©︎山田憲司
世界の頂点を目指して
©︎山田憲司
100年以上続く老舗、山田一畳店(やまだはじめたたみてん)。そこで働く山田憲司さんが作り出す龍や鶴などをデザインしたこれまでにない畳が、SNSを中心に大きな話題となっています。
かつての畳は日本の伝統産業として根付き、畳を作る職人を近所で目にする機会も少なくありませんでした。しかし農林水産省によると、1996年には2694万枚だった畳表の国内生産量は減少を続けており、2019年には250万枚まで落ち込んでいます。
山田さんは、1869年に創業した山田一畳店の5代目。2017年に東京の建築事務所を退職し、翌年家業を継ぎました。一般的な畳だけでなく、現代のインテリアに合い、世界に通用する畳を目指して円や多角形を敷き詰めた幾何学模様などのデザイン畳を制作しています。
1983年生まれの山田さんは、物心ついた頃から畳の業界は衰退に向かっていると感じていたといいます。100年以上も続く店が自分の代で無くなることへの寂しさがあったものの、家業の畳屋を継ぐつもりはなく、大学卒業後は建築事務所で働いていました。
ある日、友人の依頼がきっかけでハイエースの荷台に敷き詰める変形した畳を制作することとなります。
生まれて初めて作った畳の仕上がりに自分でも予想以上の衝撃を受けたとき、畳で世界の頂点に立てるのではと思いついたそうです。それから変形した畳作りの研究を始めました。試作品が完成するたびに、畳の世界に魅了されていきます。
畳は、一枚のキャンバス
©︎山田憲司
家業を継いだ山田さんは、全国の旅館や個人宅などから注文を受けるようになります。しかし自宅で試作した龍のデザイン畳は、メディアで話題を呼んでいたものの、受注はありませんでした。
そんな中、会員制交流サイトで龍の畳を見た新潟県加茂市にある本量寺の住職大森舜晃さんが、その迫力に一目ぼれ。2020年、法華宗の開祖日蓮聖人が、「龍ノ口刑場」で奇跡的に斬首を免れたとされる年から750年目を迎えたこともあり、制作を依頼しました。
龍の角やひげ、雲といったパーツが隙間なくはめ込まれた、上段の間8畳分のスペース。龍は仏教で煩悩の数とされる108枚、背景は四十九日にちなんだ49枚の畳をパズルのように組み合わせています。場所によってイ草の目の向きを変えることで光の反射による色の濃淡が表現され、にらみを効かせた龍が浮かび上がるようです。
畳を敷き詰めた空間をキャンバスと捉えている山田さん。縦、横、斜め、逆斜めと4方向に畳表を張る角度を変えて、色味を表現します。
そうすることで、立つ場所により龍の牙の色味が白色から金色へと見え方も変化するのです。1ミリでも寸法が合わないと隙間ができてしまい、またもし入らないパーツがあると全て作り直しとなります。寸法通りにカットしても畳が膨らむこともあり、とても難しい作業です。試行錯誤の連続から山田さんの作品は生まれます。
鑑賞だけでなく、宿泊することのできるアート
©︎山田憲司 炭平旅館別邸 「季ト時」
山田さんの畳は寺社仏閣や展覧会などで展示されるほか、宿泊施設でも使用されています。
©︎山田憲司 岡専旅館
例えば岐阜県美濃市の美濃和紙と「卯建(うだつ)」で名の知れた町にある岡専旅館もその一つです。卯建とは、瓦のある日本家屋の屋根に取り付けられる小屋根のついた防火壁のこと。今ではほとんど残されていませんが、和紙の商業地として栄えた美濃市の古い街並みでは見ることができます。
明治期になり防火よりも手の込んだ意匠で豪華さを競う卯建に代わってきました。かつて塩問屋を営んでいた岡専旅館の建物は旅館としては特異な造りとなっており、靴のまま移動し、客室すべてが離れの状態の部屋。シャンデリアのある和洋折衷の部屋には、不揃いの石が敷き詰められたような多角形の畳が使用されています。文明開花の時代を彷彿とさせる、ノスタルジックで不思議な魅力に溢れる空間が広がります。
©︎山田憲司 炭平別邸 「季ト時」
また、近年観光客はほぼ外国人というほど海外から注目度の高い兵庫県城崎温泉にある炭平旅館別邸 「季ト時」には、一棟全3フロア、約400枚の畳が使用されています。25畳ほどの広さのある空間には、丸みのある畳のピースが魚のうろこのように敷き詰められ、空間に連続性のあるリズムを生み出しています。
展覧会はもちろん旅館での宿泊を通して、山田さんが作り出す畳のアート空間を五感で堪能してみてはいかがでしょうか。
美濃市魚屋町2190-1
https://minokanko.com/stay/category/ryokan/p5994/
炭平別邸 「季ト時」
兵庫県豊岡市城崎町湯島797
https://www.tokitotoki.com/