キューバ革命の英雄「チェ・ゲバラ」の運命を変えた、メキシコ縁の地へ

Posted by: Miho Nagaya

掲載日: Nov 9th, 2014

チェの人生を大きく変えたメキシコ

1959年1月1日にフィデル・カストロや「チェ」の愛称で知られるアルゼンチン出身のエルネスト・ゲバラ(1928年6月14日 – 1967年10月9日)らが率いた革命軍によって達成されたキューバ革命。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
キューバにはチェの栄誉を讃えた壁画やモニュメントがいくつもある ©Miho Nagaya

その歴史的な革命とメキシコが深い関係にあることをご存知でしょうか?

若き日のチェが、従兄弟とオートバイでの南米旅行を敢行した実話を基にした映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』は、日本でも公開され話題になりましたが、南米旅行を終えたチェは、独りグアテマラへたどり着きました。そこで、最初の妻となるペルー人の活動家、イルダ・ガデアと出会い、キューバの「7月26日運動(フィデル・カストロが率いたモンカダ兵営襲撃)」のメンバーで、同国に亡命していたキューバの青年たちを紹介されます。彼らは、キューバ革命を計画していたフィデル、ラウル・カストロ兄弟を含める他のメンバーと合流するためにメキシコへ向かうところであり、チェもそれに同行すると決意したのです。そしてチェは、1954〜56年までメキシコシティで暮らしました。キューバ革命前のチェの足跡を辿るメキシコのスポットを案内していきましょう。

メキシコ生活の始まり

メキシコに移ったチェは、メキシコシティのダウンタウン=セントロ地区にあるアパートで暮らしはじめ、本屋巡りをするのが趣味でした。アルゼンチン系の出版社で、カメラマンとして働き、その後にメキシコシティの中心部にある、国立病院、オスピタル・ヘネラル(住所:Eje 2A Sur 148, Cuauhtémoc, Doctores)のアレルギー科で働くようになりました。

またUNAM(メキシコ国立自治大学)の正式な生徒ではなかったチェですが、経済学部の授業をこっそり受けに行ったり、学内の図書館の新聞閲覧室でキューバの7月26日運動のニュース記事を読みあさったりしていたとか。そんな逸話から、後に哲学・文学部の講堂に「アウディトリオ・チェ・ゲバラ」の名がつけられました。

チェの新婚時代

1955年8月18日、チェの最初の妻であるペルー出身のイルダ・ガデアと結婚の手続きをしたのが、メキシコ州のテポソトラン。
ちなみに考古学好きのチェが新婚旅行に選んだのは、ユカタン半島とチアパスの遺跡巡り(チェチェンイッツアー、ウシュマル、パレンケ)でした。結婚後、ふたりが住みはじめたのが、メキシコシティのフアレス地区にある小さなアパートの一室( 住所Nápoles 40, departamento 16. Colonia Juarez)。ほどなくして1956年に二人の娘、イルダ・ベアトリスが生まれたので、同じ建物内の広い5号室へと移りました。その建物はアパートとして現存しています。現在の家賃は月額7000メキシコペソ(5万6千円)だとか。

フィデル・カストロとの出会い

メキシコでフィデルの弟ラウル・カストロと知り合ったチェは、彼に誘われてキューバ人、マリア・アントニアの自宅(住所:José de Emparán49,colonia Tabacalera)の会合へ行きました。
そこでフィデルと初対面したのです。その建物は現在メキシコシティのクアウテモック行政区により、文化財に指定されています。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
革命記念塔のすぐそばにある赤茶色の建物 ©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
「チェとフィデルが出会った場所」という看板が設置されている ©Miho Nagaya

トルタ店、ラ・テスコカナ

1936年創業の老舗トルタ(メキシコのサンドイッチ)の店、ラ・テスコカナ。フィデルがお気に入りの店だったので、チェもここのトルタを味わったに違いありません。オイルサーディンのトルタが名物。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
見過ごしてしまいそうな小さな店 ©Miho Nagaya

革命の計画を練ったカフェ・ラ・アバナ

フィデルとともに足繁く通っていたカフェが、メキシコシティの中心部にあるカフェ・ラ・アバナ(Cafe la Havana)です。

まるで映画のセットみたいな雰囲気のある場所。近隣には新聞社が並び、古くからジャーナリストや、政治家、チリ出身のロベルト・ボラーニョといった有名作家も訪れていた場所です。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

時代を感じさせる建物。店内には昔のキューバの写真が飾られている。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

この店ではハバナ流コーヒーの「カフェ・ラ・アバナ」を飲むのをお忘れなく!

チェ、フィデルが常連だった居酒屋カールトン

チェ、フィデルはマリア・アントニアの住むアパートからほど近い、ホテル・カールトンの1階にある居酒屋El Restaurante Bar Carlton (住所:Ramos Arispe esquina Mariscal ,Colonia Tabacalera)に通っていました。地元の人々でにぎわう居酒屋として健在です。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
居酒屋カールトンの外観 ©Miho Nagaya

チェが愛したメキシコの自然と古代文明

チェはプエブラ州の火山ポポカテペトルの登頂を目標にし、たびたび登山に出かけていました。喘息持ちであった彼は、一度も登頂を果たせなかったのでした。

新婚旅行に遺跡巡りを選んだように、古代文明にロマンを感じていたチェ。南部オアハカ州の遺跡ミトラはお気に入りの遺跡のひとつだったようです。

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
©Miho Nagaya

チェ・ゲバラがキューバ革命前に過ごしたメキシコ
レリーフが美しいミトラ遺跡 ©Miho Nagaya

キューバへの旅立ち

1956年11月、フィデルとチェが率いるグループ82名は、ベラクルス州のトゥクスパンから、小さな船グランマ号に乗り込み、キューバへと旅立ちました。そして1958年にキューバ革命を成功させたのでした。

革命の戦士たちが、出発直前まで滞在していた民家が現在キューバ革命のメキシコ・キューバ親交ミュージアム(Museo de la Amistad México-Cuba )となっています。

館内には当時の写真やユニフォームなど、キューバ革命に関わる展示がされています。

PROFILE

Miho Nagaya

長屋美保 ライター

メキシコシティの路地裏から見た生のラテン文化や社会を追い続けるフリーライター兼なんでも屋。雑誌、WEB、ラテン圏アーティストのCD解説、映画、コンサートのパンフレットなど、メキシコを中心としたラテンアメリカの記事を日本の媒体に執筆するほか、リサーチやスペイン語⇔日本語翻訳も行う。情報サイトAll Aboutのメキシコ公式ガイドでもある。

メキシコシティの路地裏から見た生のラテン文化や社会を追い続けるフリーライター兼なんでも屋。雑誌、WEB、ラテン圏アーティストのCD解説、映画、コンサートのパンフレットなど、メキシコを中心としたラテンアメリカの記事を日本の媒体に執筆するほか、リサーチやスペイン語⇔日本語翻訳も行う。情報サイトAll Aboutのメキシコ公式ガイドでもある。

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