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意外と知らない!花火大会に行く前に知っておきたい「花火の豆知識」【前編】

Posted by: 青山 沙羅
掲載日: Aug 6th, 2019. 更新日: Aug 9th, 2019

夏の風物詩として知られる「花火」ですが、その由来をご存知ですか?今回は、花火大会に行く前に知っておきたい、意外と知らない花火の起源や歴史を【前編・後編】でご紹介します。

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あなたは、これから花火大会へ行く予定があるかもしれませんね。花火は馴染み深いけれど、私たちは花火の歴史や由来をあまり知らずに観賞しているのではないでしょうか。そこで、花火を見に行く前に、ちょっと知っておきたい「花火の豆知識」を連載でお届けします。


花火のはじまりっていつ?

紀元前3世紀の古代中国で、火薬の基本となる硝石が発見されてからと言われています。煙による通信手段「狼煙(のろし)」として使われていました。

花火はそもそも武器として使用されていた

日本で初めて火薬が使われたのは、鎌倉時代中期の二度にわたる元寇(文永の役、弘安の役)で「蒙古軍」が使用した「てつはう」という火薬の武器と考えられています。その後、16世紀に種子島に火縄銃とともに火薬の製造の技術が伝わりました。

武器から観賞用の花火へ変えたイタリア

ヨーロッパではキリスト教の宗教行事を盛り上げるために、花火を効果的に使用していました。花火を武器から観賞用に芸術性を高めたのはイタリアで、キリスト教の布教活動使用のため、15-16世紀には芸術花火の最大の生産国だったと言われています。

江戸庶民にブームを起こした花火

武器としてではない花火の使用は、万治2年(1659年)、大和の国(現在の奈良県)から江戸へ出て来た鍵屋弥兵衛(初代鍵屋)が葦の管の中に火薬を入れた初歩的なおもちゃ花火を考案して売り出し、江戸庶民に爆発的な人気を得たと言われています。

日本で花火が人気の地域はどこ

花火の流行は江戸(現在の東京)庶民に広がり、「花火売り」や「花火師」が登場。花火による火災が多発したため、幕府から「花火禁止令」が出て、花火を行う場所も大川端(隅田川下流)に制限されました。それでも花火人気は止まらず、17世紀の両国橋架橋により、両国橋周辺が花火の名所に。18世紀には船遊びで花火を楽しむ文化が定着しました。

江戸の他には、三河・近畿・信州・越後・九州で花火が盛んであったと言われています。

日本ではじめて花火を見た人って誰?

大友宗麟
写真提供:公益社団法人ツーリズムおおいた 

天正10年3月22日(1582年4月14日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が、大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(「イエズス会日本年報」、イエズス会のポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが著述した「フロイス日本史」)があります。キリシタン大名の大友宗麟が花火を活用して、聖週間の祭儀をキリスト教布教のための盛大な公開イベントを行ったようです。聖土曜日の夜から翌明け方までの復活徹夜祭では、三つの城楼から花火細工が出て来る仕掛けが、三千もの提燈(教会堂や日本の物語を象った夜高行燈)の行列に豪華さを加えました。さらに数々の花火が「空中で実にさまざまな形となった」ので、人々は皆立ち止まって花火見物をしたとされます。真夜中には、教会堂も中庭も広場も立錐の余地もない人込みになりました。日本でのはじめての非公式な花火大会は、この時だったかもしれませんね。


b-hide the scene / Shutterstock.com

天正17年(1589年)7月、伊達正宗が米沢城において唐人(外国人)による花火を観賞した記録が、1972年出版「仙台藩資料大成」に収録の「伊達家治家記録」記載されているそうです。

徳川家康は花火好き?


慶長18年(1613年)8月、イギリス国王使節ジョン・セーリスが貿易交渉のため、駿府城の徳川家康を訪れ、同行の中国人の手で花火を見せたという記録が静岡県立中央図書館所蔵の「駿府政事録」「武徳編年集成」に記載されています。当時の花火は、竹筒から火の粉が噴き出すというものでした。

徳川家康は花火が気に入ったのか、寛永5年(1628年)に浅草寺を訪れた徳川家康のブレインである僧・天海を、隅田川に船を浮かべ花火鑑賞でもてなした記録があります。

愛知県三河地区は、徳川家康のお膝元。鉄砲隊の本拠地であったことから花火が盛んな土地柄で、現在でもおもちゃ花火の製造や販売業者が集中しています。

花火大会はいつ始まったの?


隅田川花火大会

花火大会のルーツは東京三大花火大会の一つで、毎年7月最終土曜日に開催の「隅田川花火大会」にあります。

亨保17年(1732年)、西日本一帯で長雨と冷夏により、収穫前の稲にウンカという害虫が発生、稲作に甚大な被害が出ました。「徳川実記」によると、飢饉による餓死者は全国で97万人にも及び、米価の高騰で困窮した江戸の民衆による打ちこわしなどの暴動も発生。将軍吉宗は翌年の亨保18年(1733年)5月28日、両国(隅田川)の川開きの日に「水神祭」を開催し、大飢饉で犠牲となった人々の慰霊と災厄を起こす悪霊退散を祈願しました。その際に花火を打ちあげたことが、現在の花火大会の由来になったと言われています。

このように花火には鎮魂の意味があり、お盆の時期に花火大会が集中しているのは慰霊や供養の意味があります。全国で見られる花火大会は、お盆の送り火の習慣が大規模化したものとも言われています。

花火の掛け声「たーまやーっ」「かーぎやーっ」って何?


Rei Imagine / Shutterstock.com

掛け声のたまやは「玉屋市郎兵衞」かぎやは「鍵屋弥兵衞」共に実在した江戸の花火師で、当時大川(現在の隅田川)の橋を挟んで上流と下流に分かれて、互いに花火の技を競っていました。今でも打上花火を賞賛する時には、彼らの屋号を叫ぶのです。

調べてみると、「なるほど」と合点がいくことがあなたも多いと思います。花火大会へ出掛ける前に知っておくと、また感慨もひとしおになるかもしれませんね。「花火の豆知識」シリーズは連載でお届けしますので、次回もお楽しみに。

参考
花火入門 公益社団法人 日本煙火協会
花火の歴史 徳島県火薬類保安協会
花火なんでも情報局 立岩商店
花火の意味・解説 Weblio辞書

青山 沙羅

sara-aoyama ライター
はじめて訪れた瞬間から、NYに一目惚れ。恋い焦がれた末、幾年月を経て、ついには上陸。旅の重要ポイントは、その土地の安くて美味しいものを食すこと。特技は、早寝早起き早メシ。人生のモットーは、『やられたら、やり返せ』。プロ・フォトグラファーの夫とNY在住。


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