元々は神だった妖怪たち
日本神話の神々は、人間に恵みを与えるが、時には悪神として災厄をもたらす。神とは、自然に対する畏れから生まれた存在だからである。同じように、不可思議な現象や日常の不安から生まれたのが、妖怪である。
人間を水中に引きずり込む河童、山に潜んで人を惑わす天狗、怪力で村々を破壊する鬼など、妖怪と聞くと奇怪でおどろおどろしいイメージがあるかもしれないが、元々は神に近い存在だった。どちらも人知を超えた存在であり、妖怪を神として崇める地域も少なくない。民俗学では、神が堕落して妖怪や悪鬼になったというとらえ方もあるほどだ。
そんな、神の座から転落したと考えられている妖怪の一つが、河童である。河童は頭頂に皿がついた全身緑色の化け物で、普段は川に潜んでいると考えられていた。気づかず川に近づくと、尻子玉(しりこだま)という活力の源をえぐり出すと恐れられていたようだ。
しかし、こうしたイメージは江戸時代以降に 書物を通じてつくられたものである。それより前の時代では、一説には水神として崇められていたという。
河童の好物といえば、すぐにきゅうりが思い浮かぶだろう。加えて、河童は相撲も好きだったという伝承がある。相撲の起源は豊作祈願の神事であり、きゅうりは水神への供物である。 こうした関連性から、河童は水神が妖怪化したと指摘されているのだ。
福岡県北九州市の皇産霊(みむすび)神社や東京都台東区の曹源寺(そうげんじ)の境内にある河童堂も、河童を水難よけの水神として祀るためのものである。同じような妖怪としては、四国九州の川で男を引きずり込む川姫というものがいて、清流の女神であるセオリツヒメと関係があると語られることもある。
鬼の意外な正体
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河童以外にも、日本各地の風習を調べれば、神から変化したと思われる妖怪が見受けられる。いずれも、自然の神秘を反映した、人とは異なる存在だとみなされている。
修験道では天狗を山の神や精霊が変化したものと考え、山で迷った人間を喰らう山姥(やまんば)は、山神の化身かその使いだとされていた。本来は動物神だった神猿(まさる)も、岡山県津山市の中山神社などに残る伝承では、生贄を求めて祟りを起こす妖怪として語られる。
いずれも恐ろしい存在だが、神が変異した存在のなかで最も強大なのは、鬼である。
鬼といえば、頭に角を生やして金棒を担ぐイメージが定着しているが、元々は形を持たない不定形な存在で、人々に害を与える現象や邪神を含めた、霊的な怪物だった。中国で悪しき霊的存在と信じられていたものが日本に伝来すると、次第に邪神や悪霊の類も鬼に含まれていったようだ。鬼を払う儀式も中国から朝廷に伝わり、9世紀には追儺(ついな)という、鬼払いの儀式が行われるようになっていたようだ。
鬼の一種である天邪鬼(あまのじゃく)は、ひねくれ者を指す言葉として使われているが、その正体は「記紀」に登場する女神の天探女(あめのさぐめ)だともいわれる。地上に降りた天稚彦(あめのわかひこ)を天からの使者を殺すようそそのかしたことから、後世になると鬼にされたという。
鬼の伝承は、日本各地にも残っている。東北地方の行事であるナマハゲは、見た目は鬼のようだが実は神の使いであり、京の貴船大明神は、恋に破れた女を鬼神に変化させている。また、オオクニヌシの同神ともいわれる大物主神の「モノ」は、「オニ」を意味するという考えもある。その考えに従えば、国津神の頂点に立つ存在は、鬼だったことになる。
一方で、妖怪から神になるケースも多い。船を沈める霊でありながら、船の守護神としても祀られる船霊。魔性の力で人を襲う一方で、神として飼い主を魔から守ることもある化け猫などはその典型で、まさに神と妖怪は表裏一体の存在だったのである。
【出典】
『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社)
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