東京・目黒区の教会「カトリック碑文谷教会」へ
東急東横線の学芸大学駅・都立大学駅から徒歩15分ほど歩くと、住宅街の中に高くそびえる鐘楼が見えてきます。
こちらが今回訪れた「カトリック碑文谷教会」(通称:サレジオ教会)。
白を基調とした外壁が映えるロマネスク様式の聖堂は、1954年に完成し、2024年5月で落成から70年! 戦後まもなくから教会の活動が始まり、この地で長い歴史を歩んできました。
聖堂正面の道路は、教会の通称にならい、「サレジオ通り」と名付けられています。
美しき聖堂の見どころを紹介
装飾に彩られた空間が広がる
立派な正面玄関は主日(日曜日)のミサ以外では開いていませんので、建物脇の門を通り、北側に位置する扉から聖堂へ。
中に入ると、思わず息をのむような空間が広がります。
天井や祭壇の鮮やかな装飾、アーチのかかるロマネスク様式の建築美、光差し込むステンドグラス……
荘厳な雰囲気をたたえた聖堂内は、日本にいることを忘れてしまうような美しさです!
特別に2階へ!1人で手がけた装飾画に驚き
祭壇と反対側(正面玄関の側)には、パイプオルガンと、円形のステンドグラスが目を引く2階も。今回は特別にそちらまで登らせていただきました。
2階からは聖堂全体を見渡すことができ、特等席からの眺め! 400人ほどの着席が可能で、延床面積は752m²。完成当時、ここまでの規模の聖堂は日本には存在しませんでした。
また、天井の装飾を近くから改めて見てみると、紋様の細かさに驚き。
なんとこれらのフレスコ画、ジャコモ・フェラーリ修道士が、1人で手がけたものなんです! 完成時には真っ白だった聖堂に足場を組み、7年の歳月をかけて描いたのだそう。芸術的センスはもちろん、執念を感じずにはいられません。
案内いただいた方のお話によれば、古くからの信徒のみなさんの中には、作業中のフェラーリ修道士からお菓子をもらった、なんて方もいらっしゃるんだとか。
普段は聖歌隊やオルガン奏者の方々が使われる2階部分。チェコからやってきたというパイプオルガンも、間近で見るとかなりの大きさでした。ミサの際には、その音色が聖堂内に響き渡るそうです。
教会の中心・祭壇へ
続いて正面の祭壇へ。鮮やかな装飾が施され、大理石の柱が光沢を放ちます。
今回は許可をもらって、祭壇に上がらせていただきました。
こちらの中央の十字架の背後のモザイクタイルと、
祭壇前面の「最後の晩餐」のモザイクタイルは、それぞれ1995年と1997年にイタリアの職人さんが手掛けたもの。
祭壇左側の「ピエタ」(=イエス・キリスト磔刑後の像)と対になるようにして右側に位置するのは、ドン・ボスコ司祭の彫像。カトリック碑文谷教会が委託され、その通称の由来ともなっている「サレジオ会」を設立された方です。
ボスコ司祭は、産業革命が進展し、さらには国内統一運動のさなかで殺伐としていた時期のイタリアにおいて、貧しい青少年への教育支援に尽力されました。
そんな人物像を称え、サッカーボールを携えた少年たちと共に立っているんですね。
教会と深いつながり「江戸のサンタマリア」とは
先ほどお伝えしたように、聖堂が完成したのは1954年。ちょうどその年、東京国立博物館で一つの聖画が発見されました。それが「親指の聖母(悲しみの聖母)」です。
この聖母画の持ち主は、鎖国中の江戸時代最後の潜入宣教師ジョヴァンニ・シドッチ。1708年、屋久島に漂着した翌日に捕らえられて江戸に送られ、新井白石の取調べを受けた後、キリシタン屋敷で亡くなりました。
カトリック碑文谷教会は「江戸のサンタマリア」と名付けられたこの聖母画へ捧げられています。
聖堂の落成時には、教会での4カ月間の特別公開が行われました。現在では、聖母画のレプリカが聖堂横・入口近くの小祭壇上に展示されています。
ステンドグラスには日本の教会ならではの模様も
教会の両側の窓のステンドグラスは、聖堂の落成40周年を記念し、1992年に入れ替えられたもの。実は元々のステンドグラスは、格子模様の地味なものだったそうです。
華やかに聖堂を照らすステンドグラスは、イタリア・ローマの工房で製造。細部まで作りこまれていることが分かります。
よく見るとサインも施されていますよ!
聖堂を囲むように配置されるステンドグラスにはイエス・キリストの生涯の物語が表現されますが、先ほど紹介した祭壇の上方には、日本の教会ならではの絵柄も。
左手にあるのは「信徒発見」。1865年、江戸時代に続いた250年間の禁教令に耐えたキリシタンが、信仰を表した場面です。その舞台となった、長崎の大浦天主堂が描かれています。
右手にあるのは、歴史の教科書でもおなじみ「聖フランシスコ・ザビエル」。彼が上陸した鹿児島にちなみ、背景には桜島が描かれています。
どちらも見逃しやすい位置にありますが、上の方にも目を向けて、探してみてくださいね。
教会の歴史とイタリアとの関係
カトリック碑文谷教会の歴史は、1947年、サレジオ会が碑文谷の土地5000坪を購入したことまでさかのぼります。
最初のミサに参加したのは、たったの8人だけ。そこからだんだんと活動を充実させていきました。
そして現聖堂が完成し、献堂式が行われたのは1954年。今でこそ住宅やマンションが多い一帯ですが、当時この辺りは湿地だったそう。そのため聖堂建築の際には、干潟に作られた街、ベネツィアと同じ技法が用いられました。
設計にあたっては、初代の神父を務めたダルフィオール氏の出身地、イタリア・ヴェローナ地方の「サンゼノ大聖堂」を模したのだそう。実際に瓜二つで、大きさだけが1/2スケールなんです。それでも鐘楼の高さは36mですから、充分に大きな建物ですよね。
祭壇にはイタリア製の大理石が使用され、教会に必須となる洗礼盤や聖体拝領台、鐘楼の聖鐘も、イタリアからの寄進によるもの。創立から建築、装飾まで、全てイタリア由来ですから、海外のような雰囲気なのも納得です!
しかし、実際に建築を請け負ったのは日本の大工さんたち。祭壇の裏手には、それを裏付けるプレートがあります。当時日本最大であった聖堂を、1年半足らずで完成させたのだから驚きです!
カトリック碑文谷教会で心洗われるひとときを
開かれた教会は見学自由
静謐で美しい空間に心洗われる「カトリック碑文谷教会」。日本にいながら海外気分を味わえる、素敵なひとときはいかがでしょうか。
教会は祈りのための空間ですが、基本的に出入りや見学は自由。聖堂は毎日朝から夕方まで開放されているので、ハードルを感じることなく、気軽に立ち寄ってほしいとのことです。
取材時も、隣接する幼稚園(目黒サレジオ幼稚園)帰りの小さなお子さん連れの方や、祈りをささげていく方、少し休まれていく方など、様々な方が訪れていました。
訪問・撮影するときの注意
そのように開かれた教会であるサレジオ教会ですが、いくつかの注意点はあります。
月曜日~土曜日の朝7時、日曜日の7時・10時半・18時(加えて、日によっては9時)に行われるミサは、どなたでも参加はできますが、基本的には信者の方のための時間です。
土曜日には結婚式が行われていることもありますので、その際は立ち入れません。
また、個人での写真撮影はできますが、モデルを用いた撮影・商業用の撮影などは禁止。ほかにも男性は脱帽するなどの教会における一般的なルールはご確認のうえ、訪れてみてくださいね。