城山公園展望台から見た桜島
鹿児島県が発祥!観光におすすめのスポットも
ボンタンアメ
ボンタン ※画像はイメージです。
ボンタンアメのルーツは、1903年創業の菓子問屋松浦屋商店にさかのぼります。1919年に松浦屋商店を改組し、セイカ食品株式会社の前身である鹿児島菓子株式会社が設立されました。
転機となったのは、同社が製造した水飴で作った「朝鮮飴(熊本の郷土料理〜求肥)」です。ある日、工場で従業員がその朝鮮飴をハサミで切って遊んでいる様子を、創業者の玉川壮次郎氏が偶然目にしたことがきっかけでした。
この光景からヒントを得た壮次郎氏は、朝鮮飴に香りと色を加え、キャラメルと同じ形態にして1925年に商品化します。これが、現在まで愛され続けるロングセラー「ボンタンアメ」の始まりです。遊び心から生まれたひらめきが、時代を超えて親しまれる銘菓を生み出しました。
セイカ食品株式会社の唐湊工場では、ボンタンアメの工場見学を行っていますが、2025年12月現在は、社会科見学の学校団体のみ見学可能です。また、日置工場では事前予約制でアイスクリーム工場の見学を実施。気になる方はぜひ訪れてみてください。
砂風呂(砂むし風呂)
砂むし風呂
世界で唯一天然の砂風呂(砂むし風呂)が楽しめるのは指宿市。その歴史は古く、江戸時代に編纂された『三國名称圖會(さんごくめいしょうずえ)』にも、「諸病を直す」と記載されています。
さらに、1549年のフランシスコ・ザビエルの来日に備え、事前調査で鹿児島の最南端を訪れたジョルジュ・アルバレスの報告書『日本見聞記』の中には、「砂に掘って横たわっている」という砂むしを思わせる記述が残されています。
砂むし風呂で温まりたいのなら「伏目海岸」にある山川砂むし温泉「砂湯里~さゆり~」へ。波の音を聞きながら、心身ともにリラックスできますよ。
日の丸
日の丸
近代日本の国旗「日の丸」の原型をいち早く用いたのは、薩摩藩主・島津斉彬です。斉彬は1853年、幕府に大船・蒸気船の建造を申請する際、日本船の総印として白地に朱の丸を掲げました。さらに、これを日本全国の船印として採用するよう幕府へ進言。
この提案は幕府に認められ、1854年には白地に赤丸を日本船の船印とするという布達が全国に出されました。
翌1855年、薩摩藩が建造した昇平丸が江戸・品川に入港した際、日本の公式な船印として日の丸が掲げられました。その後、1870年1月27日、日の丸は太政官布告によって正式に日本の国旗として制定されます。
道の駅「たるみず 湯っ足り館」には、「近代造船発祥の地・国旗日の丸のふるさと」を象徴する昇平丸のモニュメントが設置されています。台座の右側には島津斉彬の写真、左側には大正3年の大爆発以前の桜島の写真が掲げられ、台座のまわりには都城「おもと会」によって寄贈されたおもとが植えられています。
鹿児島県垂水市牛根麓
公式HP:https://www.tarumizu.info/sightseeing/%E3%81%9F%E3%82%8B%E3%81%BF%E3%81%9A%E9%81%93%E3%81%AE%E9%A7%85%E3%81%AB%E3%80%8C%E6%98%87%E5%B9%B3%E4%B8%B8%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%8D/
さつま揚げ
さつま揚げ
さつま揚げ(つけあげ)が現在の形で広まったのは、江戸時代後期、島津斉彬が薩摩藩主だった頃と伝えられます。
その発祥には諸説あり、代表的なのは、紀州はんぺんやかまぼこの製法を参考に、保存性の高い揚げ物として発展したという説。また、当時交流の盛んだった琉球から伝わった、魚のすり身を油で揚げる料理「チキアーギ」がルーツになったとする説などがあります。
こうしたさつま揚げの発祥の地を名乗るのが、いちき串木野市です。古くから水産練り製品の産地として栄え、現在もさつま揚げやかまぼこを全国に出荷しています。
現在、いちき串木野市には大小さまざまなさつま揚げ(つけあげ)・かまぼこ製造工場が点在していますが、「勘場蒲鉾店」「日高水産加工鉾」「高浜蒲鉾」では、さつまあげ製造工程を見学可能です。気になる方はぜひ訪れてみてくださいね。
人工衛星(日本初の打ち上げ成功)
JAXA内之浦宇宙空間観測所
日本初の国産衛星をのせたラムダ4S型5号機ロケットは、1970年2月11日に、内之浦の鹿児島宇宙空間観測所(現・JAXA内之浦宇宙空間観測所)で打上げられた「おおすみ」です。
この人工衛星は、ミューロケットによる人工衛星打上げ技術の習得と、衛星についての工学的試験を目的として打ち上げられ、地球を周回し続けましたが、2003年8月2日に大気圏に突入して、消滅しました。
JAXA内之浦宇宙空間観測所内にある「JAXA宇宙科学資料館」には、メートルT-135型ロケットや人工衛星の模型などが展示されています。ロケットのパネル、天体写真、 開発の歴史なども紹介されていて見どころ盛りだくさん! 四方に星型のような出っ張りのある外観もユニークです。
鉄砲
門倉岬の入り口にある像
鉄砲が日本に伝来したのは1543年のこと。種子島に1隻の中国船が漂着し、その船に乗っていたポルトガル人によって、火縄式鉄砲が日本にもたらされました。
島主・種子島時堯はこの鉄砲を2丁購入し、惣鍛冶であった八板金兵衛清定に模作を命じます。銃身と銃底を塞ぐためのネジ切り技術が大きな難関となりましたが、翌年に再び来島したポルトガル人からその技術を学び、伝来から約8か月後には国産の鉄砲が完成しました。
こうして生まれた鉄砲は、新たな武器として急速に国内へと広まり、当時は鉄砲そのものを「種子島」と呼ぶほど、人々の間に浸透していったといわれています。
門倉岬は、1543年に鉄砲を積んだ異国船が漂着したと伝えられる歴史の地。岬には鉄砲伝来紀功碑をはじめ、展望台や神社が点在し、薩摩の海とともに南蛮文化の面影を感じられます。さらに「種子島開発総合センター鉄砲館」には、1543年に種子島に伝わったポルトガル銃や国産第1号銃、国内外の旧式銃丁が展示されています。
鹿児島には日本を動かした始まりがそろう!
鹿児島県には、ボンタンアメやさつま揚げ、砂むし風呂といった暮らしに根ざした文化の始まりに加え、鉄砲伝来や国産人工衛星「おおすみ」など、日本の歴史を動かした技術革新の舞台が点在しています。鹿児島を訪れた際には、自然とともに育まれてきた鹿児島ならではの始まりに、ぜひ触れてみてください。
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