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【金沢ミステリー】「妙慶寺」が火事で燃えなかったのは天狗のおかげ?住職の枕元に置かれた“火よけの額”の謎

Posted by: 坂本正敬
掲載日: May 6th, 2021.

江戸時代からの歴史が色濃く残る石川県金沢市の不思議な話を紹介する連載。今回は市内の中心部を流れる犀川の河岸段丘に広がる寺町寺院群にあるお寺、妙慶寺に残る八角の板の話を紹介します。

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妙慶寺の外観


「てんぐさんが守っとる、てんぐさんの寺や」


妙慶寺から見た蛤坂と犀川大橋

金沢には寺院が密集したエリアがいくつかあります。市内の中心部から見て東側には浅野川、西側には犀川が流れ、その川べりにはそれぞれに寺院群があります。今回の舞台は犀川沿いにある寺町寺院群になります。

寺町寺院群には「忍者寺」の通称で有名な妙立寺もあります。その寺町寺院群の方に向かって、市内の中心地、例えば香林坊や堅町などの繁華街から歩くと、犀川に架かる犀川大橋を越えたところで、傾斜のきつい坂道(蛤坂)が見えてきます。ちょうど、市内の中心地から犀川大橋を越えた右手には、過去記事「【金沢ミステリー】文豪・室生犀星を育てたお寺に残る『捨て子を救う迷子石』とは?」でも登場した雨宝院があります。密集した建物を縫ってS字の曲線を描きながら上る細長い蛤坂は、犀川大橋を越えて逆の左方向に延びています。

蛤坂は「はまぐりざか」と呼びます。その由来は、1733年に先ほどの雨宝院で起きた火災が一体に広がり、家屋573軒と7つの寺社を焼いた出来事にまでさかのぼります。

もともとこの坂道は、浄土宗の妙慶寺が江戸時代初期に建立(現在の富山から移築)された時に、犀川の川岸から河岸段丘を切り開いた道だと記録されています。その際、門前の東西に10軒の家が建ち、小さな門前町ができました。そのころ坂道は「妙慶寺坂」と呼ばれていました。ただ、がけっぷちに切り開かれた坂道は、1700年にがけ崩れで通行止めになります。竹矢来(竹を交差させてつくる囲い)が組まれ、人の通行が禁じられます。30年近く放置されていた中で、坂下の雨宝院に火事があり、火の手はがけっぷちの坂道に及びました。

延焼によって、大変な被害が生じ、混乱が起きます。この火事を受け、ようやく加賀藩は坂道の改修に着手し、家々を立ち退かせて坂道を拡張します。もともと狭かった道の幅が火災により広がったため、焼いたハマグリが口を開く姿に重ねて、蛤坂と呼ばれるようになりました。しかし、その火災で不思議な出来事が起こります。坂道を上った先にある妙慶寺だけが、火災を免れたのです。このお寺、その後の度重なる周辺の火災でも、火が焼け移らなかった歴史があるのだとか。

そのたび、近在の人たちは、

<不思議やなぁ、周りはみんな焼けてしもたのに、妙慶寺だけが焼け残った。やっぱりてんぐさんが守っとる、てんぐさんの寺や>(金沢市の公式ホームページより引用)

とうわさをするみたいです。どうして妙慶寺だけ、火事が広がらないのでしょうか。人々がうわさする「てんぐさん」とは、何なのでしょうか。

救ったトビ(トンビ)がてんぐの姿で夢枕に現れる


撮影時、改修工事を行っていた妙慶寺

妙慶寺には、檀家のみに拝観が許された、八角の板(額)が飾られているといいます。檀家とは、

<一定の寺院に属し、これに布施をする俗家>(『広辞苑』より引用)

ですね。要するに妙慶寺に深く関係した人たちしか拝観が許されない、八角の板が存在しているわけです。

この八角の板は、「火よけの額」ともいわれています。板の裏表に「大」「小」と書かれ、太陽暦で31日ある月には「大」を見せ、30日以下の月は「小」を見せて飾るといいます。この「大」「小」の文字を削った八角の額を、てんぐが住職に贈ったという言い伝えが、お寺には残っています。

話は妙慶寺の5代目住職である向誉(こうよう)上人の時代に、さかのぼります。武蔵が辻、具体的には今でいう近江町市場などのあるエリアを住職が歩いていた時、1羽のトビ(トンビ)が大勢の子どもたちにいじめられている現場に出くわしたのだとか。

住職は「命を粗末にしてはいけない」と子どもたちの輪の中に入って、トビを救います。トビとは、タカ目タカ科の鳥。「ピー、ヒョロヒョロ」という鳴き声が印象的な勇ましい猛きん類で、筆者の暮らす富山でも海辺を中心によく見ます。金沢ではまさに犀川沿いの河岸段丘上を、群れを成して飛んでいる様子を見た記憶もあります。このトビを、住職が助けて逃がしたところ、その夢枕にてんぐが現れたといいます。てんぐは自分が昼間に助けられたトビだと明かし、住職に対して「何かお礼をしたい、望みはないか?」と聞いたのだとか。

住職が「特にない。当たり前の行いをしただけだ」と答えると、てんぐ(トビ)は「それならば、これを」と言って、上述の八角の額を贈ったのです。てんぐはトビのような鋭い爪で、板に「大」と「小」の字を削り出します。その額を渡す時に、「この額が火災を防いでくれるだろう」と言ったそう。住職は目を覚まします。夢かと思って周りを見ると、実際に火よけの額が置かれていました。夢だったのか、現実だったのか。住職は八角の額をお寺に飾ります。

八角の板をまねた「大小暦板」を飾る文化も生まれた

その後、1733年には坂下の雨宝院で起きた火災が、周辺を焼きました。人々は逃げまどい、大変な参事だったといいます。しかし、偶然なのか、ご利益なのか、周辺の7つの寺社を焼いた大火でも、妙慶寺のみが火災を免れ、「やっぱりてんぐさんが守っとる、てんぐさんの寺や」と近所の人たちが呼ぶきっかけとなりました。

このご利益にあやかろうと、金沢の商家では八角の板をまねた「大小暦板」を、火難よけとして飾る文化も生まれたみたいです。やはり、話は本当なのでしょうか。

妙慶寺に続く蛤坂は、犀川大橋から見上げると、実に絵になります。周囲は「寺町台寺院群」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているだけあって、雰囲気も良く、お寺の近くから不意に見える遠景の眺めも見事です。

妙慶寺の周辺は、にし茶屋街、忍者寺、雨宝院など、観光地も少なくありません。新型コロナウイルス感染症の影響が収まり、再び観光が自由にできる時代が戻ったら、妙慶寺周辺にもぜひ訪れ、てんぐの物語を雰囲気だけでも体感してみてくださいね。


妙慶寺周辺からの眺め

[参考]
天狗さんの寺 – 金沢市
蛤坂「毒消しゃいらんかね」物語 – 金沢の坂道
※ 『よく分かる金沢検定受験参考書』(北國新聞社)
※ 『郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県』(人文社)
※ 現地案内板 – 金沢市
※ 現地案内板 – 加越能史談会
妙慶寺 – 金沢旅物語(金沢市観光公式サイト)
妙慶寺 – 日本伝承大鑑

[All photos by Masayoshi Sakamoto(坂本正敬)]

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター
翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。


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