2009年に訪れたホーチミンは、筆者にとって初の海外一人旅。それから9年が経ち、再び訪れたホーチミンは、高層ビルやおしゃれスポットが増え、大きく景色を変えていました。その一方で、バイクの洪水やベトナム戦争の後遺症など、いまだ変わらないものも・・・
変わったもの、変わらないもの、それぞれに目を向けることで、「ホーチミンのいま」が見えてきました。
9年ぶりのホーチミン
クリスマスを目前にして、9年ぶりに降り立ったホーチミンのタンソニャット国際空港。外に出ると、気温30度を超える常夏の都市の熱気が身体を包みます。
筆者が初めてベトナムを訪れたのは、2009年のこと。社会人一年目の夏の休暇で訪れたホーチミンは、筆者にとって初めての海外一人旅でした。それから9年、ベトナムのLCC「ベトジェットエア」が大阪に就航したのを機に、再び一人でホーチミンを訪れました。
高層ビルが続々誕生
もともと、「9年もたてば、ホーチミンの風景はずいぶん変わっているだろう」と予想はしていました。新興国の9年は、すでに発展しきった感のある日本の9年とはまったく意味合いが違います。
そうはいっても、実際に目の当たりにした変化には少々戸惑いました。以前も見たサイゴン大教会や統一会堂、ホテルコンチネンタルといったコロニアル建築の数々はいまも残っているものの、それ以外の風景がまったく違っているのです。
一部の高級ホテルなどを除き、9年前のホーチミンには、高層ビルはほとんどありませんでしたが、2010年には、265.5メートルの超高層ビル「ビテクスコ・フィナンシャルタワー」が完成。2018年には、さらに高い81階建ての「ランドマーク81」がオープン。
この9年のあいだには「ホーチミン高島屋」を核とする「サイゴンセンター」など、かつてはなかった大型近代商業施設も誕生しました。
点のように以前と同じ景色が残っているものの、点と点のあいだの変化が激しいので、線として9年前の風景と現在の風景を重ね合わせるのが難しいほどです。
日本国旗を掲げる工事現場
いま、ホーチミン市内中心部では、あちこちで日本国旗をあしらった看板が掲げられた工事現場を見かけます。その理由は、ホーチミン地下鉄の建設工事に、JICAや日本のゼネコンが参加しているから。
以前は2018年開通といわれていましたが、資金問題などにより計画が遅れ、現在では2020年の開通を目標にしています。現在は工事のために大きく景観が変わっている状況ですが、地下鉄の開通が実現すれば、人の流れをはじめ、ホーチミンの風景はまた大きく変わることでしょう。
おしゃれカフェが増えた
フランス統治の影響もあって、ホーチミンには以前から数多くのカフェがありました。ところが、9年前に主流だったのは、観光客向けのコロニアル調高級カフェや、現地では高額なアメリカ資本のカフェで、格安喫茶店を除き、ローカルカフェの存在感はあまり大きくありませんでした。
しかし、現在はローカルなおしゃれカフェがひしめき合い、かつてないほどの「カフェ天国」の様相を呈しています。ヴィンテージ風やリゾート風、共産主義風など、内装にも趣向を凝らしたカフェの数々を訪ね歩くのは、いまのホーチミン旅行の醍醐味のひとつ。
近年ホーチミンにオープンした高感度カフェは、外国人旅行者にも人気ですが、現地のおしゃれな若者にも大人気。若者たちがファッショナブルなカフェを利用する光景は、ベトナム社会がだんだんと豊かになってきていることを象徴しているように感じます。
リノベアパートが出現
9年前にはなかったホーチミンの新たなトレンドが、リノベーションアパート。古いアパートおしゃれなカフェやショップが入居する商業施設として改装したもので、どことなく退廃的な古アパートと、ハイセンスな店舗とのコントラストが受けているのです。
有名なのは、グエンフエ通り42番地のアパートや、リートゥチョン通り26番地のアパート。「新しいけど古い」と「古いけど新しい」の掛け合わせが絶妙で、写真映えも抜群。リノベーションアパートをはしごして、写真撮影やカフェを楽しむのが、ホーチミン流です。
日本でも古民家カフェが人気ですが、大きな建物全体を使ったリノベーションスポットはなかなかありません。「日本でも導入したら絶対流行る」と思うのですが・・・
リノベアパートについては、『お土産もカフェも。ホーチミンのフォトジェニックな隠れ家ビルがすごい!』でもご紹介しています。
バイクの洪水
9年という歳月がもたらした変化を実感した一方で、「変わらないな」と思うものもありました。そのひとつが、ホーチミン名物のバイクの洪水。ホーチミンでは、公共交通機関はバスのみ。自家用車をもつ経済的余裕のある人は限られているので、交通手段といえばもっぱらバイクなのです。
交差点では大量のバイクが道路を埋め尽くし、渋谷のスクランブル交差点さながらにバイクが行きかう光景を、外国人旅行者がこわごわと写真に収めています。
ホーチミンには、信号のない道路のほうが多いため、道を渡るときは迫りくるバイクへの恐怖との闘い。神出鬼没のバイクは歩道にも乗り上げてくるので、歩道を歩いているからといって油断はできません。
ホーチミンを走る大量のバイクは以前から有名でしたが、9年前の旅行では今回よりも恐怖を感じる瞬間は少なかったように思います。そういう意味では、バイクの洪水は「変わらない」というよりも、「ひどくなった」のかもしれません。
地下鉄が完成すれば、状況も変わるでしょうが、バイクの洪水はまだしばらくホーチミンに居座りそうです。
ベトナム戦争の後遺症
筆者もそうですが、時の経過とともにベトナム戦争を直接知らない世代が増えています。それもあって、日本では「ベトナム戦争は過去のこと」と思われがち。しかし現実には、ベトナム戦争はまだこの国に深い影を落としています。
戦争で国土が疲弊し、経済発展が遅れたのもそのひとつですが、もっと目に見える後遺症が、アメリカ軍が散布した枯葉剤の影響です。結合双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」は、あまりにも有名なので、枯葉剤の影響により、ベトナムで多くの障害児が生まれた事実は、日本でもよく知られています。
しかし、障害の連鎖が次の世代まで続いていることはあまり知られていないのではないでしょうか。枯葉剤を浴びた親から生まれた子どもが障害児として生まれ、枯葉剤による障害をもつ親の子どもや孫も障害をもって生まれるというケースが後を絶たないのです。
戦争証跡博物館で、小人症の母親が障害のために歩けない息子の車椅子を押す光景を目撃し、言い知れぬショックを受けました。路上でも、枯葉剤の影響と思われる障害児を抱いて、物乞いをする母親の姿を目にしました。
日本では、「経済発展著しい国」として、ポジティブな側面が喧伝されることの多いベトナムですが、枯葉剤作戦から50年近く経ったいまも苦しみ続ける人々がいるのも、紛れもないベトナムの真実なのです。
人々の笑顔とたくましさ
ベトナム戦争の後遺症という重い現実が立ちはだかるなかで、救いのように感じられたのがホーチミンの人々の笑顔とたくましさです。
ベトナムは南北で人の気質が異なり、南部ホーチミンの人々は、北部ハノイの人々よりもオープンで楽天的で、フレンドリー。今回のホーチミン滞在中も、たくさんの笑顔から元気をもらいました。人々の笑顔を見ていると、つい数十年前にここで戦争があったことなど忘れてしまいそうになります。
先進国と比べると、決して豊かとはいえないベトナムですが、ノンラーをかぶって路上でお菓子を焼いてビジネスマンや観光客に売る中高年女性、一台のバイクに乗って移動する4人家族など、豊かでないなりにも、彼らなりの確固たるライフスタイルを物語る光景がそこかしこにありました。
迫りくるバイクの波におびえて道路を横断できずにいる筆者を尻目に、平気な顔で軽々と渡ってみせるホーチミンの人々。そんな姿に「温室育ちの日本人には、とてもかなわないな」と思ってしまうのです。
[All photos by Haruna]
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