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『出雲国風土記』と「国引き神話」
20年の歳月をかけて天平5年(733年)に聖武天皇に奏上された『出雲国風土記』。出雲の神話や歴史、風俗、習慣をいまに伝えてくれるものですが、そのなかで、「出雲」という国がどのように作られたかが描かれた「国引き神話」も綴られています。
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その出雲国風土記によれば、出雲の誕生に大きな役割を果たしたのが、八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)という力持ちの神。彼はできたばかりの出雲の国が布のような狭い国だったことから、ほかの土地を持ってきて縫いつけようとします。それが「国引き神話」。ちなみに、八束水臣津野命は須佐之男命(スサノオ)の4代孫として『古事記』にも登場しています。
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この八束水臣津野命は、海の向こうの朝鮮半島に土地を見つけ、その土地を出雲に引き寄せることにします。大きなクワで土地を切り出し、太い綱をかけると「クニコ、クニコ(国来、国来)」と出雲に引き寄せたといいます。そして、その土地が流されないように大きな杭にその綱をくくりつけます。
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その土地とは、現在の島根半島西端・出雲大社からも近い「日御碕」から東端の「美保関」(上写真)にかけての場所。また、日御碕の近く「稲佐の浜」からその西側の大田市にかけての海岸線が「太い綱」。さらに、大田市の南に位置する標高1,126mの「三瓶山(さんべさん)」(下写真)が「杭」といいます。
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奇想天外でスケールの大きな物語です。日御碕や美保関、三瓶山はそれぞれ今も風光明媚な観光地。朝鮮半島は当時交流があったのかもしれませんし、三瓶山は活火山で、複数の山が窪地を囲むように連なり、三瓶温泉をはじめ、たくさんの温泉が周囲にあります。それぞれが太古の時代でも知られた魅力的な地だったのはないでしょうか。
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主祭神として八束水臣津野命を祀った神社もあります。出雲大社の南にある「長浜神社」。海の向こうの土地に綱をかけて引き寄せ大地を造ったことから、スポーツ上達や武運長久、また不動産守護の神として古くから信仰されています。
出雲の国と「国譲りの神話」
日本書紀には、大国主大神(オオクニヌシノカミ)が治め、豊かな国となった出雲の国を、高天原(天上の国)の天照大神(アマテラスオオミカミ)がうらやましく思い、戦いと交渉の結果、天照大神が国を譲ってもらうという「国譲り神話」があります。
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上の写真、出雲大社の西1kmにある風光明媚な稲佐の浜には、大国主大神と武甕槌神(タケミカヅチ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があります。
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天照大神ははじめ地上の神たちを服従させるために、天穂日命(アメノホヒ)を遣わせましたが、天穂日命は大国主大神を尊敬して家来となり、帰ってきませんでした。天照大神は次いで天若日子(アメノワカヒコ)を遣わせましたが、大国主大神の娘に心を奪われ、御殿を建てて住みつきました。
使者が誰も帰ってこないので、天照大神は力自慢の武甕槌神(タケミカヅチ)と足の速い経津主(フツヌシ)ふたりの神を差し向け、武力で解決しようと考えたのです。両者の対決は力勝負となり、武甕槌神と経津主が勝ちます。そこで大国主大神は、この国を譲りはするものの、代わりに神殿を建ててほしいと願い出ました。その神殿が出雲大社であり、交渉が行われたのが稲佐の浜近くの屏風岩と伝えられています。
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上の写真は、「国譲りの交渉の結果、建てられた」という出雲大社。「国譲りの神話」は平和的に国を譲ったというお話に聞こえますが、逆の見方もあります。つまり、中央政権(大和朝廷)に敗れ組み込まれたというものです。この点については、この記事の後半に続きを記しますので、どうぞご覧ください。
縁結びの神さま「出雲大社」とは
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大国主大神(オオクニヌシノカミ)を祀る出雲大社。特に男女の縁結びの神さまとして古くから信仰を集めてきました。なぜ縁結びの神さまなのでしょうか。
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神話では、大国主大神はこの出雲大社で神事を司ることになりました。目に見えない神々の世界を治めることから、日本中の神さまがここに集うという伝説が生まれ、毎年10月に八百万の神々が集うと伝えられたのです。
今では出雲大社といえば、縁結びの神といわれますが、この縁は男女の縁結びだけでなく、実は神さまとともに人びとも豊かに栄えていく「結びつき」を表しているといいます。
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古代出雲歴史博物館には、古代の出雲大社がどのような存在だったか、そして出雲がどのような土地だったのかを伝える史料や出土品が展示されています。上の写真は平安時代の出雲大社本殿の模型。
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そしてこちらの写真は現在。この奥に本殿があります。3年半の歳月をかけて延享元年(1744年)に完成したといい、昭和27年(1952年)には国宝に指定されています。
出雲大社は、すでに8世紀には大きな社が建てられていたといいます。平安時代中頃には奈良の大仏殿よりも大きいという口伝もありました。社伝によれば、出雲大社本殿の高さは、もっとも古くは100m近くあり、その後半分の48mほどになったというのです。ちなみに現在の高さは24m。
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こちらは、出雲大社境内から2000年に発見された柱のレプリカ。直径約1.35mの巨木を3本組にして1つの柱とする、1248年(鎌倉時代)完成の巨大柱です。
出雲大社宮司「千家」家に伝わる出雲大社本殿の平面設計図『金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)』では、階段が100mもあり、巨木3本を1つの柱として組み、全9本の巨大柱が本殿を支えた構造が記されていることから、本当に巨大本殿があったのではないかと推察されるのです。
古代ロマンを感じる出雲の遺跡群
古代の出雲がどのような国だったのか、荒神谷遺跡(こうじんだに)から出土した銅剣、そして加茂岩倉遺跡で出土した銅鐸、さらに西谷墳墓群から見つかった勾玉なども、弥生時代には出雲に大きな勢力があったことを示しています。
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「荒神谷遺跡」の場所は、出雲空港の南西5kmほどの丘陵地帯の小さな谷間の斜面。出雲国風土記では、「出雲郡(いずもこほり)の神名火山(かんなびやま)」とされる地です。「かんなび」とは「神さまが隠れこもる」という意味で、信仰の対象として祀られていた山のことを指します。
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1980年代に行われた発掘調査の結果、なんと銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土したのです。出土した358本の銅剣は50cm前後で細長い剣。1カ所でこれほど多くの銅剣が出土した例はなく、古代史や考古学の研究者たちに大きな衝撃を与えました。
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銅剣は戦いの武器として弥生時代の初めに大陸から伝わったもので、日本では祭祀に使われたと考えられています。
これら出土品は1998年に国宝に指定され、遺跡自体は1987年に国の史跡に指定されました。出雲大社の隣にある島根県立古代出雲歴史博物館に展示されています。
住所:島根県出雲市斐川町神庭873-8
電話:0853-72-9044
公式サイト:http://www.kojindani.jp
※現在改修整備工事を行っているため出土現場は見学できません。博物館は見学できます。
「加茂岩倉遺跡」の銅鐸や「西谷墳墓群」の勾玉も
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次いで1996年、荒神谷遺跡からわずか3kmしか離れていない加茂町(現在の雲南市)岩倉地区の丘「加茂岩倉遺跡」で、39もの銅鐸が出土したのです。全国で最多の数でした。
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銅鐸は弥生時代の青銅器のひとつで、農業の豊作を願い祭祀に使われたという説や、楽器、また観賞用としての説もあり、その用途はいまだ謎に包まれています。こちらも出雲大社隣の島根県立古代出雲歴史博物館に出土した銅鐸が展示されています。
住所:島根県雲南市加茂町岩倉837-24
電話:0854-49-7885
公式サイト:https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/iseki/musium02.html
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さらに弥生時代後期から古墳時代前期にかけて造られた「西谷墳墓群」も必見です。ここから出土したガラスの勾玉、鉄の斧、顔料としての水銀朱は当時の日本では作られておらず、中国や朝鮮半島から伝わったと考えられています。
いま西谷墳墓群史跡は屋外公園として整備され、隣接する出雲弥生の森博物館には出土品が展示されています。
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西谷墳墓群のように出雲地方では「四隅突出型墳丘墓」が特徴でしたが、3世紀をさかいに「前方後円墳」に代わっていくのだそうです。前方後円墳は大和朝廷に特徴的な墳丘墓で、大きな墓を作れる力を持った勢力が入れ替わっていくのです。
つまり為政者が変わった可能性が大きいのです。「国譲り」とは、出雲の立場で見れば、大和勢力に敗れ、国を奪われてしまったことになります。『古事記』と『日本書紀』はもちろん、『出雲国風土記』も大和朝廷の命によって書かれたもので、朝廷、そして皇帝の正統性を示すものです。そのなかで、大国主大神のメンツを立てて、話し合いによって国を譲ったことにしたように思えるのです。
いずれにしても平和と非戦こそ何より。戦いは古代ロマンの世界だけにとどめておきたいものです。
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まだまだ謎が多い出雲の神話の世界。太古の出雲で何が起きたのでしょう。そして『出雲国風土記』や『日本書紀』『古事記』は何を物語っているのでしょうか。ロマンを感じます。
住所:島根県出雲市大津町2760
電話:0853-25-1841
公式サイト:https://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1244161923233/index.html