創業は1689年!江戸時代から続くこうじ専門店
大分県南東部に位置する佐伯市。江戸時代、毛利二万石の城下町として栄えた歴史を有し、今なお情緒溢れる街並みが残ります。この地に佇むのが元禄2年(1689年)に創業した「糀屋本店」。専門店として、330年以上にわたって糀を作り続けています。
先代から受け継いだ糀や、糀から作られた発酵調味料を生産・販売。塩糀や甘糀、甘酒、味噌など種類も実にさまざま。
ちなみに、こうじを表す漢字は2種類。米・麦・大豆などから作られたこうじ全般を指すのが「麹」で、もうひとつが米を材料に発酵させた「糀」です。「糀」は江戸時代に学者・政治家の新井白石が作った和製漢字で、白い菌糸が花のように米を覆うことから表現されたのだとか。
かつての日本では家庭で味噌や醤油を手作りする習慣があったため、どこの町にもこうじ専門店があったのだそう。しかしライフスタイルの変化によって発酵食品は「作るもの」から「買うもの」に。佐伯市に残るこうじ専門店も糀屋本店たった1軒になってしまったとのこと。
塩麹ブームの立役者!麹の魅力を世界にも伝える“こうじ屋ウーマン”
「古くから親しまれてきた、“糀”を日本の台所に復活させたい」
そんな想いから、一念発起したのは9代目の浅利妙峰さん。糀を活用する方法を模索するなか、ある日江戸時代の書物「本朝食鑑」に“塩麹漬”という言葉を発見。そこからヒントを得て研究を重ね、糀、塩、水を独自にアレンジ。かつては漬物床という存在であったものを、家庭で手軽に使える発酵調味料として新しく命を吹き込ませたのです。
「塩糀」が商品化されたのは2007年。徐々に評判が口コミで広がり、さらにメディアで取り上げられたのをきっかけに爆発的なブームが起こったのでした。
“こうじ業界を元気にしたい”という考えから商標登録はあえて行わず、レシピも積極的に発信したことで、多くのメーカーも追随。塩糀は瞬く間に全国へ広がり、日本の台所に改革を起こしたのです。
2011年は2億円だったこうじ業界の売り上げは、翌2012年には31倍の62億円に。いかに絶大な影響力を及ぼしたかがわかります。
自らを“こうじ屋ウーマン”と名乗り、麹文化のさらなる伝承に心血を注ぐ浅利さん。講演会は日本国内のみならず、アメリカ、イタリア、フランス、中南米などでも開催し、普及活動に尽力されています。
料理講習会も定期的に実施。糀を活用したメニューなどを学ぶことができます。(現在はコロナの影響で中止)
酵素のチカラで、素材をよりおいしく
筆者が参加した回では、塩糀を使った「ほうれん草の白和え」「冷やしトマト」「卵焼き」が披露されました。
塩糀の特筆すべきは、でんぷん質、たんぱく質、脂肪という3大栄養素を分解する消化酵素を含んでいること。肉や魚に揉み込めば身が柔らかくなり、旨味がアップ。野菜になじませれば甘みが増し、口に入れた時に「おいしい」と感じられるのだそう。
「食材をより輝かすことができるのが塩糀の特徴。“らしさ”を引き立てる黒子的な存在ですね」(浅利さん)
浅利さんが推奨するのは「素材×10%の塩糀」という使い方。この比率によって素材の旨味が引き立つ、おいしい料理に仕上がるようです。
糀屋本店では、かき氷のような「氷甘酒」や米糀を粉末にした調味料など、糀の新しい楽しみ方を提案する商品も幅広く用意(お取り寄せ可)。発酵による食の魅力にぜひ出会ってみてはいかがでしょうか?
[Photos by Nao]