『坊っちゃん』の舞台は、松山市です。著者の夏目漱石は現在の道後温泉本館・神の湯棟が完成した翌年の1895年、愛媛県尋常中学校(松山中学)の英語教師として赴任し、約1年間松山に滞在していました。
小説『坊っちゃん』は、漱石が松山で過ごした日々や、当時の町の様子をもとに創作された作品です。発表されるやいなや大きな話題となり、道後温泉の名が全国に広く知られるきっかけとなりました。
作中に登場する「住田の温泉」は「道後温泉本館」のこととされています。この温泉は、日本最古といわれる道後温泉のシンボル的な存在です。1994年には公衆浴場で初めて、国の重要文化財に指定されました。ぜひその風情ある佇まいと名湯を堪能してくださいね。
愛媛県は、海と暮らしが育んだ始まりが豊富!
愛媛は、まろやかな味わいで知られる「伯方の塩」や、伝統工芸「砥部焼」の発祥地です。瀬戸内の穏やかな海が塩づくりを支え、陶工たちの技と創意が白磁の美を生み出しました。さらに、日本最古の温泉とされる「道後温泉」など、文化と自然が調和する土地です。訪れた際には、愛媛の始まりが息づく風景に、ぜひ触れてみてください。
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