失われたアークがあるとされるエチオピアの「アクスム」とは?
エチオピア北部に位置する都市「アクスム」はイエスが誕生した頃に勃興したアクスム王国の中心地です。アクスム王国は東ローマ帝国の半同盟国として海上貿易で栄えたキリスト教国でした。しかし、はっきりとした原因は不明ですが、7世紀頃に衰退が始まり、9世紀頃に滅びたそうです。
アクスムの遺構としては、4〜5世紀にかけて造られたと考えられている多数の「ステッレ」と呼ばれるオベリスクが特徴的。アクスムで2番目の大きさを誇ったオベリスクは、全長約24mあり、1937年にイタリアのムッソーニ軍隊によって持ち去られましたが、イタリア政府によって返還され、2008年に元の場所に戻されました。
そのほか、広大なシバの女王の神殿跡などがあります。そんなアクスムの街全体は、1980年に世界遺産に登録されました。
アークが所蔵されていると言われる「シオンの聖マリア教会」
エチオピア正教会の「シオンの聖マリア教会」は、4世紀にアクスム王国のエザナ王とアッベバ女王によって創建されました。
現在の教会は17世紀に再建されたものです。こちらの教会は女人禁制となっていますが、すぐ隣にある「新シオンの聖マリア教会」には女性も見学できます。
「失われたアーク」といわれているワケ
※画像はイメージです。
モーセがシナイ山で神から受け取った10の戒律「モーセの十戒」が刻まれた石版を納めた聖櫃(アーク)。かつてアークは、聖地エルサレムのソロモン王の王宮にあったとされます。しかし、ある時期を境に歴史から忽然と姿を消したことから、「失われたアーク」といわれるようになったそうです。
そんな失われたアークが、なぜエチオピアにあるのでしょうか? 諸説ありますが、エチオピアの歴史書によると、シバの女王がエルサレムを訪れた際、ソロモン王との子ども「メネリク1世」を妊娠し、そのメネリク1世がエチオピアに持ち帰ったとのこと。
現在、アークはシオンの聖マリア教会の礼拝堂で保管されているといわれています。
年に1度、レプリカのアークを見るチャンスも!
シオンの聖マリア教会の隣にある「新シオンの聖マリア教会」
普段は「アークの番人」と呼ばれる1名の修道士以外は礼拝堂に入ることができません。ですが、エチオピア正教の祭りのひとつで、 イエス・キリストがヨルダン川で洗礼を受けた日を記念して行われる「ティムカット祭」(毎年1月19日の前後3日間)では、各教会からタボットと呼ばれるレプリカのミニチュアアークが川やプール、各町の水がある場所に運び出され、人々の前に姿を現します。
総司教が水に十字架を浸して聖水にするのです。そのため、多くの信者がその聖水を浴びようと集まります。
アクスムには、エジプトに匹敵する壮大な巨石文化の遺跡が残っているといわれていますので、古代ロマンに思いを馳せつつ、チャンスがあれば一度は訪れてみたいですね。
アクセス:エチオピアのアディスアベバのボレ国際空港から国内線に乗り継ぎ、約1時間半でアクスム空港に到着。そこからアクスムの町までは、タクシーで約15分です。
[参考]
世界遺産オンラインガイド
特集『失われたアークとアクスム王国をめぐる謎』/TBS
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