神様も必要な休息時間
神社を参拝するときは、神様に失礼のないよう、マナーを守る必要がある。
鳥居の前で一礼してから手水舎(ちょうずや)で両手を清める、一礼してからお賽銭を入れて鈴を鳴らす、二礼二拍手一礼で拝礼してから最後に会釈をする……。
こうしたマナーはよく知られているが、神様に願いを届けたければ、参拝する時間にも注意を払わなければならない。なぜなら、時間帯を間違えると神に願いが届かなかったり、逆に不利益を被ったりする可能性もあるのだ。
神社への参拝は、朝から昼の間にするのが望ましい。なかでも早朝は最も神の気が高まっている時間帯。御利益を得るには最適だという。
しかし、夜の参拝はいただけない。お寺と違い、神社には門がないところもあるため夜中でも境内に入れる場合があるが、午後5、6時から日の出までの間の参拝は、基本的に避けるべきだとされている。なぜなら、 夜中は神が休息する時間だからだ。
神様だからといって、24時間活動しているわけではない。早朝に社へと迎えて、日没までにお帰りいただく。それ以降は人間と同じように朝まで休んだり、他の神々と会合を開いたりすることになっている。夜は神々の時間だとされているのも、神が自由に活動できると考えられているからだ。
当然ながら、眠っているのなら、神々が願いを聞いてくれることはない。人間でも、夜に自 宅で休んでいるときにいきなり来訪されて仕事の話を押し付けられたら、嫌な気分になるだろう。相手が神なら機嫌を損ね、祟られてしまうかもしれないから、日の出ているうちに参拝するのが無難である。
魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)し始める逢魔が時
また、夜に参拝をする問題点は、願いが聞き届けられないことだけではない。神が神社での仕事を休止するということは、境内から神の守護が薄れることにもなる。こうなったときに増えてくるのが、悪鬼悪霊の類だ。神の力で阻まれていた悪しき存在が、ここぞとばかりに神社へと入り込み、参拝者に悪影響を与えるという。
危ないとされるのは夜中だが、午後4時から6時の間も避けるべきだとされる。なぜならこの時間帯は、昼と夜の境界が最も曖昧となる「逢魔が時 (大禍時)」であり、魔の影響を最も受けやすいといわれるからだ。民俗学者の柳田国男も、「オオマガドキ」は怪しいものが現れることへの警鐘の意味があるのではないかと指摘している。
ただし、例外もある。日の光が失われる夜は人知の及ばぬ時間帯であり、畏れ多きものと接触できる時間でもあった。そのため神社によっては、夜中に催事を行うこともある。呪いの儀式とされる丑の刻参りも、元々は神に近づける時間に参拝して想いを成就させるためだったといわれる。
では、神との接触の機会がありながらも、夜間の参拝が避けられてきたのはなぜか? それには、神社が立地する環境が影響していると考えられる。
現在は都市内にも多くの神社があるが、古くから地域に根づいている神社は、森や山のなかにあることが多い。明かりの乏しい近代以前では、真っ暗闇のなかを進むしかなかった。律令国家が道路の整備を放棄した中世には、道に迷うことや、野生生物に襲われる危険もあっただろう。
神社に無事たどり着けたとしても、境内に満足な明かりはない。細かな段差に足を取られて転倒したり、帰路で遭難したり、もしくは境内に潜んでいた野盗に襲われることもあっただろう。実際、平安時代の説話集『今昔物語集』には、寺社が盗の住処(すみか)として描かれるエピソードが出てくる。夜の神社が危険だという認識は、日本人の実体験に基づいていると言えるのかもしれない。
【出典】
『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社)
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