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【日本の美しい禁足地vol.4】弘法大師空海が修行を続ける~高野山「奥の院の御廟(ごびょう)」~

Posted by: あやみ
掲載日: Jun 6th, 2022. 更新日: Jun 1st, 2022

歴史や宗教的な背景などで立ち入ってはいけない場所。それが「禁足地」です。今回は、高野山の奥の院をクローズアップ。日本の仏教における聖地のひとつである同所には、いまもなお弘法大師空海が修行を続けているとされる御廟(ごびょう)があります。ここに立ち入ることができるのは、維那(いな)と呼ばれる特殊な僧侶のみ。さて、この御廟はどのような経緯をへて、禁足地となったのでしょうか。また、現在も行われていることとは?

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いまも​​弘法大師は修行を続けている!?

壇上伽藍とともに高野山の信仰の中心である「奥の院」。弘法大師が入定(にゅうじょう)されている聖地として有名です。一の橋から御廟まで約2kmの参道には、20万基を超える諸大名の墓石や祈念碑、慰霊碑のほか、樹齢千年におよぶ老杉の木立があり壮麗な雰囲気。

入定とは、真言密教における修行のひとつで、生きながらにして仏になるために、永遠の瞑想に入ること。835年に弘法大師は、この地で永遠の瞑想に入りました。その4年前の3月15日に弘法大師は弟子たちに「21日に私は永遠の瞑想に入り、弥勒菩薩のもとでみんなのことを見守る」と伝え、予告通りに入定したそうです。

そのため、いまも​​弘法大師がこの地で生き続けているとされています。

弘法大師は醍醐天皇に新しい衣をお願いした!?

弘法大師が入定してから約90年後の921年に、弘法大師は醍醐天皇の枕元に立ち「長らく瞑想を続けていたが、衣が痛んでしまった。新しい衣をちょうだいしたい」と伝えたとか。

当時の高野山は東寺(教王護国寺)の管理下に置かれていたため、醍醐天皇はすぐに東寺の観賢(かんげん)僧正を呼んで新しい衣を用意しました。

そして、観賢が弟子と一緒に新しい衣を持ち、奥の院の御廟に入ったところ、「まるで大師(空海)が生きているかのような姿があった」という言葉を残しています。

弘法大師の伸びていた髪と髭を整えたうえ、新しい衣に取り換えると、弘法大師は観賢僧正らを無明橋まで見送ったとか!

特殊な僧侶「維那(いな)」のみが弘法大師に近づける

現在、私たちが、もっとも弘法大師の近くでお参りできるのは、奥の院の賽銭箱とロウソク立てがある弘法大師御廟前です。そこには柵があり、御廟には近づけないようになっています。

1200年にわたり、唯一、維那だけが朝6時と10時半に弘法大師のもとに、1日2回の食事を運んでいます。その儀式が「生身供」(しょうじんぐ)です。さらに弘法大師に食事を運ぶ前に、嘗試(あじみ)地蔵に味見してもらうとのこと。

また、維那に任命された僧侶は、御廟の中のことを一切他言してはいけないそうです。

気になる弘法大師の食事内容は!?

弘法大師の食事が御供所から御廟へと運ばれていく様子は、一般の人でも見ることができます。気になる食事の内容は……? 基本的には精進料理ですが、パスタやシチューなど、洋食の場合もあるそうです。

しかし、この食事を運ぶ儀式は、神聖なものなので、遠くからそっと見守りたいですね。

御廟の手前にある燈籠堂には「消えずの火」が!

真然大徳が最初に建立した燈籠堂には、寄進された燈籠が多数吊り下げられていて幻想的な雰囲気。中には千年近く燃え続けている二つの「消えずの火」があり、そのうちのひとつは、白河上皇が献じた「白河燈」なのだそうです。

高野山を訪れる機会があったら、ぜひ弘法大師御廟前で手をあわせたいですね。

 

あやみ

Ayami ライター
フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。


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