世界三大美女は日本でしか通じない
Ono no Komachi by Suzuki Harunobu(Wikipediaより)
「世界三大美女」と聞いて、最初に何を思い浮かべますか?
一般的には、古代エジプト女王・クレオパトラ、中国唐代の皇妃・楊貴妃、そして、百人一首でも知られる平安時代の歌人・小野小町といわれていますよね。
しかし、筆者の場合は「本当かよ?」という突っ込みです。誰が、どのように決めて、しかも、世界はどれだけ認めているんだろうと、素朴に思います。
その疑問を基に調べてみると、やはり基本的には怪しい情報のようですね。まず、英語圏のメディア情報を調べても、英語で記述が見当たりません。
裏を返せば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町を世界三大美女と言う人たちは、日本にしかいないとわかります。
小野小町単独で調べてみても、英語圏の主要なメディアが特集を組んだ形跡も見られませんでした。歌人としての力量と功績は疑いようがありませんが、その世界的な知名度は疑わしそうです。
オリエンタリズムとナショナリズム
では、どうして世界三大美女なる言葉が生まれ、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町がその3枠に選ばれたのでしょうか?
その点について先行研究を調べたところ、東京大学ヒューマニティーズセンターの『「世界三大美人」言説の生成――オリエンタルな美女たちへの願望』という論文が見つかりました。
ざっと話をまとめると、明治時代の終わりから大正の初期に、メディアを通じてうわさのように広まった言説が「世界三大美女」論とのこと。言い換えれば、日本のメディアが議論に火を点け、そのうち出どころがわからなくなるくらいまで国民に浸透した、日本国内でのみ通じる表現なのですね。
明治維新を経て、西洋の人名が国民にも知られるようになると、3人の美人を並べて描く浮世絵の伝統なども手伝って、東西の三大美人論が展開され始めます。しかも、明治20年代は雑誌などで「世界三大○○」を選ぶ風潮が強まった時代でもあったのだとか。
その状況下で、黒髪の美女を尊ぶオリエンタリズムと、日本の国力増強に伴うナショナリズムが絡み合い、世界三大美女の中に日本人を交えた、東洋的なにおいの強い3人が人選されたのですね。
確かに、世界三大美女の中にアジアから2人も選ばれている点は異様ですし、現代の感覚からすれば極めてアンバランスですよね。
<西洋や中国に対抗しうる力が日本にあると信じたいとする願望>(「世界三大美人」言説の生成――オリエンタルな美女たちへの願望より引用)
が小野小町を推したとの話。
世界の人と会話する際、特に、中国とエジプト以外の国の人と話す場合は、ちょっと要注意のネタかもしれませんね。
[参考]
※ 「世界三大美人」言説の生成――オリエンタルな美女たちへの願望 – 永井久美子
※ 「世界三大美人」って誰が決めたの?東大准教授・永井久美子先生と謎に迫る – UmeeT
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