ふいの雨降りの際に、急遽コンビニで買って助けられた経験が誰にでもあると思います。街中の書店や家電量販店にも売っていて、高級品になると百貨店に並んでいるビニール傘が、実は“日本生まれ”なんです!
皇后美智子さまが園遊会などでご愛用していたことでも有名な、ホワイトローズのビニール傘。江戸時代創業の老舗メーカーである同社が開発した“世界初のビニール傘”について、ホワイトローズの工房にお邪魔して、代表の須藤 宰さんにお話を聞かせていただきました。
売れに売れた“ビニールの傘カバー”から始まった
傘といえば、高級な絹(シルク)、日傘用の麻と並んで、一般的には綿素材で作られていた昭和20年代。洋傘を作っていた武田長五郎商店(当時)の須藤三男前社長が昭和24年に太平洋戦争から帰国すると、物が不足していた時代で傘を作る材料が集められず、完全に出遅れてしまいました。そこで考え出したのがビニール製の「傘カバー」でした。
ビニール製の傘カバー(復刻)
「綿の傘は濡れると色落ちしてしまうんですね。そこで進駐軍のテーブルクロスに目をつけ、ビニール素材で傘のカバーを作ったんです。正八角形にカットして傘の上からシャワーキャップのようにかぶせるだけの単純な構造です。しかし、傘が濡れなければ、色落ちもしないし、水漏れしない。このアイデア商品が大ヒットして、カバーがないと傘が売れない状態になったほどです」
昭和28年当時の朝日新聞の記事
傘カバーは昭和26~30年頃まで爆発的に売れましたが、ここでナイロン素材の洋傘が登場します。綿と違って防水加工がしやすいため、あっという間にナイロン傘が普及。傘カバーは不要となってしまいました。そこで社長は「それならビニール素材の傘をつくろう!」と考え、試行錯誤が始まりました。
現存する最古のビニール傘
「ビニール素材では針と糸は使えませんので、今までの方法は通用しません。ビニール素材を直接、傘の骨に貼り付ける技術を開発することになりました」開発に約3年の歳月をかけ、昭和33年についにビニール傘が完成しました。世界初のビニール傘の誕生です!当時開発した現存のものは、透明ではなく白濁していました。
東京オリンピックをきっかけにNYで大ヒット!
ついに完成したビニール傘ですが、発売当初はビニール素材が受け入れられず、小売店や百貨店の傘売り場に置いてもらえないという、苦戦を強いられることとなりました。「ビニール傘は、洋傘のライバルと見られてしまったんですね。でも、雨が絶対に漏らないという品質に自信があったので、“日本をビニール傘で埋め尽くしてやろう!”という気持ちが常にありました」
そんな折、昭和34年の東京オリンピックで来日していた米国のバイヤーの目に留まり、なんと日本製のビニール傘はニューヨークから火が付いたのです!それは、鳥かごのような形をしたビニール傘でした。
NYに輸出されて大ヒットした「バードゲージ」
「米国メーカーのバイヤーから“ぜひニューヨークで売りたい”との申し出でした。そこからビニール傘は、すべて輸出商品となりました。東京と違って、ニューヨークは風が強かったり寒かったりということで、ニューヨークで売っていたビニール傘は「バードゲージ」という商品です。人間一人分用の個人主義的傘です。風には負けませんが、ラブは生まれません。相合傘ができない傘は、日本国内では売れませんでした」“傘は一人で入るもの”という海外専用の「バードゲージ」はニューヨークで大ヒットとなりました。
ミニスカートとビニール傘のオシャレな関係
ホワイトローズの工房には、ファッションショー形式でビニール傘の“新作発表会”を行っていた資料が残っていました。ビニール素材には様々な色や柄が印刷ができるということで、当時の最先端ファッションとなっていました。
「国内向けにビニール傘をつくり始めた頃、日本でニューファッションが生まれました。普通の傘屋に置いてもらえなかったビニール傘は、逆にニューファッションの世界に受け入れられたのです。透明で傘の骨が見えるのが斬新でカッコいい、と。それに透明の素材にプリントすると、発色がよくてビビッドな色が出たんですね。ミニスカートの女王“ツイッギー”が登場した頃には、ミニスカート用の傘も作りました。ファッション用の傘ですね。透明な傘は、逆にどんなファッションにも合うと評価されたんです」
ファッション用のビニール傘は国内で大ヒット。昭和40年代につくられていたビニール傘は、高級布傘と同じぐらい高級品だったそうです。ちなみにこの頃に売り出していたビニール傘のブランド名「ホワイトシリーズ」からお客さんに“ホワイトさん”と親しまれるようになり、ミニスカート用のバラの花柄が大ヒットしたことから、昭和51年に社名を「ホワイトローズ」に変更しました。布製の傘に対して、乳白色のビニール傘のことを“ホワイト”と呼んでいたことが由来だそうです。
もともとは武田勝頼の末裔で、徳川吉宗の時代(享保6年)から続く「武田長五郎商店」という名を代々受け継いでいたのですが、須藤三男前社長が決断。「当時はカタカナの社名は新鮮さがあった。でも現在のインターネット時代なら“武田長五郎商店”の方がインパクトがあったのでは」と須藤さんは微笑んでいました。
要望に応えて超ハイテクなビニール傘が誕生
しかし、中国メーカーが次々に安価のビニール傘を量産し、日本国内のメーカーは激減。ホワイトローズは、数は少なくても注文を受けてビニール傘を作り続けました。「ものづくりは一旦やめてしまうと、たとえ同じスタッフと同じ機械が残っていても、再開してつくり始めるのは難しいんですよ。細々でもやっておけば、いざというときに量産に戻ることができる。ゼロにしてしまうとアウトなんですね」
そんな中、選挙の街頭演説用のビニール傘をつくってほしいというオーダーが舞い込みます。透明なビニール傘なら視界を遮らず、周りからも顔がよく見えるから、高圧的にならず庶民的なイメージが出せる。また、選挙カーの上で演説する際に横風を受けるので、強風にも壊れない傘を、と要望されたそうです。そこで、グラスファイバーの骨でつくられ、安全性にも優れてたビニール傘「カテール」が開発されました。これは“選挙に勝てーる”からのネーミングです。オーダーに応えて一本だけつくった傘は、選挙ごとに口コミで注文が増えていきました。ついには歴代総理の手にも渡るようになりました。
改良を重ねた、グラスファイバー製の8本骨でできたビニール傘は、風速15メートルの台風でも曲がらず、軽さとしなやかさを兼ね備え、しかも骨の上に空気が抜ける穴“逆支弁”があるため、外からは水が入らず、中からは風が抜けるという構造。他社の商品とは別格の超ハイテクビニール傘「シンカテール」へと進化していきました。
「傘のオーダーメイドは承っていないのですが、他のお客様にも需要があるものならばつくってしまおうと。常に面白がりながら、新しいビニール傘の商品開発をしています」
他にも超超特大ビニール傘「テラ・ボゼン」は、傘を開くと直径1メートル40センチと、大人が余裕で3人も入ってしまいます。「これは御住職からの依頼で、お墓の前で読経するときの傘です。せっかくの袈裟も布傘では見えなくなってしまいますよね。参列者から読経中の僧侶が見えるように、また後ろから差し掛けるお坊さんもできるだけ濡れないように、大判で軽量、しかも長時間でも握りやすい手元になっています」いろいろな場面で、それぞれ必要とされる理由があるビニール傘があるんですね。
https://whiterose.jp/
[All Photos by SACHIKO SHIMOMURA]
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