明智光秀の娘、玉(ガラシャ)のゆかりの地
丹後 味土野(みどの)【京丹後市】
光秀の娘玉(たま)は、織田信長の勧めで16歳の時に細川忠興と結婚しました。しかし、父である光秀の起こした「本能寺の変」で逆臣の娘となった玉。夫忠興の手により、丹後の味土野(みどの)に幽閉されてしまうのです。
ガラシャが住んでいた場所には、「女城跡」と呼ばれ、「細川忠興夫人隠棲地の碑」が立てられているほか、当時使用していたといわれる古井戸があります。
ここに行くまでの道は細く、車1台が通れるほど。バスの通行はできません。麓から車で10~15分程度で着きます。
本能寺の変や味土野での幽閉など、苦難に満ちた出来事の中で、玉はキリスト教に救いを求めるようになります。そこで「ガラシャ」という洗礼名を受けました。
関ヶ原の合戦では、石田三成方の人質になることを拒否し、家臣に命じて自身の胸を貫かせたといいます。ガラシャはキリスト教を信仰していたため自殺ができず、家臣に自分を殺すよう指示したのだとか。
住所:京都府京丹後市弥栄町須川
細川ガラシャ夫人像【宮津市】
宮津は、忠興とガラシャが幸せな新婚時代を過ごした地。そこに細川ガラシャ夫人像があります。細川ガラシャ夫人像は、ガラシャと夫忠興の生誕450年記念に建立されました。
細川ガラシャ夫人像の後姿の着物の袖は、幽閉された味土野の山々をイメージしているそうですよ。
細川ガラシャ夫人像の後方には、カトリック宮津教会が見えます。こちらは、全国的に珍しい木造畳敷きという和洋折衷建築の教会なんだとか。現在は改修中のため、外観のみを見ることができます。
住所:京都府宮津市字柳縄手344
交通:京都丹後鉄道「宮津」駅下車、徒歩10分
カトリック宮津教会
住所:京都府宮津市字宮本500
電話:0772-22-3127
天橋立【宮津市】
細川幽斎・忠興が「細川三斎(忠興)の初茶会」を催し、その際に光秀やガラシャ、茶人 津田宗及や連歌師 里村紹巴などを招いたといわれている場所です。この時、ガラシャが父光秀に会った最後の時となりました。
日本三景として有名な天橋立ですが、光秀や幽斎、忠興とガラシャが一堂に会した場所でもあったのですね。
天橋立智恩寺
住所:京都府宮津市文珠天橋立公園
電話:0772-22-8030(天橋立駅観光案内所)
HP:https://www.amanohashidate.jp/
智恩寺
住所:京都府宮津市字文珠466
電話:0772-22-2553
HP:http://www.monjudo-chionji.jp/
明智光秀の盟友、細川幽斎のゆかりの地
細川忠興の父、細川幽斎(藤孝)は、光秀の盟友で同時期に将軍家に仕えました。本能寺の変では、細川家を守るために光秀を拒絶して出家しました。歌道の奥義である「古今伝授」の伝承者であり、文化人として名高い人物として知られています。
熊川宿【福井県若狭町】
細川幽斎は、熊川(福井県若狭町)で連歌の会を開き、「神無月雪をみやこのしぐれかな」などの句を詠みました。
熊川は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。昔は茅葺の家が多く、火事が多かったとか。ここでは現在、多様な形式の建物が建ち並んでいるのですが、形式が違う建物ながら景観を損なうことなく、美しい町並みを見ることができますよ。
お洒落なコーヒーショップや、シェアオフィスとして使用されている建物もあり、ゆかりの地めぐりついでにゆっくり見て回ることをおすすめします。趣があってとても素敵です。
ぶらぶらと歩いていて気になったお城の石垣のようなもの。ここには白石神社がありますが、昔熊川城の城郭があったそう。白石神社からは、熊川城址への登山道もあります。
白石神社は苔が印象的。筆者が訪れた時期は、苔と紅葉の赤がとても綺麗でした。初夏~梅雨の時期に訪れても青々とした美しい苔が見られるのではないでしょうか。
熊川城主であった沼田氏の娘麝香(じゃこう)は細川幽斎の妻でした。細川忠興、ガラシャへと続く細川家のルーツとなった場所ですね。
同じく熊川宿にある得法寺には、幽斎の妻、麝香の実家沼田氏の供養塔も祀られています。
住所:福井県三方上中郡若狭町熊川
電話:0770-45-9111
交通:JR上中駅から近江今津行きJRバス「熊川」下車徒歩約3分
舞鶴若狭自動車道若狭上中ICから車で約15分
HP:http://kumagawa-juku.com/
白石神社
住所:福井県三方上中郡若狭町熊川30-9
得法寺
住所:福井県三方上中郡若狭町熊川33-26
電話:0770-62-0319
田辺城跡【舞鶴市】
田辺城は、細川幽斎が築城しました。関ヶ原の合戦は東軍・徳川家康方と西軍・石田三成方にわかれての戦でしたが、その2ヶ月ほど前、徳川方についた細川忠興の制圧を目指し、田辺城は石田三成方15,000人の大軍に攻められます。この時、忠興は他の戦線に参加していて田辺城には不在。
忠興の父、幽斎はわずか500人の兵で田辺城に籠城します。籠城は50余日にものぼったそうですが、幽斎が古今伝授の伝承者であったことから、天皇が歌道の達人である幽斎の討死を憂慮し、天皇の勅命により包囲が解かれることになりました。
田辺城の天守台は、石の積み方が大坂城と同じ技法なのだとか。また、天守台の周りが水堀であったこともわかっており、この天守台は水堀のある最も早い時期の平城の遺構であり、日本の城郭史上重要なものであるとされています。
田辺城資料館には、細川幽斎像が飾られています。
ここでは、籠城にまつわる資料や、実際に手にとって触ることができる甲冑も展示されています。
田辺城跡の入口には、細川幽斎のキャラクター「ゆうさいくん」がお出迎えしてくれます。
住所:京都府舞鶴市字南田辺15-22
電話:0773-76-7211
営業時間:9:00~17:00
休業:毎週月曜日(月曜日が祝日にあたる場合はその翌々日)
祝日の翌日、12/29~1/3
料金:大人200円/学生(小学生~大学生)100円
今回紹介した場所以外にも、京都府内には光秀、幽斎、ガラシャのゆかりの地があります。大河ドラマ「麒麟がくる」を楽しみつつ、ゆかりの地を巡り彼らの足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。
[All Photos by Chika]