TABIZINE > 北アメリカ > アメリカ > 現地ルポ/ブログ > 【時代を先駆けたニューヨーカー】アメリカと中国政府が引退させたベイビーフェイスのギャング

【時代を先駆けたニューヨーカー】アメリカと中国政府が引退させたベイビーフェイスのギャング

Posted by: 青山 沙羅
掲載日: Jul 18th, 2022.

アメリカ・ニューヨークでは、時代を先駆けた人物が彗星のように現れては輝き、そして消えて行きました。時代を先駆け、時代を作り、新たな道を作ったニューヨーカー。今回ご紹介するのは、20世紀のニューヨーク市チャイナタウンを震撼させた男の話です。

Facebook はてなブックマーク LINEで送る コメント

1904年 Mock Duck
Mock Duck, leader of Hip Sing Tong organization in Chinatown, New York City, New York (C)The Library of Congress 


20世紀のニューヨークを震撼させたチャイニーズ・ギャングの対立

Doyer Street, Chinatown, N.Y.C 1909
1909年 ニューヨーク チャイナタウン ドイヤーズ・ストリート(C)The Library of Congress 

20世紀初頭のマンハッタンのチャイナタウンには、違法の賭博場と阿片窟、売春窟が乱立し、30年の間2つの中国系ギャングが権力や縄張り争って“Tong Wars(ギャング抗争)”が続いていました。

ギャングのひとつは「伝説のベイビーフェイスのギャング」ことモック・ダック(Mock Duck 本名:Sai Wing Mock)が率いる「協勝公会 (ヒップシン本部 Hip Sing Association)」で、チャイナタウンのペル・ストリート(Pell Street)が本拠地。

もうひとつは、「チャイナタウンの市長」ことトム・リーが率いる「安良工商会(レオン本部 On Leong Chinese Merchants Association)」で、チャイナタウンのモット・ストリート(Mott Street)が本拠地でした。

米ニューヨーク市のチャイナタウンが悪の温床になった経緯

米ニューヨーク市のチャイナタウンが、ギャング抗争の勃発地になったのには、下記のような経緯があります。

ゴールドラッシュの安価な労働力に脅威を感じた米国人

1848年、西海岸カリフォルニアで金脈が発見され、ゴールドラッシュの労働力として安価な賃金で働く中国人が採用され、多くの中国人男性が故国から単身で渡米しました。しかしながら、掘り当てた金脈は白人鉱夫に奪われ、さらに州議会からは外国人鉱夫税を課せられる、不平等な労働環境でした。

その後のアメリカで大不況とデフレにより仕事が激減した時、安価でも働く中国人に仕事を取られたと中国系移民に対する反感が湧き上がります。

1871年10月、ロサンゼルスで中国人ギャングと疑われる集団と地元警官の間で銃の撃ち合いが起こり、白人の元酒場店主1人が殺害され、警官1人が負傷。この事態を引き金に、怒りが爆発した約500人の白人とヒスパニック系の暴徒たちがロサンゼルスのチャイナタウンに乗り込み、襲撃事件へと発展。町の中国人人口の約10%にも上る19人が犠牲者となる無差別殺人が起こりました(事件後8人が有罪になったものの、1年後には全員が手続き上の問題を理由に無罪放免へ)。

ニューヨークのチャイナタウンは男性社会だった

中国系に対する反感、差別はやがて中国からの移民を禁止する「1882年中国人排斥法」へとつながりました。

米国西部での差別による暴力を恐れ、中国人は西海岸から東海岸のニューヨークに生きる道を求めて移動。マンハッタンのローワーイーストサイドには、すでにアイルランド人、ユダヤ人、イタリア人の移民が住んでおり、厳しい移民法によって中国人の人口は最小限に抑えられていたにもかかわらず、1880年までに現在のチャイナタウン周辺には700〜1,100人の中国人移民が住んでいたと言われています。

仕事を求めてやってきた中国人は、家族を国に残した単身の男性で、中国人排斥法が制定されたことにもより、一般人の中国人女性はほぼいなかったそうです。男性社会のチャイナタウンは賭博、売春、アヘンなどに慰めを求める、男性的な悪徳の温床として知られるようになりました。

米国人から中産階級の仕事に就くのを恐れられ、中国系移民の仕事は洗濯業やレストランにほぼ限られました。どちらの職業にも興味がない男性にとって、ギャングになることも少ない選択肢の中のひとつでした。ニューヨークの組織犯罪の台頭は、外国人の排斥、人種差別、移民に端を発しています。

冷酷で知的 協勝公会(ヒップシン)のリーダー モック・ダック

1904年 Mock Duck
1904年 協勝公会(ヒップシン)のリーダー モック・ダック 25歳当時 (C)The Library of Congress 

自称「1879年サンフランシスコ生まれ」のモック・ダックは、1890年代にサンフランシスコからニューヨークへ移住し、20代の若さで「協勝公会」のリーダーとなり、30年間支配し続けました。

おそらくは口元の印象からDuck(アヒル)と名付いた通称で、モック・ダック(Mock Duck)と呼ばれ、「無邪気で、いつも笑顔、まんまる顔のマキャヴェリ」と評されましたが、かわいい印象の顔と異なり、恐ろしく冷酷で知的でした。

モック・ダックは服の下に鎖帷子のシャツを着て、袖に小さな手斧を隠しながら2丁の銃を持っていました。縄張りであるペル・ストリートにしゃがみ込み、目を閉じたまま2丁の拳銃で、彼の命を狙う攻撃者に発砲したと言われています。

「協勝公会(ヒップシン本部 Hip Sing Association)」

1933年 協勝公会
1933年 協勝公会(ヒップシン本部 Hip Sing Association)の内部 左から3人目が1933年当時のリーダー Eddie Gong (C)The Library of Congress 

ヒップホップのスターのような、現代的な名前の協勝公会(ヒップ・シン Hip Sing Association)は、1870年にサンフランシスコで設立され、1890年代にLaing Yueによってニューヨーク市に拡大しました。

もともとは米国での人種差別や搾取から中国人移民を保護するために形成されましたが、のちに違法の賭博場と阿片窟、売春窟を運営する暴力的な犯罪組織になりました。組織を支配する年若いモック・ダックは、チャイナタウンで最も悪名高いリーダーとして知られています。サンフランシスコやニューヨークのほか、シカゴ、ミネアポリス、フィラデルフィアなどアメリカ主要都市にも支部があります。

Photo by Hideyuki Tatebayashi 協勝公会 ヒップシン本部
2022年6月8日 現存する協勝公会 (ヒップシン本部 Hip Sing Association)  [Photo by Hideyuki Tatebayashi ] Do not use images without permission.

狭いペル・ストリートに現存する協勝公会が、現在はどういった活動をしているか不明ですが、ビル内から出てきた方は堅気の方には見えない凄みがありました。向かいの床屋さんなども系列に見えますので、写真撮影などしないほうが良さそうです。ニューヨーク市内で最初のアヘン窟は、ヒップシン本部の隣(13 Pell Street)でした。1階では中国の骨董品や食品の販売を表向きの商売に見せかけ、2階では実質本業のアヘン窟を経営していたと言われています。

協勝公会 (ヒップシン本部 Hip Sing Association)
住所:15 Pell St, New York, NY 10013

「チャイナタウンの市長」と呼ばれた黒幕 安良工商会のリーダー トム・リー

Sam Lee [i.e., Tom Lee], Mayor of Chinatown
Sam Lee [i.e., Tom Lee], Mayor of Chinatown, 86 yrs. old, at American picnic to seal Chinatown pact 1913 (C)The Library of Congress

1918 Funeral procession of Tom Lee
1918年1月14日 チャイナタウンで行われたトム・リーの盛大な葬式(自然死と言われる)(C)The Library of Congress 

安良工商会(レオン本部 On Leong Chinese Merchants Association)のリーダー、トム・リーは14歳で渡米後、人々からの尊敬とコネからお金と権力を獲得し「チャイナタウンの市長」と呼ばれました。1884年までに、トム・リーは16の賭博施設を運営していましたが、常に警察や政治家に賭博からの収入の一部を支払い、癒着した関係にありました。

1900年、モック・ダックは、トム・リーの利益を見て彼が邪悪な男であると判断し、トム・リーの賭博事業収入の半分を要求しました。当時20歳そこそこの若僧であるモック・ダックの要求をトム・リーが拒否すると、48時間以内にモック・ダックは安良工商会に対して報復を宣言。協勝公会のメンバーがトム・リーの下宿の1つに火を放ち、2人の男性が死亡しました。さらに協勝公会の殺し屋によって、安良工商会の男が2人が斬首され、チャイナタウンでギャング抗争が始まりました。

「安良工商会 (レオン本部 On Leong Chinese Merchants Association)」

1920.the Chinese Merchants Association building
1920年モット・ストリートにある安良工商会(レオン本部) (C)The Library of Congress 

安良工商会は、ニューヨークで結成されました。

安良工商会 Photo by Hideyuki Tatebayashi
2022年6月8日 現存する安良工商会 [Photo by Hideyuki Tatebayashi ] Do not use images without permission.

現存する安良工商会は、モットストリート入り口に聳える城のよう。今日でもチャイナタウンの多くを統括していると言われています。

安良工商会
住所:83 Mott St, New York, NY 10013

「血まみれの曲がり角(The Bloody Angle)」、ドイヤーズ・ストリート

1909年 Chinatown, N.Y.C. - Doyers St
1909年当時 ギャング抗争が行われたドイヤーズ・ストリート  (C)The Library of Congress 

協勝公会の本拠地ペル・ストリートと安良工商会の本拠地モット・ストリートの間に挟まれた、ドイヤーズ・ストリート(Doyers St)は、安良工商会と協勝公会の確執の中立的な立場のはずでした。

しかし、1905年8月7日の夜にすべては変わりました。ドイヤーズ・ストリートにあるチャイニーズ・シアターは「王の娘」の上演でにぎわい、双方のギャング・メンバーが集まりました。

突然、最前列に座っていた協勝公会の男が爆竹の列に火をつけ、それをステージに投げこみました。100発の一斉射撃が劇場を引き裂き、4人の安良工商会のメンバーが死亡、民間人2人も巻き添えで亡くなりました。協勝公会の殺人者は、ドイヤーズ・ストリートにある地下トンネルのひとつから逃げたと言われます。虐殺の容疑者は、誰も起訴されませんでした。

60mほどの短いドイヤーズ・ストリートは、90度のカーブがあるため相手から見えず、待ち伏せに最適でした。「血まみれの曲がり角(The Bloody Angle)」と呼ばれ、何年にもわたるギャング抗争の現場になり、当時アメリカのどこよりも多くの殺人事件があったと言われます。

安良工商会はスミス&ウェッソンの銃、協勝公会はコルトの銃を武器として使用していましたが、「血まみれの曲がり角」の名前を有名にした武器は手斧です。拳銃は音がして人目を引くので、協勝公会のギャングは手斧を持ち、ドイヤーズ・ストリートの角で待ち伏せて石畳の通りを血で染め、地下トンネルを通って逃げ出しました。警察が押収した手斧はスコップほど大きく、恐ろしい武器です。

by Hideyuki Tatebayashi Doyers St
2022年6月8日現在のドイヤーズ・ストリート [Photo by Hideyuki Tatebayashi] Do not use images without permission.

美女をめぐって始まった戦い

ニューヨークでは、20世紀の変わり目から1930年代にかけて、発生時期が異なる4つの大きなギャング抗争が発生しました。

最初は賭博の管理、2つめは女性の所有権、3つめはアヘンの流通、4つめは1つのギャングから別のギャングへの亡命のために起こりました。相手の挑発にのらないとメンツを潰されると考え、ギャング抗争は休むことなく続きました。

1909年、「小さく可憐な花」と呼ばれたボウ・クム(Bow Kum)という若い中国女性の惨殺は、ニューヨーク市に衝撃を与えました。

1888年に中国で生まれたボウ・クムは、父親から数ドルで人身売買され、サンフランシスコに渡りました。サンフランシスコでは、協勝公会と同盟を結んでいたフォー・ブラザーズ・トング(Four Brothers Tongs)のリーダーであるロー・ヒー・トング(Low Hee Tong)に再び3,000ドルで売却されました。

彼らは4年間一緒に暮らしましたが、結婚許可証を作成できていなかったため、4年後にロー・ヒー・トングが逮捕された時、ボウ・クムはキリスト教の宣教師に救出されました。

チン・レン(Tchin Len)という男が彼女を妻にすることを約束したので、宣教師がボウ・クムを引き渡し、2人はニューヨーク市で所帯を持ちました。しかし、チン・レンは、協勝公会と敵対する安良工商会のメンバーでした。

ボウ・クムを盗まれたロー・ヒー・トングは怒りに燃え、刑務所から出た後彼女を追跡し、チン・レンに売却代金の3,000ドルの返済を要求。チン・レンが拒否した後、1909年8月15日、ボウ・クムはモットストリートの自宅で、指を切り落とされ心臓を何度も刺された姿で発見されました。彼女の殺害で2人の協勝公会の手下が裁判にかけられましたが、有罪にはなりませんでした。

“One、Two、Three(1、2、3・・・)” モック・ダックが有罪にならない理由

 1906 Chinamen arrested after Mock Duck & Tom Lee factions' shooting in Chinatown1906年1月24日 抗争事件で逮捕されたチャイニーズ・ギャング 写真左から5番目がモック・ダックと思われる (C)The Library of Congress

モック・ダックは何度も殺人などの犯罪で逮捕されましたが、有罪になることはありませんでした。裁判にかけられる前に、目撃者の男の自宅は火事になり、バルコニーから飛び降りて死亡。火事は階下のレストランの鍋からの引火が原因に見えましたが、疑わしい状況でした。

モック・ダックの最初の裁判は絞首刑が要求されていましたが、有罪とはなりませんでした。のちに白人の証人から、証拠を提出すれば「今日死ぬ」というメモで脅されていたことが、明らかになりました。脅しのメモは下記のようなものでした。

あなたの目にはコショウを
あなたの心臓には銃弾を
あなたはもう終わり
中国人の事件の目撃者は要らないから、あなたが死ぬのは良いことだ
(青山沙羅 意訳)
 
Pepper in your eyes
and bullet in your heart.
You no go alive…
best thing you die so you make no more witness for Chinese.’

メモには”One、Two、Three(1、2、3・・・)”という署名があり、これはギャング特有のコードのようです。おぞましいメモを受け取った証人は、口をつぐみ証言をしませんでした。

アメリカと中国政府が説得して引退させた男

Tie You, wife of Mock Duck
モック・ダックの妻 タイ・ユー 1906年3月 (C)The Library of Congress 

我が世の春を謳歌していた協勝公会のリーダー、モック・ダックは、手入れされた長い爪を持ち、仕立ての良いスーツに身を包み、ピカピカの靴を履いて、その姿はダイヤモンドが滴るような羽振りの良さでした。妻タイ・ユーの様子(写真上)からも豪華な生活を送っている様子がうかがえます。中国人の子どもたちには超自然的な能力を持っていると信じられ、殺人者として伝説的な存在になりました。

モック・ダックは何度も逮捕されましたが、有罪になることなく釈放されました。有罪になったのは1912年の違法賭博(宝くじのようなもの)のみで、シンシン刑務所で2年間の懲役に服しました。

何度も和平交渉の仲介が入ったものの、ギャング抗争はおよそ30年間続きました。

1932年、モック・ダックはチャイナタウンのギャング抗争の終了を促す米国と中国の政府との調停にやっと同意し、引退してニューヨーク市ブルックリンに移り、1941年7月23日に62歳で亡くなりました。協勝公会のリーダー、モック・ダックと安良工商会のリーダー、トム・リーはギャング抗争中、何度も命を狙われましたが、結局2人とも自然死で亡くなっています。

参考
米西海岸で150年前にあった 血塗られたアジア人差別の歴史 ナショナル・ジオグラフィック日本版
Gangs of Chinatown New York Daily News
Manhattan’s Chinatown: a tribute to the old neighborhood, and to the temptations of rich delicacies and basement vices The Bowery Boys
Hatchets And Blood: Scenes And Stories From The Deadliest Street In The United States All That’s Interesting
From The Five Points To The Five Families, Go Inside 200 Years Of New York’s Violent Underbelly  All That’s Interesting
Tong Wars: Gangs of Chinatown Map Infamous New York
The Chinese Theater Massacre Infamous New York
We unearth the secrets of NYC’s ‘Murder Alley’ — the dangerous streets where notorious gang warfare once lived  NEW YORK DAILY NEWS
Sai Wing Mock Alchetron
The Chinese American Gang Wars That Rocked New York Vice
The gang wars that left New York littered with bodies BEFORE the Mafia’s Five Families ruled: How the tit-for-tat Tong wars brought bloody but well-dressed terror to Chinatown Daily Mail
Mock Duck Find a Grave

青山 沙羅

sara-aoyama ライター
はじめて訪れた瞬間から、NYに一目惚れ。恋い焦がれた末、幾年月を経て、ついには上陸。旅の重要ポイントは、その土地の安くて美味しいものを食すこと。特技は、早寝早起き早メシ。人生のモットーは、『やられたら、やり返せ』。プロ・フォトグラファーの夫とNY在住。


, | 豆知識,北アメリカ,アメリカ,現地ルポ/ブログ


アメリカの現地ルポ/ブログ関連リンク

2013年5月3日 ウォール街 2013年5月3日 ウォール街
1904年 Mock Duck 1904年 Mock Duck








1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 NEXT

#ニューヨーク #偉人



豆知識 北アメリカ アメリカ 現地ルポ/ブログ